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梢上風籟(しょうじょうふうらい)

私が16歳の春、母方の祖父多吉が亡くなりました。
幼い頃から可愛がってくれた祖父でしたので、私も両親とともに葬儀に参列すべく、母の実家へと向かいました。

母の実家は県の東部、W郡S町のはずれにあります。
当時この地域ではまだ土葬の風習が残っており、祖父の埋葬もそれに従って行われるということでした。

私たちが到着したときには、祖父の遺体はすでに座棺(ざかん)への納棺が終わっていました。
時代劇でしか見たことのなかった丸い棺桶の中、痩せた祖父の体は白い死装束を着せられ、あぐらをかいた状態で坐っています。
うつむき加減のその禿げ上がった頭頂部が、棺(ひつぎ)を見下ろす私の目に妙に生々しく映りました。

近くの寺の住職のよく通る読経の声が響くなか、葬儀は無事に進み、いよいよ出棺となりました。

葬列は家紋の入った高張提灯(たかはりちょうちん)を先頭に、弔事をあらわす旗や、紙で作られた蓮の華、故人のための食事や水、香炉などを持った私たち親族、そして、そのあとに位牌を持った祖母と、4人の男性に担がれた棺桶が続きます。

棺桶の担ぎ手は、いとこ姉妹のそれぞれの夫と地区の若者たち。
4人ともお遍路さんが着るような白衣(びゃくえ)を着て、足元は草鞋(わらじ)履きです。
最後に一般の参列者が続いて葬儀の列は終わります。

細く長い葬列は、実家の横を流れる小川に沿った小径(こみち)を、墓所のある裏山の中腹をめざしてゆらゆらと登っていきます。
4月初旬の若草が萌える小径を、ゆっくりと進む黒い喪服の列。
そのなかほどの、白木の棺桶と白装束の担ぎ手たちだけが、いっそう目に鮮やかに映って見えたのでした。

登り着いた墓所はそれほど広くはありませんでした。
山の樹々のあいだにひらけた、家1軒分ほどの空き地の際(きわ)に、古い墓石がいくつか並んでいます。
それらの墓石の手前に、すでに大きな穴が掘ってあり、棺(ひつぎ)をおろすための滑車や足場、白木の棚なども用意されていました。

白木の棚には、持ってきた位牌や様々な供え物のほか、一升瓶が2本、口を開けた状態で供えられたのは、酒好きだった祖父らしいなと思って見ていました。

墓所の周囲は常緑樹ばかりなのか、春先だというのに枝々はすでに鬱蒼と茂っています。
私たちが立っているあたりはさほどではありませんでしたが、樹々の上は風が強いらしく、時折枝葉が大きく揺れています。

私は、春の疾風(はやて)がざわざわと葉擦れの音をたてながら、樹々の高みを波のように吹き渡っていくのを見上げながら、埋葬の準備が整うのを待っていました。

やがて準備が終わり、僧侶の読経(どきょう)が始まります。
みなが一斉にうつ向いて手を合わせるなか、ふと横を見ると、いとこの子供で小学校にあがったばかりの悠子だけが、ずっと上を見上げています。
何を見ているのだろうと私もつられて顔をあげました。

見上げると、風にざわめく枝々の重なりのなかに、時折ザザザッと周囲と違う動きをする枝葉があることに気がつきました。
悠子はと見ると、なおも一心に樹々を見上げています。

読経の声と抹香のかおりが強くただようなか、私は悠子と頭上をちらちらと見比べていました。
すると突然、悠子がハッと驚いたような表情をみせました。

急いで上を見ると、重なりあった樹の枝の間から紅い顔がふたつ覗いていて、私たちを見下ろしています。
あっと驚いた次の瞬間には、ふたつの顔はスッと葉叢(はむら)に隠れてしまいました。

それらはあきらかに人ではありませんでした。
チンパンジーやオランウータンに近い顔つきでしたが、顔色はニホンザルのような緋色でした。
大きさも人の倍ほどはあるように見えました。

「今の見た?」
私が目で問いかけると、悠子はコクリとうなずきます
読経をしていた住職も、一瞬気づいたような素振りを見せましたが、素知らぬ顔で読み終えて、埋葬の儀式は滞りなく終わりました。
墓所には、春の黒土(くろつち)の匂いも鮮しい土饅頭(どまんじゅう)がひとつ、一本の卒塔婆とともにぽつねんとあるばかりです。

供え物などは後日片付けに来るということで、私たちはぞろぞろと山を下りて行ったのでした。
その際に悠子にあらためて尋ねてみると
「うん、おっきなおサルさんが2ひきいて、こっちを見ててちょっとこわかった」と言っていたので、少なくとも私と悠子にとって、あれは現実の出来事だったようです。

精進落しの席で、実家の窓から見た裏山は、折からの西陽を浴びて半身が黄色く染まっていました。
迫りくるたそがれ時、人気(ひとけ)のないあの墓所で、いったいどのような情景が繰り広げられるのだろうと思いながら、私は父母とともに帰路についたのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験談受付け窓口 七十六日目
2023.4.8

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