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みふみ

今回は、私が中学生の時に父から聞いた、ほんの少しだけ不思議なお話です。

私の父は、県立図書館に司書として長く勤めていました。
昭和40年頃のこと、同僚に蜂谷さんという男性司書がいたそうです。
父よりは10歳ほど年下でしたが、その明るくひょうきんな性格で、司書仲間のムードメーカー的存在だったそうです。

そんな蜂谷さんが、ある日、とある書架(本棚)の前で一冊の文庫本を手にして、いつになく沈んだ表情で立っていたのだそうです。
彼が前にしていた書架は、誤返却の本を一時的に保管しておく場所でした。
返却された本、特に休館日の無人の返却口に返された本の中には、図書館のものでない本が混じっていることが時々あるそうで、そうした本を一時的に保管しておく棚の前に蜂谷さんは立っていたのです。
(ちなみに持ち主が現れなかった本は、落とし物と同じ扱いで、3ヶ月から1年ほど保管したのちに処分されます)

「その本、どうかしたの?」と聞いた父に、蜂谷さんは首をかしげながら
「これ、見覚えがあるっていうか、たぶん昔ある女の子に僕が贈った本みたいなんですよね」と言うのです。
ちょうど閉館時間も近く、仕事も一段落したときだったので、その場にいた父たち数人は好奇心もあって、蜂谷さんに詳しく話を聞いてみたのでした。

蜂谷さんが言うには、図書館に勤め始めてまだ間もない頃のことだったそうです。
彼は移動図書館の勤務をしていました。
本を満載した車で、県北などの僻地を回って貸出業務を行う仕事で、基本的には各町や村を、一ヶ月に一回のローテーションで巡回していく仕事です。

そんな毎日の仕事のなか、県北のある町で、彼はちょっと気になる女の子に出会ったのだそうです。
年齢は中学生くらい、目鼻立ちのはっきりとした、田舎には珍しく垢抜けた感じのする可愛らしい子だったのですが、それよりも蜂谷さんの目を引いたのはその本の借り方でした。

雑多な本に混じって、一ヶ月おきに必ずウェブスターの『あしながおじさん』を借りているのです。
一度借りた本は連続して借りることができないルールになっているので、実質的には彼女は常に『あしながおじさん』を借り続けていることになります。

本に付いている図書カードの借り手の名前を見ても、その女の子の名前がきれいに並んでいたのでした。
〈加藤みふみ〉それが彼女の名前でした。
当時としては珍しい名前の響きも、蜂谷さんが彼女に注目した理由のひとつでした。

「いつも借りてくれてありがとう。この本そんなに好きなの?」
あるとき蜂谷さんは彼女にそう尋ねてみたそうです。
すると彼女は、驚いたような表情のあと小さくコクリと頷きました。
そしてこの日以降、二人は言葉少ないながら、短い会話をするようになっていったのでした。
とても内気な少女で会話も断片的でしたが、ポツリポツリと話す彼女の言葉をまとめると、次のようなものでした。

「わたしの名前は加藤みふみ。
本当は漢字で「美文」と書くのだけれど、「よしふみ」と読まれて男の子に間違われるのが嫌なので、いつも平仮名で書いています。
今は中学2年生。『あしながおじさん』は小学校3年の時に初めて読んで以来大好きで、今まで数えきれないくらい繰り返し読んでいます。

わたしの家は貧しくて、中学を卒業したら働きに出なければならないのだけど、もしかして、もしかして万が一奇跡がおきて、自分にもあしながおじさんのような人が現れないかな…、そして、この本の主人公のように楽しく活き活きとした学生生活を送れたらなんて…、叶いもしないことはわかってぃるけれど、それでもこの本を読まずにはいられないんです…」と、いったものでした。

やがて、彼女が卒業間近となり、借りていた本を返しにきたときに、蜂谷さんは『あしながおじさん』の文庫本をプレゼントしたのだそうです。
その日彼女はその文庫本だけを大事そうに持って帰り、そのあとは二度と本を借りに来ることはなかったそうです。
蜂谷さんもその後、移動図書館の勤務からほかの部署に移り、〈加藤みふみ〉という少女のこともいつしか記憶の彼方へ遠ざかっていたのでした。

「へぇー、そんな本と再会するなんて、すごい奇跡ねぇ」と、話を聞いていた女性職員が感嘆の声をあげると、
「いや、それが奇跡じゃないんです」と蜂谷さんは言うのです。

「実は僕、ここ数日同じ夢を続けて見ていたんです。
図書館の、赤い夕日が差し込むこの部屋に僕一人だけがいて、帰り支度をしていると、目の端を白っぽい服を着た女性がすっと横切るんですよ。
誰だろうと思ってあとを追ってみると、女性はあの誤返却の書架の前まで行って、棚の隅っこを指さして、さびしそうに笑いながら消えていくんです。

その顔がどこか見覚えのあるようで気になっていたんですが、目が覚めて、図書館に来たころにはいつもすっかり忘れてたんです。
それが、さっきふっと思い出して確かめてみたら、女性が指さしていたところにこの本があって、この名前が…」
そう言いながら開いて見せた本の最後のページの片隅には、うす青いインクのか細い文字で【加藤みふみ】と書かれていたのでした。
「あの夢の中の女性は、きっと彼女の成長した姿だったんでしょうね…」
蜂谷さんはそうしんみりとした調子で言います。

改めて見ると、その古い新潮文庫には、手ズレやよごれ、開きグセがかなりあり、何度も大切ににまれていたことがうかがえるものでした。
〈加藤みふみ〉という少女が、就職後どんな人生を送ったのか、そしていまも存命なのかは知るよしもありませんが、話を聞いていた誰もが、胸に寂しい思いをいだきながら家路についたことは間違いありませんでした。
翌日、蜂谷さんは上司に事情を説明して、廃棄処分されるはずだったその本を引き取り、愛おしそうにカバンにしまって帰って行ったのだという…、そんなお話でした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 九十一日目
2023.10.7
再掲:You Tubeチャンネル 怖い図書館
市桜怪談夜話 第32回「本&写真関連怪談」
2024.3.3

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