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寝言

5年ほど前から約3年の間、私は糖尿病の治療のため、大学病院への入退院を繰り返していました。
入院といっても、いずれも2周間の教育入院です。
各種検査をし、病院食と薬で血糖値を下げて、むくみをとるだけなので、本人としてはいたって元気で、人間ドックの延長のような感覚でした。

これは、そんな入院生活3回目の時のお話です。
病室は4人部屋で、入ると右側に洗面台、左側にはトイレがあり、その先に通路スペースをはさんで左右に2つずつベッドがありました。
正面は大きなガラス窓になっています。

私は右側手前、洗面台側のベッドでした。
となりの窓側のベッドには、血糖値300超えが自慢の、30代の巨漢の元ヤンキーY君、向かいのトイレ側のベッドには、ちょっと神経質そうな50代の会社員Kさんが、私よりも先に入院していました。
ふたりとも私と同じ教育入院の患者です。

もうひとつの窓側のベッドは空いていましたが、私が入院した翌日に、Eさんという背が高く痩せた、70代の男性が入ってきました。
Eさんは私たち3人とは違い、内臓疾患があるようで、食事もほとんど口にせず、トイレにいくのさえその長身を折り曲げるようにして、苦しげにそろりそろりと歩いていくのでした。

そのEさんが入院してきた日の夜のことです。
定時の看護師さんの巡回も終わり、まもなく午前2時になろうとするころ、突然「こんばんは」という声が暗闇から聞こえてきました。

声がしたのはEさんのベッドの方からです。
おそらくEさんが喋ったのでしょうが、昼間の看護師さんに対する弱々しい受け答えの声とは違い、太くしっかりとした声でした。

「こんばんは・・・ああ、ええ・・・そうです・・・ですから・・・
わたしと・・・はい・・・いっしょに・・・うん・・・」と
まるで誰かと会話しているような明瞭な声です。

最初は看護師さんと話しているのかとも思いましたが、巡回は終わったばかりですし、ほかに人がいるような気配はありません。
携帯電話で話すにしては、声が大きく、いずれにしても、こんな夜中に
非常識な人だなと思いながら聞いていました。

声は5分ほど続いて、突然いびきへと変わりました。
「電話を切るよ」とか「じゃあね」というような言葉もなく、いきなりいびきに変わったので、これはもしかして寝言だったのか?…
それにしてはものすごくはっきりとした喋り方だったな…
…などと思いながら私はいつしか眠りに落ちていったのでした。

Eさんの寝言は2日目の夜もほぼ同じ時間に同じように聞こえてきました。
断片的で詳しい内容はわかりませんが、やはり誰かと会話をしているようでした。

3日目の朝、食事を運んできた看護師さんが、Eさんに「夜中に病室の外に出られましたか?」と尋ねる声が聞こえました。
寝言ははっきりと言うけれど、身体的には、トイレに行くのさえ苦労しているようなEさんです。
夜中に病室の外に出ていくなんて…
どうしてそんな質問をするのか、私には意味が解りませんでした。
Eさん自身も弱々しい声で否定しています。

そんなやりとりのあった、その日の午後、Eさんはナースステーション前の個室に突然転室となりました。

これに関して、Kさんは、
「きのうの夜中、あんまりうるさいんで文句を言ってやろうと、
となりのベッドとの仕切りのカーテンを少し開けたのよ。
そうしたらEさん、横になってないんだ。
上半身を起こして空中に向かって喋ってるの。
その姿を見て怖くなったのもあって、病室を変えてくれるよう言いに行ったんだ」と言うのでした。

数日後、今度はY君が、仲良くなった看護師さんから次のようなことを聞いてきたのです。
Eさんが突然転室になったのは、Kさんから苦情があったからだけではなかった。
夜中の2時頃、ほかの重篤な病状の患者さんのいる○号室から出てくるEさんの姿を、夜勤の看護師が見て、慌ててあとを追いかけたら誰もいなかった。
廊下の監視カメラには、ぼんやりとした黒い影のようなものしか写っていなかったけれど、目撃した背格好や特徴的な歩き方は間違いなくEさんだった。

それが2日続いたものだから、3日目の朝に念のために確認の質問をして、
行動を監視する意味もあってナースステーション前の個室に移したのだということでした。
個室に移ってからもEさんの寝言が続いたのかどうか、夜中に徘徊する姿が目撃されたのかどうかはわかりません。

私達の病室の、Eさんがいたベッドにはすぐに別の人が入り、やがて、Y君もKさんも一足先に退院して行きました。
私も明日が退院という日、ナースステーション前の個室にはEさんの名札はありませんでした。

馴染みの看護師さんに聞くと
「昨日の夜中に容態が急変してねぇ…」と言葉を濁します。
「それが、同じ時刻に○号室の患者さんも容態が急変してね、
夜中は大変だったのよ」と教えてくれました。

○号室はEさんが目撃された病室でした。
Eさんのあの寝言は、あの世への道連れを誘っていた言葉だったのかも知れないな、そんなことを思いながら私は退院の身支度を始めたのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 特別回「ご投稿限定配信3」
2022.12.19

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