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宵花火

これはマサコさんという現在50代の女性から聞いたお話です。

マサコさんが大学1年生の夏休み、お盆に帰省して、そのまま半月ほど実家に滞在したときのことです。
まもなく8月も終わろうとするある日の夕方のことでした。

その日は両親は旅行で不在、高校生の弟も部活の合宿で家をあけており、マサコさんひとりが留守番をしていたそうです。
特に見たいテレビもなく、これといってやることもなかった彼女は、居間の畳に寝転んでぼんやりと天井を眺めていました。

その時にふと、本棚の上に置きっぱなしになっていて少しはみでている、派手な色の袋の端が目にとまりました。
花火セットの袋です。
お盆のときに姉とその2歳の息子も帰省していたのですが、その孫のために両親が大量に買い込んで、結局は余ってしまった花火セットがそのままになっていたのでした。

〈このままじゃ、湿気てだめになってしまうなぁ〉と思いながらしばらく見上げていた彼女でしたが、〈別にやることもないし、ひとり花火でもしてみるか…〉と思い立ち、用意をはじめたのだといいます。

庭に父親が魚釣りで使うレジャー用の折りたたみ椅子を広げ、ローソクや蚊取り線香、小さなバケツ、ライターなどを用意してあたりが暗くなるのを待ちます。
花火は三袋分ほどありましたが、派手な手筒花火や、さまざまなキャラクターが描かれた絵型花火はすでになくなっており、残っているのはススキ花火やスパーク花火、線香花火ばかりでした。

午後7時頃、空にはまだほんのりと夕明りが残っていましたが、待ちきれなかったマサコさんは最初のススキ花火に火をつけました。
シューッという音とともに吹き出した火花は、次々に色を変えてすぐに終わってしまいます。
次にスパーク花火。こちらはパチパチと音を立てながら、四方八方に火花を飛び散らせて、ススキ花火よりも長く周囲を照らして消えていくのでした。

そうやって吹き出す火花の色を楽しんで、3本目に火をつけたとき、マサコさんは背後の植え込みの根方に、白いもやのようなものがひとかたまり漂っていることに気付きました。
花火の煙かとも思いましたが、流れたり薄くなったりすることはなく、そのままの状態で漂っています。

〈なんだろう?〉と手にした花火を明かり代わりにして見つめると、そのもやの中に薄っすらと見知った顔があることに気が付きました。
〈えっ?〉と思い、よく見ようと身体を乗り出したところで花火が終わり、その白いもやも見えなくなってしまいました。

もやのあったあたりにロウソクの明かりを近づけてみましたが、特になにもありません。
見間違いだったのかと思いながら、次の花火に火をつけて植え込みのあたりを見てみると、そこにはさっきと同じ白いもやがあり、懐かしい顔がこちらを見つめています。

「チビ…?!」
マサコさんは思わずそう声に出していました。
そこにいたのは、彼女が高校生のときに亡くなった愛犬の姿でした。
生前と同じように、黒く丸い目でじっとマサコさんを見上げているのです。

チビはマサコさんが生まれて間もないころ、近所をさまよっていたところを両親が保護した犬でした。
大きさは柴犬よりも少し小さいくらいで、鼻先から目のあたりと両耳、それにしっぽが黒いほかは、全体に白っぽい長い毛並みで、一見すると白いタヌキのような姿でした。

彼女が物心つくころにはほとんどおさまっていましたが、保護した当初はときどき癲癇(てんかん)の発作を起こしていたそうで、そのせいか普通の犬のように飛んだり跳ねたりすることはなく、吠えることもまったくといっていいほどない大人しい犬だったのです。

そんな性格だったので番犬ではなく、室内犬としてマサコさんたち兄弟の良い遊び相手になっていました。
活発で外遊びが好きだった姉や弟とは違い、内気で内向的だったマサコさんには特に良くなつき、いつも傍らにいて、寝るときもいっしょでした。
マサコさんが高校生のときに老衰のため亡くなりましたが、彼女は学校に行っていたため、その最期を看取ることはできなかったのです。

そのチビがこうして目の前にいる。
そう思うと恐ろしい気持ちなど微塵もなく、ただただ懐かしい気持ちでいっぱいだったそうです。
思えばその植え込みの陰は、亡くなったチビを埋めた場所でした。
「チビ、おいで」
次々と花火をつけかえながら、彼女はそう呼びかけました。

その声に、白いもやは生きていたときと同じように、ゆっくりとマサコさんの傍らへと近づいてきました。
もやの中の顔はあの頃のまま、黒く丸い瞳で彼女を見上げています。
彼女はその白いもやへそっと手を伸ばしてみました。
もちろん手はなんなくもやを突き抜けたのですが、彼女の手のひらには、むかし数えきれないほど撫でた、あの懐かしい毛並みの手触りが蘇ってきたのでした。

マサコさんはその手触りを感じながら、もやを撫で続けました。
新たな花火に火をつけるたびに、楽しかった昔の想い出が蘇ってきます。
食事のときはいつも彼女のそばに座って大人しく待っていたこと。
母親が余り毛糸で編んだ変な色のちゃんちゃんこを着せられておすまししていたこと。
夏には母親に毛を刈られて虎刈りの子羊のようになっていたこと。
弟にマジックインキで眉毛を描かれて家族全員で大笑いしたこと。

そのようなことを次々に思い出しているうちに、明るい花火はすべて終わり、あとは線香花火だけになってしまいました。
その小さな暗い光の中にぼんやりと浮かび上がったチビの顔に向けて、マサコさんは長年気になっていたあることを謝りはじめたのでした。

それはマサコさんが小学生のころ、学校での出来事で虫の居所が悪かった彼女は、いつものようにそばに寄ってきたチビの頭を、これといった理由もなく叩いたのでした。
するといつもは鳴くことのないチビが「キャン」と一声鳴いて、悲しそうに彼女を見上げたのです。

それを見て彼女は慌ててすぐに謝ったのですが、それ以来、この場面は大学生となったその時まで、折に触れて拭いきれないトラウマとして、何度も心の中に蘇ってくるのでした。

「ごめんね…ごめんね…」
そう言いながらマサコさんは幻のチビの背中を撫で続けました。
その頬にはいつしか涙が流れていました。
そして線香花火の最後の一本が、小さな火の玉のひとしづくとなって落ちようとしたとき、彼女の耳に「ワン!」と一声、チビの鳴き声が聞こえたのだといいます。

「なんかあの一声で、長年の胸のつかえがとれたような気がしてね…」
マサコさんはそう言いながらそっと目頭を押さえたのでした。
チビが亡くなってから、ちょうど三年目の夏の終わりの出来事だったといいます。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験談受付け窓口 八十六日目
2023.8.19
再掲:怖い図書館 桜月ライブ
2024.3.17

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