見出し画像

関守石(せきもりいし)

これは私の短歌の先輩にあたる、Mさんという女性から昔聞いたお話です。

Mさんは話を聞いた当時は40代なかば、裏千家の講師の資格を持っており、短歌は余儀という人でした。
そんな彼女がお茶を習い始めて間もない、20代初めの頃のことです。

その年の11月の終わり頃、知り合いの社長夫人のSさんが、
来年初釜(はつがま)のお茶会をひらくので、
そのお客の一人として参加してくれないかと、招待を受けたのだそうです。

初釜とは、年が明けて最初に行われる茶会のことで、
元旦の早朝に汲まれた水(若水・わかみず)を用い、
その年の最初にお釜を火にかけて、お茶を振る舞うという、
お茶を稽古する人にとっては大切なお茶事(ちゃじ)です。

Mさんはお稽古以外で、しかも一人でそのような茶会に行くのは初めてだったので、ためらいもあったのですが、何事も経験と思い参加したのだそうです。

当日は持ち物の確認や、新しく仕立てた着物のなれない着付けなどで手間取り、茶会の開かれる社長宅に着いたのは、刻限ぎりぎりの午前10時前でした。

社長宅は純和風のしつらえで、立派な門をくぐると、正面に母屋の玄関、右手には茶会が開かれる離れに続く露地が続いています。

Mさんはきれいに清められた飛び石伝いに、その露地を進んで行ったのですが、途中、露地は二手に分かれ、一方の飛び石の上には関守石がぽつんと置いてありました。

関守石は留め石や極石(きめいし)とも呼ばれ、10~15センチ程の小石に棕櫚縄(しゅろなわ)を十文字にかけたもので、これより先は進入禁止の意味を表します。

関守石自体はお茶事(ちゃじ)以外にも神社やお寺で使われていて、
珍しくはないものでしたが、Mさんの目を引いたのは、その石の脇に女の子が一人立っていたことでした。

女の子は小学校高学年くらい、髪はおかっぱで、白いブラウスに紺色のボックスプリーツの吊りスカートという、小学校の制服のようなスタイルなのですが、1月のこの時期にしてはずいぶんと薄着だなとというのが第一印象だったといいます。

どこの子だろう?
裏千家では、初釜の茶事(ちゃじ)にはお茶関係の人以外は招待されないので、当日のお客が連れてきた子だとは思えません。
この家の子か、遊びにきた親戚の子かとも思いましたが、よくはわかりませんでした。

「こんにちは」と声をかけましたが、聞こえなかったのか、女の子は向こうをむいて、ぼんやりとした様子で立っているだけで、なんの反応も示しませんでした。

不審に思いながらも、茶会の始まる時間が迫っていたので、
Mさんはそのまま、茶室の方へ歩いて行ったのだそうです。
寄付(よりつき)にはすでにほかのお客たちが集まり、白湯(さゆ)などを飲んでおり、Mさんも急いで身支度を整えて、席入(せきいり)をするころには、女の子のことはすっかり忘れてしまっていました。

午後4時をまわり、無事に茶会も終わりに近づき、最後の薄茶点前(うすちゃてまえ)を経て歓談の時間となりました。
その時にMさんは何気なく、関守石のところで見た女の子のことを話題にしたのです。

しかし、ほかのお客は誰も女の子の姿は見ていないと言います。
亭主を務めていたSさんも、怪訝な顔で聞いていましたが、ふと何かに思い当たったような表情を浮かべて、そのときは話題を他に移したのでした。

そんな茶会から数日たったある日、Sさんから電話がありました。
Sさんは茶会のお礼もそこそこに、次のようなことを話しはじめたのです。

関守石の女の子のことを聞いて思い当たる節があった。
あの関守石は、今年新しく作り直したもので、それは会社の従業員の一人に頼んで作ってもらったのだが、その人に聞くと、石は県内の山間にある河原から拾ってきたものだという答えだった。

もしや、と思ってSさんが改めて石を仔細に確認すると、底にしていた平らな部分に、うっすらと「童」という文字らしきものの彫り跡がみつかったのだそうだ。

「それでね、あなたが言っていた女の子が向いていた方角はね、あの関守石を拾ってきた河原の方向だったの。
もとの河原が恋しかったのか、ばらばらになった墓石の残りのかけらのことを思っていたのかはわからないけど、どっちにしてもかわいそうだから、
石は近々お寺にもっていって供養してもらうことにしたわ。
新年早々、ちょっと良い功徳を積めるようで、あなたには感謝しています。
ありがとう…」
……そんなことを言ってSさんからの電話は切れたのだそうです。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験談受付け窓口 六十九日目
2023.1.8

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?