家庭科に対する認識の低さと教員の苦労

信じられないほどの勘違い

先日、記事が出ました。内容はともかく家庭科の認識の低さにあきれるばかりです。

特に

もともと家庭科教師になるには、大学の教育学部のほか、家政学・生活科学・服飾学・栄養学などを扱う学部・学科で資格をとります。家庭科教師になるために勉強をしていた学生は、普段は服飾を学ぶため、手縫いの練習のような授業と、調理を中心に栄養学を学んでいます。いわば専門学校と似たような実技中心の授業なのです。教えている大学の先生も家庭科の教師から大学や大学院に行った人など、正直「投資」を正式に学んだ人がいるとは思えません。

上記記事より

 いったいどこでそんな授業を学んだのでしょうか?
 私は教育学部ですし、実技の授業なんてほとんどありません。被服学も実験や文化学、思想など講義形式の内容がほとんどでしたし、実習よりも講義を軸として授業が展開されており、専門学校呼ばわりされる覚えなどありませんし、現場にいる家庭科教員を馬鹿にしているようにしか思えません。

投資の勉強≠お金の勉強

 金融リテラシーを鍛えましょう、と導入されたのはいいのですが、金融を扱える教科が家庭科もしくは公民になります。
 そうなると、受験教科でない家庭科に指導を任せるのは生活に密接した教科の特性上仕方ないことだと思います。
 そのうえで専門家を名乗る金融関連企業が講演に来ることもありますが、このコメント欄にも指摘がありましたが、金融関係者が都合の悪いことまで踏み込んで教えることができるのでしょうか。
 営業マンは都合のいいことしか言いません。保険も本当に必要でしょうか?投資信託にしてもiDeCoやNISAにしてもはたして無条件でよいものでしょうか?

 投資に限って言えば、投資の仕方、リスクの取り方、せめてふるさと納税といった比較的合法的な節税方法の指南が限界でしょうし、今現在行われているキャリア教育、進路学習と何が違うのでしょうか。
 お金の知識はあるに越したことはありませんが、教員も外資を中心とした金融会社に食い物にされている現状を見れば、生徒に教えられる以前に金融関係者側の新たな顧客の取り込みと刷り込みを高校生から行っているようにしか思えないと感じます。

根本にある家庭科軽視

 世界各地に家庭科の授業はあるのでしょうか。日本ほど小中高すべての年代で行っている国などないと思います。少なくとも生活に関する知識は家庭科が支えている反面、様々な教育が増えていけば家庭科を削って、ということも出るでしょう。
 これは家庭科に限らず、芸術科目を廃止する議論や古典はいらないなどいったことにつながります。
 10年に一度の改訂で最新の教育を教えるというよりもある程度煮詰まって指導がハッキリしたものを教えるほうがリスクも減りますし、現場の先生の苦労も減ると思います。
 今役に立つものよりも生きていくために必要な知識を取り込むための土台作りが初等教育でしょうし、中高の中等教育機関ではそれを基盤としつつも個人の選択によって必要な知識を自分で取りに行くことが求められると思います。

改めて「金融リテラシー」は低いのか

必要な金融リテラシーとは何でしょうか。
・家計の切り盛り
・お金の使い方
・お金の稼ぎ方
・将来への備え
・必要なお金を用意するための方法(投資、貯蓄、借入)

あたりが高校生にはちょうどいいと思います。そこから興味を持てば、実際に投資を始める子もいますし、どんな企業に努めたいのかなどキャリア形成につながっていくでしょう。
 なんだかよくわからないけど、怖いと思うのはもちろんですが、考えたうえで投資をしないことやリスクを回避することはリテラシーが低いとは言えないでしょう。
 海外と比べて~の前に海外では何を学んでいて、どれだけ有効なのか、国家の違い、教育の違いなど検証すべきところはありますが、何でもかんでもやっておいて現場が悪いとおっしゃるならその現場を指揮する文部科学省はどれほど無能な官庁なのでしょうか?
 満足に研修も指導も結果も出せないような文科省が結局、現場の優秀な先生たちの負担によって何とかなっている現状でしょう。
 もっと言えば、進学校や私立を含め、高所得家庭ならすでに学校でなくても金融リテラシーぐらい持っているでしょう。

 記事の筆者もまともに投資の授業はできるのでしょうか?かつてあなたの勤務した大学には家庭科教員を養成する課程があったと思いますが、何を見ていたのでしょうか。古い教員の批判をし、デジタル化が遅れているとか副業は学校でだの自分の見聞きした範囲でしか言えない現状と明らかな取材不足は筆者にも「間違ったことを教えている」感覚はないのでしょうか?

今回はかなり腹立ったので勢い余って書いてしまいました。

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