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市民病院裏

これは私が4歳のころの古い記憶のお話です。

当時、子供用の三輪車を買ってもらったばかりで、兄弟のいなかった私は、
一人で家の周りを乗り回して遊んでいました。

そんな私のお気に入りの場所に、近くの市民病院の裏がありました。
出来てまだ数年しかたっていない新しい病院でしたが、その裏手は人通りや車通りもほとんどなく、何よりもその特殊な構造が遊び場として最適だったのです。

そこは道路と病院の建物の間に、地下へ通じる浅いU字形のスロープが設けられており、そのスロープをジェットコースターのように三輪車で一気に下るのが何よりの楽しみでした。

道路側には大人の背丈ほどの塀があったので、私は誰にも見咎められることなく、そのスロープを何度も何度もガラガラと走り下りたのでした。
スロープの底から見上げると、頭上には道路側から建物側へ何本もの太さの違うパイプが通っており、幼い私はそんな景色を眺めるのも好きでした。

スロープの底の建物側には、三つの鉄の扉が並んでいました。
右端の扉の脇には窓があり、今考えばリネン室だったのだと思います。
私が遊ぶ時間帯には、窓の内側はいつも暗く人の気配はありませんでした。

左端の扉はいつも閉まったままでしたが、これも今にして思えば霊安室に通じる扉だったのだろうと察せられます。

真ん中の扉はゴミの搬出口だったようで、この扉だけは時折開いていることがありました。
ここが開いているかどうかを確認してから、私はいつも遊び始めるのでした。

ある日、この扉が開いていて、ゴミを乗せた大きなカートが半分ほどスロープ側に出ていました。
カートの上には、帆布(はんぷ)製の四角いバッケットが乗せてあります。
昔のことですから、医療廃棄物の分別などは厳密に行われていなかったのでしょう。
バケットの中には、血の付いた包帯や、消毒液で黄色く染まったガーゼなどが山積みに積まれてありました。

私は、早くゴミ収集の車が来て、あのカートを持ち去ってくれないかと、道路沿いの塀際に隠れて、ジリジリとした思いで見ていました。
そうしてしばらく眺めていると、バケットゴミの山がなにやらゴソゴソと動いていることに気が付いたのです。

動物でもいるのかと、身を乗り出して見つめていると、ゴミの中からいきなりヌッと真っ白な腕が突き出てきました。
色こそ白粉(おしろい)を塗ったように真っ白でしたが、ごつごつとした男性の右腕が、肘のあたりまで突き出てきたのです。

腕はしばらくのあいだ、何かを探すように空中をフラフラとまさぐっていましたが、やがてバケットの縁をさぐりあてて、そこをがっしりと掴んだのでした。
するともう1本、今度は左腕が突き出てきて、同じようにバケットのもう一方の縁を掴みました。

そして、その両腕にぐっと力がこもったのが見えた時、スロープの反対側の入口から、ゴミ収集の鉄紺色のオート三輪トラックがゴトゴトと入ってきました。

その音が聞こえたのかどうなのか、白い両腕は一瞬氷りついたように動きを止めたあと、まるで海底の生き物がその穴蔵へ引っ込むように、するするとゴミの山の中に戻っていったのです。

トラックからは二人のおじさんが降りてきて、そのバケットをひょいと荷台に積むと、新しい空のバケットをセットして、スロープをガタガタと登って走り去ってしまいました。

あとには開いたままの扉と、空のバケットを乗せたカートが、なんだか所在なさげに残っていましたが、扉の奥の暗がりから、少しやつれたような女の人がいきなり出てきて、カートをその内側の暗がりに引きずり込むと、バーンという大きな鉄の音立てて扉を閉めてしまいました。

私は呆然とこの一連の出来事を眺めていましたが、なんだか恐いような悲しいような気持ちになって、三輪車をキイキイと漕ぎながら、その日は家に帰ったのでした。

明くる日、三輪車は後輪部分が壊れて乗れなくなっていました。
毎日長い時間乗り回していたからだと、母には叱られましたが、私自身は、あの奇妙な光景を目撃したからだと、密かに信じて疑わなかったのでした。

初出:2022.11.13 note
再掲:初出:You Tubeチャンネル
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