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抱き人形始末

これは十年ほど前、バイクショップの店員をしていたFさんという40代の男性から聞いたお話です。

Fさんが30歳になった年のことです。
そのときはバイク仲間だった奥さんと結婚して2年目で、市内のアパートに二人で暮らしていました。
4月も20日を過ぎた頃、Fさんの実家の70歳を過ぎたお祖母さんから、突然電話がかかってきたのだそうです。

頼みたいことがあるから、今度のゴールデンウィークに戻ってきてくれないかという内容でした。
頼みたいこととは?と尋ねてみても、それは帰ってきてから詳しく話すと言って、具体的なことは教えてくれませんでした。
なにか深刻な口ぶりだったので、奥さんと相談して、その年の連休は夫婦別々にそれぞれの実家に戻ることにしたそうです。

Fさんの実家は県北の田舎町のはずれにあり、敷地内に蔵のある昔ながらの大きな農家でした。
祖母と両親、兄夫婦にその長男の6人家族で、今はお兄さん夫婦があとを継いでいます。

新緑の田舎道を、愛車の400ccのバイクを駆って、Fさんが実家に着いたのは連休3日目の5月1日の夕方でした。
帰省は正月以来でしたが、5ヶ月ぶりに訪れた実家はなんとなく活気がなく、どんよりとした雰囲気が漂っていました。

迎えに出てくれたお祖母さんが言うには、父と兄はそれぞれ仕事中に足をケガして、この半月ほどは歩くのもままならない状態。
お母さんと兄嫁は、これも二人とも体調が悪く、ここ数日は寝たり起きたりを繰り返しており、満足に動けるのは自分と5歳になる男の子だけだと言います。

夕食もそこそこに、お祖母さんはFさんを自分の部屋に招き入れました。
部屋に入るとすぐに、片隅に置かれたダンボール箱が目に入りました。
ガムテープできっちりと封がしてあり、蓋にはお札(ふだ)らしきものが数枚貼ってあります。

「これなに?」Fさんは思わずそう尋ねました。
「抱き人形。ほれ、去年蔵から出てきた…」とお祖母さんは答えます。
そう言われてFさんは、ああと思い当たったのでした。

前の年の暮れに、大掃除のついでに蔵の片付けをしたのですが、その時に蔵の奥にあった古い葛籠(つづら)の中から、一体の抱き人形が出てきました。

Fさんは、正月に帰省したときに見せてもらったのですが、頭と手はソフトビニール、胴体はスポンジ入りの布製の女の子の人形で、身長は50センチほどの大きなものでした。

寝かせたり起こしたりすると、お腹に仕込まれた笛がぴぃ〜と鳴るママー人形と呼ばれるものです。
フード付きの赤に白い水玉模様のはいったベビー服を着ており、古いもののわりには、とても綺麗な状態だったのを覚えています。

母や兄嫁はカワイイと言って居間に飾っていたはずでしたが、それがまたなぜこんな箱詰めにされてしまっているのか…
お祖母さんはこんな話をしてくれました。

この人形は、昭和50年頃に一時期同居していた、お祖母さんの遠縁にあたる一家の女の子が、たいそう可愛がっていたものだったそうです。

彼女は生まれつき体が不自由で、ほぼ寝たきりの状態のまま、6歳にもならないうちに亡くなってしまいました。
その後、どういう経緯かはわかりませんが、人形は蔵の奥にしまわれたまま長い年月がたったものだったのです。

蔵から出してしばらくは居間に飾っていたのですが、一ヶ月ほど経ったころから、夜中に突然鳴き声を発して動いたり、朝になると廊下や仏間に移動していたりという怪現象が起き始めたのだとか。
当初カワイイと言っていた母や兄嫁も、しだいに気味悪がるようになり、思い余って菩提寺の住職に相談したのだそうです。

住職は、
「さほど悪いものとは思えないが、この人形にはなにか強い念がこもっているようだ。しかし、自分のお寺では対処できかねる。
近くの町に人形供養をしているお寺があるので、気になるようなら、そちらにお納めしてお焚き上げしてもらいなさい」
と言ってお経をあげ、お札(ふだ)をくれて帰ってしまいました。

さほど悪いものではないと言われても、やはり気味悪く、さっそく教えてもらったお寺に連絡して、持ち込む手はずを整えたのでした。

しかし、いざお焚き上げに持って行こうとしたその週になって父と兄が相次いで足を痛め、母と兄嫁も体調不良で、誰もお寺に持っていけるものがおらず、県南に住むFさんに白羽の矢が立ったのだということでした。

それを聞いたFさんは、「宅配便で送ればいいのに」と言ってみたのですが、相談した住職や供養をしてくれるお寺への礼儀としても、家族の誰かが直接持って行くべきだと祖母や両親から反対されてしまいました。

Fさんはそれでも
「きっと寂しがってるんだろ。
お焚き上げに出されたくないから、いろいろと抵抗してるんだ。
このまま置いておいてやればいいじゃないか」と食い下がってみましたが、なにを呑気なことを言っている、とにかく気味が悪いから、なんとかお前が持っていってくれと家族全員から強く言われて、しぶしぶ従うことにしたそうです。

翌朝、Fさんは人形の入った箱を、バイクの後部シートにくくりつけて家を出ました。
目的地のお寺までは片道1時間ちょっとの距離です。
家族からは父親の車を使えと言われたのですが、用事を片付けたあとは近くをツーリングしたいという思いもあり、乗りなれたバイクにしたのでした。

しかし、走り出してまもなく、後ろの箱からカサカサカタカタという異音が聞こえはじめました。
音はしだいに大きく激しくなり、箱に触れているFさんの身体にもその振動が伝わってきます。
この状態で、あと1時間バイクを走らせるのはとても無理だと思ったFさんは、どこか人目につかないところで箱を捨ててしまおうと思ったそうです。

どこか良いところはないかと焦りながら考えていると、近くに神社があったことを思い出しました。
子供の頃、境内で何度か遊んだことのある神社です。
Fさんは背後の箱の音に急かされるように、すぐに脇道に進路変えて、やがて神社の長い石段の下にバイクを止めました。

急いで箱を縛っていたロープをほどきます。
その間にも箱の中からはドンドンという衝撃と音が響いています。
度重なる衝撃のためか、箱の蓋をとめていたガムテープも一部分剥がれかけているのでした。

Fさんは暴れる箱を両手で抱えて、前のめりに石段を駆け上りました。
上りきった先に鳥居があり、その先は神社の境内です。
しかし、上り切るまであと数歩のところで、ついにガムテープが破られてしまったのです。

ドンという音とともに箱の蓋が勢いよく開き、中から赤い色のかたまりがFさんの右腕にすがりつくように飛び出してきました。
あの抱き人形です。
驚いたFさんは反射的に腕を大きく振り払いました。
ダンボール箱が足元に落ちる音と同時に、人形は一直線に鳥居へと飛んでいきました。

鳥居の柱に人形があたったと見えた瞬間、その赤いかたまりは何かに弾かれたように、大きな孤を描いて神社脇に広がる森のかなたへ飛んで行ってしまったのです。
それは通常では考えられない角度と飛距離でした。

たて続けに起こったありえない出来事に、Fさんはただ愕然と人形が描いた放物線の軌跡と、その消えていった先を見つめるばかりです。
目の前の森の中から人形を見つけだすことは、おそらく不可能だろうという現実的な考えと、それにも増して思いがけず厄介払いができたという安堵感で、Fさんはしばらく呆然と立ち尽くしていました。

やがて空箱とともに家に戻ったFさんは、起こったことを家族に話しました。
菩提寺や、行くはずだったお寺へも事情を説明して詫びをいれましたが、神社の神様がうまく処分してくださったのだろうということで、この件は一旦は落着したのでした。

この一件から約半年後。秋も深まった10月の終わりのことです。
Fさんが仕事から帰宅してみると、リビングのテレビのかたわらに、赤い服のあの抱き人形がちょこんと座っていたのです。
捨てたはずの人形が戻ってきたのかと、ひと目見てFさんは全身に鳥肌がたったそうです。

驚いて奥さんに尋ねてみると、ゴミ置き場にあったので持ってかえってきたとのこと。
その日は町内のゴミ置き場の掃除当番で、昼過ぎに奥さんが行ってみると、この人形が剥き出しの状態でぽつんと一つ残されていたとのことでした。
Fさんの住む市では、指定のゴミ袋に入れていないと回収してくれないので、そのせいで残されたのかなと思いましたが、見てみるとほとんど汚れもなく、顔も可愛かったので持って帰ってきたのだとか。

「ね、可愛いでしょ」と何も知らない奥さんは無邪気に言うのです。
そう言われてFさんは改めてまじまじと人形と向き合いました。
偶然の一致かもしれませんが、神社の森のかなたへ飛ばされて行ったあの人形と、どうやら同じ種類のもののようです。
そして、そのあどけない顔を眺めていると、Fさんはしだいに不気味さよりも憐れに思えてきたのでした。

可愛がってくれていた女の子には早くに死に別れ、その後は暗い蔵の葛籠(つづら)の中に永く押し込まれたあげく、ようやく再び陽の目を見てまた可愛がってくれると思ったら、見つけてくれた家族には疎まれ、挙句の果ては神社の神様にも拒絶されてしまったのです。

あの日、お焚き上げに持っていけという実家の家族に対して、一人だけ置いておいてやればいいじゃないかと言ったFさんの声を聞いていた人形が、最後の拠り所として自分を頼って、こうして姿を現したのではないか…
見ればみるほどそのように思えてきたのでした。

Fさんは奥さんに事情を説明し、自身の思いを伝えました。
それを聞いて奥さんも理解してくれて、人形はそのまま家族の一員となったのだそうです。

そして、それから約5年間は、別段怪異が起きることはありませんでした。
Fさん夫婦の間にはアイちゃんという女の子が生まれ、やがて人形はその子のお気に入りとして、いつもいっしょに居る大切な存在となっていきました。

ある日のこと、Fさんの奥さんはアイちゃんを連れて近くの公園にでかけました。
アイちゃんは両腕で人形をしっかりと抱きかかえています。
公園に着くと、アイちゃんは砂場で人形を相手にままごと遊びをはじめました。
奥さんはその姿を眺めながら、同じく子どもを遊ばせに来ていた近所のお母さんたちとの立ち話に花を咲かせていました。

しばらくしてふと見ると、娘はままごと遊びをやめて、ボール遊びをしている年上の子たちのようすをじっと見ています。
そろそろあんな遊びにも加わりたい年頃になったのかと、奥さんはほほえましく見ていました。

すると、そのボールがそれてアイちゃんの目の前を勢いよく転がっていったのです。
あっと思うまもなく、アイちゃんはそのボールを追って駆け出していきました。
ボールは公園の外へと転がって行き、アイちゃんも夢中でそれを追いかけて行くのでした。

奥さんは慌ててアイちゃんのあとを追いました。
見ると公園の外の道には、運悪くゴミ収集車がかなりのスピードで来かかっています。
奥さんはアイちゃんの名を叫びながら追いかけましたが、あと少しのところで間に合いませんでした。
あたりにクラクションと急ブレーキの音が響き渡ります。

「あっダメだ、轢かれた」と奥さんが思った瞬間、アイちゃんの腕の中から赤いかたまりが飛び出しました。
その反動でアイちゃんは尻もちをつき、すんでのところで車との接触は避けられたのです。
そして、ゴミ収集車のタイヤの下には、潰れた人形の顔と赤いベビー服が無惨に覗いていたのでした。

泣きやまないアイちゃんとともに、奥さんに抱えられて家に戻った人形の亡骸は、その後、不気味な呪物などではなく、娘の身代わりになってくれた大切な品として、Fさん夫妻の手によって、お寺でねんごろに供養されたということです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
テーマ回「呪物が関係する不思議怖い話」
2023.2.19

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