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「普通のしあわせ」とは
25歳になると結婚、出産する友人が増えた。
今日はその中のひとりの友人に久しぶりに会った。Instagramには可愛い子ども、かっこいい旦那、 素敵で立派な一軒家の写真が並べられていて、 画面に並ぶのは幸せの真ん中にいると想像させた。
でも、実際に会って話を聞くと、すごく複雑の真ん中だった。Instagramに並ぶ幸せな写真からは想像を絶する、それ以上のことを抱えて生きてた。
学生の頃から派手な職、男関係が気になる子だったので、ついに身を固めた!と安心して祝福に出かけたのもたって、とてもショックだった。
それでも彼女が幸せならば良いのだが、辛かったであろうことを笑って話す彼女は正直見てられなかったし、
「後悔してる?」や「幸せ?」など、とてもじゃないけど聞くことはできなかった。
親には「普通に幸せになれへんの?」と言われたそう。
みんなが言う"普通の幸せ"って1番難しいと私は思う。 誰もが口を揃えて言う"普通"ってなんだろうね。
他人の人生に、幸せに口出しするべきではないし、どんなに複雑な家庭を持とうが、結局は全部自分で決めること。自分にとっての"幸せ"に当てはまれば、それで十分だと思う。そこには覚悟と責任を持って、自分を他人を幸せにするってことを追求していくのみ。
逆に自分の幸せに該当しなければ、そこに妥協する必要は無いと思う。「ここまできたら引き返せない」とか、そんなことはあってはならないと思う。
ハッピーエンドが大好きやから、なんかこういう現実を目の当たりにすると心苦しいね。一部の人だけだったとしても、これも現実なんやなって。
それぞれに色んな事情はある。それでも私はみんなにしあわせになってほしいと思うよ。一度きりの人生、重要なことは妥協せず、責任を持って生きようね。
自分の幸せを生きよう。
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