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鬼面の闇

今回は先日、Aさんという女性から聞いた彼女の友人のお話です。

Aさんは現在30歳で、友人K子さんさんとは高校の同級生でした。
高校卒業後はしばらく疎遠になっていましたが、
社会人になって一人暮らしをはじめたマンションが、偶然近所だったことで、休日に時々お茶やランチなどをいっしょにするようになった仲でした。

4年前の春頃、いっしょにランチを食べに行ったときのこと。
いつもはおとなしくて聞き役にまわることの多いK子さんが、めずらしく快活に話を聞いてほしいと言って、次のようなことを話しはじめたのだそうです。

K子さんは保育園で保母さんをしているのですが、その年の1月、来月の節分の豆まき会で鬼の役をやってくれないかと頼まれたのでした。
それまでは毎年、先輩の保母さんが率先して引き受けてくれていたのですが、その年は産休で休んでいたため、一番若いK子さんにお鉢が回って来たのです。

元来、おとなしくて引っ込み思案な性格のK子さんとしては、できれば断りたかったのですがそうもいかず、渋々引き受けました。
しかし内心では、安っぽい紙の鬼のお面をかぶって、豆をぶつけられながら大げさに逃げ惑う役などやりたくはなかったのです。

そんな思いを抱えたまま、気晴らしにと出かけた休日の買い物帰り、商店街のはずれにある骨董店の店先でふとK子さんの足が止まりました。
そこには「新春ワゴンセール」として、雑多な品が千円均一で並べられていたのですが、その中に鬼の面がひとつ、無造作に置かれてあったのです。

どうやら般若の面らしいのですが、制作途中で放棄されたものなのか、木地のままで彩色はされておらず、面打ちを始めてまもない素人が作ったもののように、微妙に造形のくるった感じの無骨な面でした。
しかし、それが逆に勢いがあって、K子さんには妙に魅力的に見えたのでした。

惹きつけられるようにK子さんはその面を手にとりました。
持ってみると面は以外に軽く、内側には何か紙が貼ってあったような跡がありました。
木地は全体的に油を含んだようなしっとりとした感触で、匂い立つ甘いお香のかおりが鼻孔をくすぐります。
恐るおそる面を顔にあててみると、ぴったりと貼りつくような感じで、小さな目の穴の限られた視界から見る景色も、どこかしら異空間めいて見えたのでした。

彼女はふと思いました。
今度の豆まき会、このお面をかぶったらどうだろう?
どうせやるならこれをかぶって、本気で子どもたちを驚かしてやろうかという、ふだんのK子さんからは考えられないような思いが湧いてきたのだそうです。
K子さんはためらうことなくその面を買って帰りました。

豆まき会当日、子どもたちの反応はK子さんが想像した以上のものでした。
怖がって泣いて逃げ惑う子や、本気で豆を投げつけてくる子、驚いているほかの保母さんたちの表情など、鬼の面のせまい視界に展開される世界は、彼女がこれまでに経験したことのないものでした。
面や身体に当たる豆がK子さんにはかえって心地よく、とても爽やかで充実した気分で一日を終えたのだそうです。

その数日後のこと、K子さんは職場で保護者から理不尽なクレームをつけられました。
まわりの保母さんも誰ひとり庇ってくれず、K子さんは悶々とした思いを抱えて帰宅したのでした。
いつもならこういう時は、熱いシャワーを浴びて、好きな料理やお菓子を食べたりして気晴らしをするのですが、その日はなぜか置きっぱなしになっていた鬼の面が目についたのだそうです。

その面を見たとき、K子さんの心の中には、豆まき会でのあの爽快な気分の思い出が蘇ってきたのです。
K子さんは面を手に取りかぶってみました。
両目の小さな穴からの視界と、その周囲に広がる暗闇に、K子さんはなんともいえない安堵感をおぼえました。

それと同時に、その日自分に浴びせられた理不尽で心無い言葉や、冷淡なまなざしに対する、彼女の本心が自然と口をついてでてきたのだそうです。
それはしだいにはっきりとした不平不満の言葉となり、彼女がこれまで抑え込んで我慢してきた周囲の人や事柄への悪口雑言(あっこうぞうごん)となっていきました。

彼女が今まで一度も口にしたことがなかったような言葉が、あとからあとから黒い水が吹き出すように溢れ出てきたのです。
しかもそれは感情に任せての叫びなどではなく、自分でも驚くほど冷静で、実に淡々とした口調でした。

そのような状態がどれくらい続いたのでしょう。
気がつくと彼女は鬼の面をかぶったまま寝てしまっていたのでした。
そして、目覚めたときには昨日の鬱々とした気分が嘘のように、実に爽やかだったそうです。

その日以来、K子さんは帰宅すると鬼の面をかぶり、その日の愚痴を夜毎つぶやいているのだとか。
Aさんは、夜中に鬼の面をかぶって呪文のように愚痴をつぶやいているK子さんの姿を想像して、内心ゾッとする思いだったのですが、目の前で明るく話すK子さんを見ていると何も言えずに、その時は適当に話を合わせて別れたのだそうです。

それから数ヶ月たった夏のある日、偶然K子さんと街で出会い、お茶に誘われました。
K子さんは前回にも増して明るく快活なようすで、以前に比べるとまるで別人のようでした。

話を聞いてみると、鬼の面をかぶって愚痴をつぶやくのは、今では日常習慣のようになっているとのこと。
それどころか最近では外出時にも持ち歩いていて、そうしないととても不安になるのだと言うのです。
K子さんはそう言いながら持っていたトートバッグのなかから黒い布袋を取り出しました。

袋をあけると中からは、焚き込められたようなお香の甘いかおりを放つ、赤黒い色をした木彫りの面が出てきました。
通常の般若面と比べるともう少し顎が張っていて、いわゆる鬼の感じに近いもので、全体に油で磨き上げたようなしっとりとしたツヤがありました。
その面を愛おしそうに撫でながら、K子さんはさらにこんなことを言うのでした。

「それでね、一ヶ月くらい前の夜中、コンビニに行った帰りに近くの公園に寄ったの。まわりには誰もいないし、ベンチに座って思い切ってこのお面をかぶってみたの。気持ちよかったわ。それでいつものように憂さ晴らしにつぶやいててね、ふっと顔を上げると目の前に人か立ってたの。わたしと同い年くらいの男の人でね、わたしが驚いてお面を外そうとすると、そっと片手で止めて、どうぞそのままって言ったのよ」

そして男性は、もっとあなたの話を聴かせてほしいと優しい声で言って、K子さんの隣に座ったのだそうです。
彼女はその声にうながされるままに、お面を被った状態で愚痴や不平不満を話し始めました。

彼女のとりとめのない話を、男性は真剣な表情で口をはさむことなく聞いてくれるのでした。
そしてひととおり話し終えたときには、これまで独りでつぶやいていた時以上にすっきりとした気持ちになったのだそうです。

それ以来K子さんは毎日、深夜に公園に出かけていっては、鬼の面をかぶっての奇妙なデートを重ねたのだそうですが、ある日思い切って男性にうちに来ないかと誘ってみたのでした。

「でね、この前からわたしたちいっしょに暮らしてるの。きょうもいっしょに買い物に来た途中だったのよ」
そう言って彼女はとても嬉しそうに微笑むのでした。

「ただ、ちょっと面倒なのは、このお面をかぶらないと彼の姿が見えないことかな」
そう言うとK子さんは鬼の面をそっと顔に当てたのです。
その瞳の、丸くくり抜かれた穴からは、K子さんの黒く光る両目が無邪気にAさんを見つめます。
「あっほら、彼、今あなたの後ろに立ってるわ。どうぞよろしくって言ってる」

その言葉を聞いてAさんが早々に話を切り上げて喫茶店をあとにしたのは言うまでもありません。
その後コロナが流行りはじめ、K子さんと会う機会もなくなったということですが、今はどんな生活をしているのか、毎年節分の頃になるとふと気になるのだそうです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験談受付け窓口 七十一日目
2023.2.6

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