見出し画像

トウビョウ筋

これは以前、母方の祖母から聞いたお話です。

昭和50年頃、祖母の家の近くに、とある一家が暮らしていました。
還暦を過ぎた両親と30代の一人息子の三人家族で、両親は農業を、息子は地元の会社で働いていました。

両親の悩みは一人息子になかなか浮いた話がないことでしたが、息子が30も半ばになったある年の初め、縁あってお見合いをすることになったのだそうです。

先方は県の西部、K市の資産家の娘さんで、家柄的に不釣り合いではないかと心配したのですが、実際に会ってみると、娘さんも先方の両親もとても気さくな人で、トントン拍子に話は進んでいきました。

ただ、先方の父親が、結婚に際しての条件として次のようなことを言ったそうです。
「うちは先祖代々、地元の道通(どうつう)神社を信仰しています。商売繁盛、出世運などにご利益のある神様なのですが、ついては娘たちの新居にも祠を作って道通様をお祀りしたいのです。そして娘が毎日拝むことを許していただけないでしょうか」

息子の両親は県の東部の人でしたので、道通神社の名前は聞いたことはありましたが、どのような神社なのか、詳しいことは知りませんでした。
ただ、この良縁を逃してはならないと思い、それくらいなんの支障があろうか、むしろ若いのに信心しているのはとても良い心がけだと言って承諾しました。
その後、当人どうしも何回かデートを重ね、その年の春にはめでたく結婚のはこびとなったのでした。

結婚後は、両親の家の隣に新居を建ててもらい、約束どおり敷地の隅に小さな祠(ほこら)を祀りました。
祠には、道通神社のお札(ふだ)と、宝珠(ほうじゅ)に2匹の阿吽の形の白蛇が巻き付いた道通様の像を置いて、お嫁さんは毎日食べ物や卵などを備えて拝んでいたそうです。
息子も両親もその像を見たときには驚きましたが、結婚時の約束ということもあって、お嫁さんのするにまかせていました。

やがて夫婦の間には娘も生まれて、数年間は穏やか暮らしが続きました。
しかし、結婚して4年目になろうかというころ、両親が交通事故にあい二人とも亡くなってしまいました。

一人息子であった夫は、遺産としてかなり広い田畑を相続しましたが、農業を継ぐ意思はありませんでした。
どうしようかと悩んでいるときに、折しも県道の拡幅整備の計画が持ち上がり、相続した田畑の半分以上が、その拡幅工事の範囲にあたることがわかりました。
夫はこれ幸いと田畑をすべて売り払い、亡くなった両親の保険金ともあわせて、思いがけず近隣でも有数な資産家となってしまいました。

にわかに大金を手にして、諫(いさ)める両親もいなくなったせいか、夫は人が変わったようになったそうです。
性格が粗暴になり、会社を辞めて金遣いも荒くなりました。
そして、若い愛人をつくって家にも帰ってこなくなったのでした。

たまに帰って来ると、後ろめたさからなのか、奥さんの目つきが悪いなどと言って暴力をふるい、果ては幼い娘にも手を上げはじめたので、奥さんはたまらず娘を連れて実家に帰ってしまいました。
すると夫は、あろうことか奥さんの不在を良いことに、愛人を家に呼び寄せていっしょに暮らしはじめたのです。

二人で暮らし始めて間もないある冬の日のこと、料理をしようとした愛人が、調味料がきれていることに気づき、買い置きはないかと台所の床下収納庫をあけてみたそうです。
収納庫の中はほぼ空っぽでしたが、ただ一つ、分厚い木の蓋が付いた一抱えほどある備前焼の瓷(かめ)が置いてありました。

何だろう?と思い、蓋をとってみたところ、中には小さな蛇が十数匹、とぐろを巻いていたのでした。
愛人の悲鳴を聞きつけた夫は、その瓷を見て怒りと恐怖からか、煮えたぎった湯を注いで、蛇をすべて処分してしまいました。

しかし、愛人はたいそう気味悪がって、同居は解消し、ついには別れてしまったそうですが、その後は消息不明となってしまったとのことです。
夫の方もこのころから原因不明の体調不良が起き始め、あちこちの病院や治療院にに通いましたが、状態は悪くなる一方でした。
そして、そうこうしているうちに、ある日近所の用水路に落ちて亡くなっているのが発見されたのです。

奥さんとの離婚は成立していなかったので、残された財産はすべて奥さんと一人娘が相続しました。
二人はそれらをすべて売り払い、今は別の土地で裕福な暮らしをしているということです。
近所では、奥さんは「トウビョウ筋」の家の出だったのだろうと、噂しあったとのことでした。

「トウビョウ」とは、中四国地方で広く信仰されている祟り神で、一般的にその姿は、首に金の輪がある、体長10~20センチほどの黒褐色の小さな蛇だといいます。

この「トウビョウ」を先祖代々、瓷などに入れて、台所や床下で飼っていると言われるのが「トウビョウ筋」や「トウビョウ持ち」と呼ばれる憑き物の家系で、他の憑き物筋の家系同様、主に女性が受け継ぐことが多かったようです。

「トウビョウ筋」の家は裕福であると同時に、怨みに思う相手に取り憑いて災いを起こしたり病気にさせたりもできることから、嫉妬や畏怖で差別の対象となることも多々あったそうです。

トウビョウは飼い主の意思に従って災いをもたらしたり、怨みを抱いた相手に憑いて体の節々に激しい痛みをもたらしたりしますが、飼い主が通りすがりの人を羨(うらや)むだけでも祟ったり、逆に粗末に扱うと飼い主にも襲いかかってくるという、やっかいな神様でもありました。

そのようなトウビョウの祟りを鎮めるために道通様として祀ったのが道通神社です。
主祭神こそ猿田彦命ですが、実態はトウビョウ伝承の総本宮的な神社で、本殿の横や裏には「瓦クド」と呼ばれる小さな祠がズラリとならび、その中には宝珠に蛇の巻き付いた像が多数納められています。
その様子は、かつて水木しげる氏が「蛇の家」として紹介したことで有名になりました。

祠の中には、今でも目や手足などに穴を開けられた写真が納められていることがあり、祟り神としてのトウビョウ信仰は現代でも脈々と受け継がれているようです。

今回この話の奥さんが、はたしてどの程度夫を怨んでいたかは知るよしもありませんが、結果として夫の家は絶え、トウビョウ筋の家系は娘に財産とともに引き継がれたことだけは、まぎれもない事実なのです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
テーマ回「風習・伝承に纏わる怖い話」
2023.1.22


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?