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タヌキの婿入り

私は小学校を卒業するころまで、夏休みには母親の実家によく泊まりに行っていました。
特に小学4年の夏休みは、前年の暮れに、それまで通っていたヴァイオリン教室をやめたこともあり、7月末から8月末までの約1ヶ月間を田舎の家に預けられる形で過ごしたのでした。

当時母の実家は、元のいかにも農家然とした古い建物のそばに、新たに平屋の大きな家を建てて間もない頃で、祖父母と母の姉である伯母夫婦、それにいとこ姉妹の18歳になる妹の5人暮らしでした。

田舎暮らしの夏休みといっても、私は街なかで育った一人っ子です。
地元の子ども達と遊んだり虫採りに行くようなこともなく、外遊びといえばせいぜい家の横の小川で、ひとりで蛙釣りをする程度。
1日の大半は祖父母の部屋に入り浸っていました。

それにその年は、実家の旧母屋の2階を大学生に貸していて、彼が帰省している間は、納戸いっぱいに彼がため込んでいた漫画雑誌の山を自由に読むことができたため、毎日飽きるということはありませんでした。

そんなある日、夕食を終え、食後のスイカも平らげた私は、風呂あがりの髪を乾かしながら、縁側に立ってすっかり暗くなった外の景色を眺めていました。
背後では伯母といとこが、私が寝る八畳間に蚊帳を吊る準備をしています。
足元に置いた蚊取り線香からはひとすじの白い煙が立ちのぼり、そのいかにも夏らしい香りが鼻をくすぐります。

縁側の先は小さな池のある庭になっており、その先には当時はまだ舗装もされていなかった田舎道の県道を挟んで、遠くまで田畑が広がっているのですが、それも今は一面の暗い闇の中に沈んでいます。
さらにその田畑の先には、丘といってもいいくらいの小山がひとつ、夏の明るい夜空を背景に黒いシルエットを見せているのでした。

そのような景色をぼんやりと眺めていた私でしたが、ふとあるものに目がとまりました。
畑の先の小山の中腹あたりに、松明(たいまつ)のような明かりがひとつ、ぽっと点ったのです。
ゆらゆらと揺れる明るいオレンジ色のその明かりは、見ているうちに二つ、三つと等間隔に増えてゆき、しまいには山の中腹に一列に連なって点々と揺らめいているのでした。

〈あんなところでお祭りでもしているのかな?いや、だいたいあそこに道なんてあったかな?〉などとあれこれ考えていた私でしたが、ちょうどそばに来た祖父の多吉に「あれはなに?」と指さして尋ねてみました。
すると祖父は、山の方を一瞥して「ありゃあキツネの嫁入りじゃ」といとも簡単に答えてくれたのでした。
「あんなもんは、このへんじゃあようあることで、そんなに珍しいことでもありゃぁせんで」
そういう声を聞きながら、なおも一心に眺め続けている私に、祖父は
「わしは若けぇころに、キツネの嫁入りどこぉか(どころか)、タヌキの婿入りちゅうもんを見たことがあるんぞ」と言って、こんな話を聞かせてくれたのです。

祖父が30代はじめの頃と言いますから、昭和10年代の出来事かと思います。
当時多吉青年は電力会社に勤めており、電気の検針と集金の仕事をしていました。

田舎のことですから、当時はまだ電気が来ていない家も多く、担当区域に点在する電気の来ている家々を自転車で回って、比較的のんびりと業務をこなしていたのだと言います。
そんな検針のルートの中に一軒の陶芸家の窯元がありました。
山ひとつ越えた辺鄙なところにあり、そこだけは毎回、自転車ではなく徒歩で検針に行っていました。

ある年の夏の終わり頃、その日も山を越えて検針に行ったのですが、ついつい話し込んでしまい、帰路についたのは夕方の5時近くだったそうです。
〈この分じゃあ家に着くころには暗うなっとるじゃろうな〉などと思いつつ急ぎ足で山を越え、あと少しで麓の町に着こうかというころでした。

くだっている山道の先から、なにやら見慣れぬ行列が登って来ているのに気がづきました。
先頭が持つ竹竿の先には、見慣れぬ家紋が入った高張提灯が掲げられ、その後ろには笛と太鼓がヒョロヒョロ、トントンと頼り投げなお囃子を奏でています。
それに続いて羽織袴や留袖姿の一団が、手に手に提灯を持ってぞろぞろと山道を登ってくるのでした。
何ごとだろう?と思った多吉青年でしたが、せまい山道でのこと、このままではぶつかってしまうと思い、とりあえず脇の藪の中によけてやり過ごすことにしたそうです。

登って来た行列は、じっと立って見ている彼の前を、軽く会釈をしながらみな笑顔で通り過ぎて行きます。
その中には晴れ着を着た子どもたちも何人か混じっていました。
どの顔も似たような丸顔ばかりで、近在では見たことがない人たちばかりだったのが印象的だったといいます。

列の中程には四人の屈強な担ぎ手に担がれた輿(こし)があり、輿の上には羽織袴に裃(かみしも)をつけた若者がひとり、キッっと前を向いて端然と座っているのでした。
輿(こし)の後ろには、これも屈強な男たちに担がれた黒い長持(ながもち)が三棹続き、最後は世話役らしい老人が数人、なにやら話しながら従いて行きます。

「もし」
〈やれやれ、これでやっと通れるかな〉と思い、歩き出そうとした多吉青年に、しんがりの老人がふいに声をかけてきました。
「もし、そこのお方。とんだ足止めをさせてしもうて、すまんことじゃった。
今日は晴れの婿入りじゃ。
この行列に行きおうたのも何かのご縁、旨い酒や美味しい料理もぎょうさんありますけぇ、お前さんも一緒に祝(いお)うてくださらんか?」と、行列のあとについて来るよう、しきりと勧めてきます。

元来酒好きの多吉青年は「旨い酒」という言葉に心動かされました。
〈今日の仕事は終わったし、家へ帰っても酒を呑んで寝るだけじゃ。どうせ呑むんなら一人よりも大勢で、しかも旨い酒にありつけるなら願ったりかなったりじゃがな…〉
そんなことを思いながら老人の誘いの声を聞いていると、先に行った行列の中から鮮やかな晴れ着を着た5、6歳くらいの女の子がちょこちょこと足早に戻ってきました。

女の子は老人の袴にしがみついて、顔を見あげながら「早く行こう」としきりにせがんでいます。
老人は「わかった、わかった」と言いながら、女の子の頭をぽんぽんと軽くたたいて、行列の方へそっとその背中を押しやりました。

そのようすを微笑ましい気持ちで眺めていた多吉青年でしたが、跳ねるように行列へと戻って行く女の子の後ろ姿に違和感をおぼえました。
女の子のおしりのあたり、何か焦げ茶色のふさふさとしたものが揺れています。
〈しっ…ぽ?〉そう思った瞬間、多吉青年はすべてを覚(さと)って、いっぺんに怖ろしくなったそうです。

〈こりゃぁいけん。タヌキじゃ、タヌキの婿入りじゃ、えれぇもんに出くわしてしもうた〉そう思いつつも、勘づいたことを目の前の老人に知られてはまずいと思い、「仕事中じゃから」などとできるだけ丁寧に誘いを断って、一目散に町へと駆けくだったのだそうです。

「あのまんま酒につられて従いていっとったら、何を呑まされたり食わされたりしたんかと思うて、今思い出しても恐(きょー)てぇわ」そう言って祖父はそのウソともホントともつかない話を終えたのでした。

気づけば山の中腹のキツネの嫁入りの明かりもいつしか消え、背後の部屋に吊り終えられたうす青い蚊帳のとばりの中には、敷かれた布団が仄白く浮かんで見えて、新たな夏の夜の夢へと私をいざなっていたのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
テーマ回「お盆・実家に纏わる不思議な話」 2023.8.12
再掲:怖い図書館ツイキャス 2024.2.10
週刊怖い図書館 第312回 2024.2.12

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