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五人囃子

今回は、2年ほど前に林さんという男性から聞いたお話です。

1990年、林さんが大学2回生から3回生になろうとするころのことです。
彼は軽音楽サークルに所属していました。
折しもテレビの深夜番組『平成名物TV』の中のコーナー、『三宅裕司のいかすバンド天国』、通称『イカ天』が大人気で、アマチュアバンドブームの真っ只中でした。

林さんたちも『イカ天』に出ることを目標に、気の合った仲間同士でバンドを組んで、前の年から日々練習に励んでいました。
何回かのメンバーチェンジを経て、最終的に残ったのは林さんほか計4人でした。

3月になり、いよいよ本格的な活動を開始するにあたって、正式なバンド名を決めようと、メンバー会議を開いたのだそうです。
大学近くのファミレスに集まった4人は、それぞれに考えてきた名前を披露しましたが、どれもいまひとつピンときません。

そんな中、林さんは半ば冗談のつもりで「五人囃子はどうだろう」と提案してみました。
この日がちょうど雛祭りだったということもありますが、なによりも、これはまったくの偶然だったのですが、ギター若林、ベース林田、ドラムス大林、そしてボーカルの林さんと、メ゙ンバー全員の名字に「林」の字が入っていたからでしいた。

「面白いけどさ、でもメンバー4人しかいないのになんで五人囃子なんだ?」そう聞いてくる林田君に、
「確かにそうなんだけど、四人囃子って70年代から活動してる有名なプログレのロックバンドがすでにいるじゃん。だから本家本元、昔からある五人囃子でいいかなと思って」と林さんは答えました。

若林君は「なんか四人囃子のパクリみたいでイヤだな」と言っていましたが、林さんは冗談まじりに自分が発案したこのアイデアに、なぜか妙に固執してしまったそうです。
「じゃあもう一人、名字に〈林〉の字が入ったメンバーを探すか?」と林田君が助け舟を出してくれましたが、それはそれでメンバー構成や楽器のバランスの点で、今さら変更は難しいだろうということになりました。

議論が煮詰まりそうになってきたとき、大林君がこんな提案をしてきました。
「いっそのこと5人目は見えないメンバーっていうのはどうだろう?
たとえば、元は5人のメンバーだったけど、ひとりが不治の病か交通事故で亡くなっちゃってさ、その彼だか彼女だかの遺志をを継いで、4人になった今でも五人囃子っていうバンド名は変えずに活動してるっていう、そういうストーリーでさ」

大林君のこの思いがけない提案に、林さんは少し驚きましたが、考えてみるとけっこう良い案かもしれないと思ったそうです。
正直、演奏のテクニックは他のアマチュアバンドと大差ありません。
目立つためにはそれ以外の要素が必要でした。
一風変わったバンド名や、泣かせる結成秘話のような物語性で、聴衆に少しでも印象づけることができればと思ったのです。

結局、いやがる若林君を説き伏せて、このバンド名と見えないメンバーの案は採用となりました。
名前は安直に小林さんとして、どうせなら女性にしようということで、架空の5人目のメンバーが誕生したのでした。
ライブでは見えないメンバー用に、古道具屋で買ってきた壊れたマイクとタンバリンを設(しつら)えて、活動をはじめたのだそうです。

「自分で言うのもなんだけど、あのころは俺たち4人とも、ルックスはそこそこイケててさ、割とすぐに人気が出て、追っかけみたいなファンの女の子も何人かできたわけさ」
今ではすっかり薄くなった髪を撫でながら、林さんは懐かしそうにそう言います。

ところがある時、その女の子のひとりが、プレゼントを渡してくれたときに、こんなことを言ってきたのだそうです。
「わたし今日、小林さんの姿が見えました。タンバリン叩きながらすっごく楽しそうに歌ってましたよ」

もちろんそんな演出はしていませんし、小林なんて架空の人物、見えるわけはありません。
林さんらは、十代の女の子が自分たちに熱狂するあまり、幻覚を見たのだろうと、好意的に解釈して喜んでいました。

ところが、いないはずの小林さんを見たという子は、一人二人と増えていき、ついにはタンバリンの音や歌声が聞こえたという子まで出てきました。

決定的だったのは、オリジナル曲のデモテープを録音しようとしたときのことでした。
録音したバラード調の曲の合間に、コーラスをつけるような高い女性の声や、タンバリンとおぼしき音が入っていたのです。
それは間奏部分や林さんの歌声に重なるように、かすかですが確かに聞こえるレベルでした。

そしてその音は、何度録音しなおしてもどこかしらに入っています。
結局、その曲の録音はあきらめて、別のアップテンポのものに変えたそうですが、その曲にもよく聞くと終わり間際に、うっすらとタンバリンの音が入っているのでした。

当時は心霊やオカルトには、まったく興味も関心もなかった林さんたちでしたが、さすがにちょっと怖ろしくなりました。
5人目のメンバーの設定はやり過ぎだったんじゃないか。
演出とはいえ、マイクとタンバリンを置いたりするから、歌好きの幽霊を呼んでしまったんじゃないか。
などなど、メンバーの間で憶測や責任の押し付け合いで色々と揉めたそうです。

そうこうしているうちに、1990年も暮れになり、目標だった『イカ天』は12月末で終了、世間のアマチュアバンド熱も急速に冷めていきました。
林さんたちもそろそろ就職活動を始めねばならず、バンドは自然消滅となったそうです。

「最近は怪談がブームだろ。
あのときのテープ、捨てずに残しときゃ良かったなと後悔してるよ。
You Tubeなんかで公開すればけっこうな再生回数になるんじゃないかと思うんだけどなぁ」としきりに残念がっていた林さんなのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 百六日目
2024.3.2


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