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#22 習慣 ①

習慣という怪物は、どのような悪事にもたちまち人を無感覚にさせてしまうが、反面それは天使の役割もする。

シェイクスピア「ハムレット」福田恆存訳 新潮社

 厚生労働省が3年に1度実施する統計調査「患者調査」の最新の集計結果(2020年調査、直近の更新2023年2月)によれば、精神および行動上の障害で全国の医療施設を利用した調査日現在における全国の総患者数は、入院・受診合わせて約503万人と推計されている。この数値は、550万人がピークだった2005年から実はほぼ一貫して漸減している。
 患者数が減っていることは、ひとまず朗報であるには違いない。最新・最善の知見に基づく医療診断技術と治療法の進歩はめざましいものがある。また、近年我が国の精神医療および精神保健福祉のあり方が、固定医療施設における治療・収容中心のアプローチから、地域社会が患者本人とその家族をサポートし、治療やケア、生活を支え、患者自身の自立と社会参加を促進する「地域精神医療」へと転換がなされ、その変革の努力がさまざまな課題を抱えながらも次第に奏功しているという側面があるのかもしれない。

 この統計データの推移をみると、ある特徴が見て取れる。全体の患者数は減少している一方で、うつ病や適応障害、不安障害などの気分・ストレスに関連した障害や身体症状を訴える患者数はむしろ増えていることである。
 これはつまり、遺伝や生物学的要因の関与が強く示唆される統合失調症などの疾患や、治療や回復に時間がかかる重篤な症状を持つ患者の数は減少する一方、日常的な心理社会ストレスによって引き起こされる精神および身体の不調を訴えたり、診断基準に満たないグレーゾーンあるいは比較的軽症と考えられる患者の数は逆に増えていることを意味している。このことは、入院治療を必要とする患者は減っているが、外来受診者数は増加していることからもうかがえる。
 500万という数は、依然大きな数字であり、軽症・グレーゾーンといってもその精神的苦痛や日常生活への影響が軽いというわけではない。患者間個体差もまた大きい。またこの統計結果は、あくまで医療機関の「受診者数」であって、我が国の精神疾患を持つ人が、実態として増えているのか減っているのかを明らかにするものではないことにも注意が必要である。

 患者総数の減少と外来受診者数の増加については、別の側面からの解釈もできる。つまりそれだけ「病院(精神科)にかかりやすくなった」とも言えるということである。心の健康の問題が、一般の身体疾患や怪我と同様に認識されるようになり、精神科を受診することへの心理的なハードルが下がったり、精神医療の施設やサービスの利便性や選択肢が増えた結果、心の不調を感じる人々が医療施設にアクセスしやすくなったとも考えられるのだ。社会的な認知や環境整備が進み、こころの不調を感じた場合に早期に精神科などを受診することが奨励されるような社会的な気風が広まることは、肯定すべき変化であるといえる。
 いずれにしろ、こうした数字の羅列である統計調査データも細かく見ていくと、心の病に苦しみ日常生活に困難を感じながらもなんとか現実生活に適応しようと日々苦闘する人々の姿もまた浮き彫りになってくる。

 精神疾患(障害)の多くは、「生活障害」と「生活習慣病」という二つの側面を持っている。
 「生活障害」とは、心の病は、身体の病気や怪我とは異なり、病巣や発症の原因、メカニズムが直接的に観察できないため、診断基準や症状の聴取によって「間接的に」病気であると判断されるにすぎないことと関係している。そのため心の病は、患者の実生活上の具体的な困難や不調という現象を通して理解・把握されることから、「生活障害」とも言えるのだ。逆に考えれば、生活障害である以上は、それぞれの日常の暮らしに深刻な支障があるのでないかぎりたとえ心理検査や診断上がどうであれ、病気であると即断すべきではなく、生活の質が改善したり安定すれば病気もまた良くなってきていると考え得るのである。

 今回のテーマとも関連する二つめの側面、「生活習慣病」であるとは、心の病が、日常生活の何らかの習慣の積み重ねと繰り返しの結果として起こり得ることを意味している。
 個人それぞれのライフスタイルや家族・社会生活、対人関係における思考や感情、言動パターンからもたらされるさまざまなストレスの日々の積み重ねの影響は、それこそ水面下でじわじわ進行していく。そうしたことは、ほぼ毎日起こっていることだけに問題として意識することはなかなか難しい。普段から心の不調を意識してそれなりに何らかの対処法を講じる習慣があればよいのだが、現実の多くの人は、問題を感じてはいるが誰にでもどこにでもありがちなこと、あるいは何とかなると自分に言い聞かせ見て見ぬふりをし日々をやり過ごしている。
 だが、安易に問題を先送りにしたり見過ごすのは危険である。毎日欠かさず起こることの反復継続が、やがて危険水域にまで達することは自明である。そんな中何らかの出来事をきっかけに問題が顕在化する。 

 冒頭引用文でシェイクスピアが評した通り、習慣はときにわれわれの人生に素晴らしい成果をもたらす天使になる一方、気をつけていないと手がつけられない怪物にも変貌する。日常の暮らしに埋没するなかで心の問題は深く静かに潜行していく。その破壊力を過小評価すべきではない。ある習慣を始めるのはその人自身であるが、その習慣がやがてその人の人格やパーソナリティを形成・強化していくからだ。
 自分を常に気づかう習慣を身につけること、問題を溜め込み先送りする習慣ではなく、早めに問題に気づき手当てする習慣をつける大切さは、いくら強調してもしすぎるということはないことを日々痛感する。
 だから、日常の暮らしの生活相談に丹念に応じることはカウンセラーの出発点であり基本だと信じている。
 キーになるのは、「怪物(古い)の習慣探し」と「天使の(新たな)習慣づけ」だ。

 このことからして、もろもろの倫理的な卓越性ないしは徳というものは、決して本性的に、おのずからわれわれのうちに生じてくるものでないことは明らかであろう...ただ、習慣づけエトスによってはじめて、このようなわれわれが完成されるにいたるのである。

アリストテレス「ニコマコス倫理学」第二巻代第一章 高田三郎 訳 岩波書店

 習慣についての話をもう少し続けたい。今回は怪物で始まったが、次回はドラゴン(龍)が登場する。

cheetahさん

 こころの健康相談室 C²-Wave 六本木けやき坂


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