なりたい自分になる〜自己紹介〜

自己紹介させていただきます。

四捨五入すると50になる年齢となりました。

九州のあまり目立たない県でうまれ
英語が好きで、交換留学目当てで
隣の県の短大に進みました。

交換留学も無事に済ませ
あっという間に2年生となり
就職活動。

ちょうどバブルが弾けて
世の中【就職氷河期】
希望していた
旅行業界や航空業界は 
大小かかわらず、採用を見合わせる
そんな情報ばかりの就職活動。

小さい頃から憧れていた
英語を使う仕事は
ハードル高そうだし
(最初から諦めている)
簡単には就職できなさそうだし
(何やりたいとかないし)
交換留学でお世話になった
アメリカの大学に編入もいいな。

なんて、 
頭はバイリンガルな未来の私を想像して
ワクワクするー!!

でも
就職活動もせずに、
留学したいとか言ったら
両親、腰抜かすな、と、
長女の遠慮気質が働き

ふと手にした、就職本にて
・女性が働きやすい会社
・やりがいを感じる会社
というページにのっていた、現会社。
しかも、地元にも支店があるから
いずれ地元に帰るなんてことも出来そうかな
と、今の時代の就活生がきいたら
バカにすんな。なんて怒られそうな
そんな適当な考えで

とりあえず…

とりあえず
応募した、現会社。

履歴書を送ったのは
地元のちいさな旅行会社と二つだけ。

地元の旅行会社からは
早い段階で、ご縁がない旨の通知が届いた
特にショックもなかった。

現会社は、
なーんも考えてなかったのが良かったのか
まさか、まさかの内定通知。

何かの間違いやなかろうか?
周りの友人の方が、もっと真面目に
活動してるのに?
なんなら、わたし、アメリカ留学するつもり
だったんで、受かると困るんですけど。

意を決して、両親に想いを伝えると
『とりあえず3年頑張って、
自分で留学資金を稼ぎなさい』
と。

まぁ、そうだよな。 

氷河期と言われる中で
就職決まった娘に
さらにお金かけて留学させるなら、
初めから4年生大学いってください!だし
稼ぐ場所を見つけたことだし
本当にやりたいなら
頑張って自力で手に入れなさい!

でしょ。

わたしでもそう言います。

ということで、【期間限定】にて
めでたく就職!! 

九州配属の同期は私をいれて3人。
2人はもういない笑

営業事務的な仕事だったので、
営業予算もあった。

どうせやらなきゃなんだったら、
イヤイヤじゃなく、
前のめりでやりたいな。
と、そんな頃から漠然と
貧乏性前のめり体質が顔を出し始めます。

大きな挫折を感じることもなく
持ち前のコミュニケーション能力を生かし
営業も苦にならず
しっかり者の長女気質で
事務ミスも少なかった。

ので、 
【期間限定】の間に
店長になってしまった。

【期間限定】だったはずなのに
毎日充実してたから
留学という言葉が
頭をよぎる時間は少なくなってた頃だった。

今なら  
就職したい、も
留学したい、も
たいした本気じゃなかったのだ、
とわかる。

ただ、仕事は、 
自分の枠を大きくしてくれる
そんな感覚があった。  

第一章の始まりである。

若くして店長になり
同世代、年上女性と働くことは
苦労の連続だった。

偉そうだ
生意気だ
大したことないくせに、と
陰口どころか、面と向かって
ご指導頂くことが多かったが
ありがたいことに、それ以上に
引き上げてくれる上司や、
懐いてくれて、頑張ってくれる後輩や、
まわりの人がいた。

そんな人たちのおかげで、
落ち込むこともあったが
試行錯誤しながら、過ごすことができた。

周りの友人は、結婚し始めたが
【結婚】に全く興味がなく
なんだかんだと追われる毎日を過ごしていた。

そんなある時、
【期待してくれる人】
に出会い、
【期待に応えたい】
と言う感情を知る。

そして、この感情こそが
【役に立ちたい】と言う信念を持つ
原点となった。

来店してくださるお客様の
声をかけてくれるクライアント様の
一緒に働いてくれるメンバーの
バカ話に付き合ってくれる友人の

私に対する【期待】と
私の【行動】の
トランプでいう神経衰弱のような
『あった!』という、一致の繰り返しが
私の向上心へとつなげた。

もちろん
相変わらず、うまくいかない
コミュニケーションもあったし、
理不尽なことや
落ち込むこともあった。

そんな時は、
『次にしないためにはどうしたらいいか』
『超えられないハードルはこないはず』
と、考えるようにしていた。

転んでもタダで起きない!

そうやって、何かをモノにしなければ
転んだ意味がない!
と、追い詰めるように
無理矢理『得たモノ』をこじつけていた。
自分を納得させるために。

また、若さゆえの勉強不足から
自分ができることは
他の人も同じようにできるに違いない。

と、真剣に思っていたし(笑)
幸せの尺度はそれぞれちがっていい、
なんてのとは、対局にいた(笑)

でも、ほんとに人に恵まれて、
ついてきてくれるメンバーがいて
愚痴をきいてくれる友人もいた。
残念なことに、地方だったので、
すぐそばで見守って、アドバイスくれて
指導してくれる先輩、上司はいなかった。

でも、だからこそ、
試行錯誤できたのだと、いまは思っている。
頼れる人は見当たらなかったし
やらなければ、進まなかったから。

そんな、がむしゃら担当最前線、
為せば成る!人間のわたしが、
興味のなかった結婚を
したことで、また、流れが変わりはじめる。

いわゆる第二章。

結婚して、ありがたいことに
子どもを授かり、
何もかも、自分のおもうように
ならなくなった。

子どもはかわいいし、
旦那は優しいのだけれど、
キャリアについては、
できるのに出来ない、という
ジレンマを感じることが増えた。

時短勤務という制度を使わせてもらい
みんなが遅くまで、仕事するのに、
早く帰らせてもらう罪悪感から
自分自身を守るためには、
【存在価値】が必要だった。

働く時間がかぎられる私に
できることはなんだろう?
求められることはなんだろう? 
いや、そもそも求められてないのでは?
と、ふいにくる不安や疎外感。

そんな感情を打ち消すように
【成果】にこだわった。
成果を出すのは、私にとっては簡単だった。

【行動することで出るモノ】だから。

失敗しても諦めず、
あの手、この手を考えて
また、やってみる。

同じ行動でも
【目的】を持って
【行動】することに
違いがあることを学んだ。

子育てしながらよく頑張っていたな、と
素直に思える、あの頃。
助けてくれる人もいた。
けど、甘えることも出来ずにいた。

好きで働いているから、
私のわがままに、子どもをつきあわせている と思い込み、
子どもに不安や、寂しい思いをさせては
ならない、と育児も前のめり。
どれにも手を抜けず、
もはや、仕事の方が息抜きだった。

絶妙なバランス感覚で、
自分をごまかしながら、
納得させながら
生きていた。

【目標】なんてなく、
ただ、必死に毎日を過ごしていた。

思い通りにならない育児と
面白いように成果のでる仕事
このあたりから、義母の介護が加わり
第3章へと突入する。

義母はとても世話焼きの人だった。
そして、田舎あるあるの
隣の敷地に住んでいた。
お義父さんはいない家庭だった。

今まで、
よっしゃー!
為せば成る!
やってやるぜっ!
と奮起して
人生を生きてきた嫁の私は
世話いらずだった。

今思えば、
お義母さん、今日遅くなるから
ご飯お願いできますか?
と、楽できるわー♡と、
甘えればよかったのだ。

でも私はそれができなかった。 
したら悪い、とさえ思っていた。

そのうちに、
私は、かわいい息子をたぶらかし
息子そっくりなかわいい孫にも、厳しい
とんでもない嫁
と、義母は思うようになり
会話がなくなった。

何年か、そんな上っ面な関係が続き
ある時、義母の行動に違和感を感じた。

なんか、つじつまの合わんこというな。と。

そんな違和感に
気づいてしまう自分を恨めしく思った。
誰もまだ気づいてないのに(T . T)

放っておけないのだ。 
私を敵視する義母のために
何が方法はあるはずだ、と
奔走する日々。

いろんな人が、色んな手をさしのべてくれた

仕事ばかりで、地域のひとと
関わることもなかったが、
地域のつながりってありがたい、
と思った。

そんな奔走が身を結び、
義母は拒否し続けていた認知の治療を
受けてくれるようになった。

義母のことに親身になってくれる人が
たくさんいて、
色々あったけど
いいお義母さんだ、と、
受け入れることができた。

【受け入れる】ことを学んだ第3章。

義母を受け入れることができたことは
私の株を上げた笑

あんなに言われてたのに(悪口を)
一番頼りになったのは
◯◯ちゃん(私)やねぇ。
えらいねぇ。
と。

ほんと、我ながら
転んでもタダで起きない人である。

そして、そんな
側からみたら、
悩みなんてなく
やりたいことやってる
自由な人に見える私は
更なる自由を求めて
アンテナをはる日々を過ごしていく。

出会いは突然に!
第4章。

仕事環境は相変わらずよくならないが
お客様には恵まれる日々。
子どもたちも、素直に育ち
夫婦喧嘩はするものの
(というより、一方的に私が
お怒りモードになるだけ)
寝て起きたら、ケロッとしてる
(そうしなければ、次から次にくる
大なり小なりの問題を解決できないから)

そうやって、
あいも変わらず、必死に過ごす毎日。
仕事はとっても楽しいのに
家族も健康で、仲良しなのに
なんだかスッキリしない

その原因をとうとう突き止める!

そう、ある日突然に!!

原因は
現職場で、天井が見えたことだった。

長年働けば、経験するであろう限界。

どれだけやっても認めてもらえない
→やって当たり前
お給料も上がらない
→他の頑張りどころを知らない、探せない。

ちょっと目を引く、成果を出したとしても
褒めてもらえる事はないどころか、
新しいことにチャレンジして成果が出ても、
褒められる事はない。

そんな毎日を繰り返していると
気づかないうちに
チャレンジする気持ちをなくし
自分を納得させる暗示かのように
楽しく仕事させてもらって
ありがたい!
と、呪文の様に唱え、粛々と仕事をこなす毎日

10年ひと昔というが
そのひと昔前は、
子育てしながらの環境で
記憶がないほど、忙しかった。
そんな時でさえ
仕事が息抜きだと思っていたのに
だ。

その頃に比べると、
格段に仕事がやりやすくなっているのに
子どもを預けて、
忙しい自分を選んで
行き着いた先が、ココだったのか。
という現実。

そんな現実を
直視するきっかけになったのが
【コーチング】だった。

自分の心の声を向き合う。そんな時間を過ごすうちに
私のやりたいことってなんだろう?

そんな自分と向き合う時間を持ち、行きついたところが
【役に立ちたい】ということだった。

いろんな人に助けられて
いろんな人に教えていただいて
【今】がある

そんな誰かのいろんな人になりたい
そうやって【役に立ちたい】と。

【目的】が決まってからの、私にとって【行動する】ことは
純粋にワクワクした。
留学に思いをはせていたころのように
仕事で成果を得て高揚していたころのように
家庭と仕事の両立の先は明るい未来だと信じていたときのように


【どの経験もすべて、ここにつながるためだったのだ】

そう思えてからは
学びが楽しく、時間の使い方も変わり
人生の楽しさに触れる機会が増えてきた。

そして、現在は

【たくさんの経験】と【360度の見方】を携え、
メンタルセラピストとして
コーチングやカセリングで
その人の答えを一緒に見つけるサポートをしています。

どうせ生きるなら、居心地よく生きたほうがいいよね。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

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