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二階の窓

今回は数年前に、とある蕎麦屋でノゾミさんという40代の女性から聞いたお話です。

ノゾミさんが大学時代のことです。
彼女は、住宅街の一角にある学生マンションに住んでいました。
周辺は古い一戸建ての住宅が多く、狭い道路と用水路が縦横に交差する、昭和の面影が残る街並みでした。

マンションを出て、いくつか角を曲がると、歩いて10分とかからずにコンビニやスーパーのある大通りに出られます。
そんな大通りへの道の途中に、T字路が一箇所ありました。
そのT字路を右へ曲がって少し行くと、最短で大通りに出られるため、ノゾミさんは毎日利用していた道でした。

T字路の突き当りには一軒の二階建ての家が建っていました。
道の真正面に、ブロック塀と門扉が見え、その向こうにはサッシの引き戸の玄関。
その玄関の真上の二階には窓が一つあり、白いレースのカーテンがかかっていて、玄関の周囲にはプランターや鉢植えがいくつも並べられていて、季節の花々が咲いているという、ごく一般的などこにでもあるような家でした。

ノゾミさんは別段気にとめることもなく、毎日その家の前を行き来していたのですが、大学3回生の春ごろになって、ふとその家の異変に気づきました。

前の年までは玄関周りをきれいに飾っていた花々がひとつもなくなり、そればかりか、枯れた植物がそのままの状態の植木鉢やプランターが、いくつも無造作に転がっています。

見上げると、二階の窓のレースのカーテンも、一部が外れて、だらしなく垂れ下がった状態でした。
〈なにがあったのだろう?〉と思いながら、ノゾミさんは日に日に荒れていく家のようすを見つつ、T字路を通っていたのでした。

やがて5月も終わり頃のある日、ついに二階の窓のカーテンは全てなくなり、窓は大きく開け放たれていました。
開かれた窓に目をやりながらT字路を歩いて行くと、窓の奥の部屋の壁の上部と、古ぼけた和風の照明器具がぶら下がった天井がよく見えました。

ノゾミさんは最初〈季節柄、風を通しているのかな?〉と思ったそうですが、それにしても網戸にするのでもなく、文字通り開けっ放しなのには違和感を覚えたそうです。

この日以降、窓は昼も夜も開いたまま、閉じられることはなくなりました。
ノゾミさんが、何度か夜にコンビニに買い物に行ったときも、いつも窓は開いていました。
部屋の明かりはついていませんが、T字路にある電柱の街灯の明かりで、部屋の天井がぼんやりと見えている状態でした。

やがて、7月も近いある夜。
ノゾミさんがコンビニで買い物をして、T字路を自宅マンションに向けて帰っていた時のことです。
彼女は、後ろでかすかな笑い声がしたように感じて振り向きましたが、路上には誰もいません。

気のせいかなと思いながらなにげなく視線を上に向けると、あの二階の窓に一つの顔があったのです。
白粉(おしろい)を塗りたくったような、丸くふくらんだ真っ白な女の顔が、窓枠に顎をのせるようにして、なんとも言えない不気味な笑い顔でノゾミさんを見下ろしていました。

街灯の明かりに照らされて白く浮き出た女の顔は、まるで生首かお多福のお面が窓枠に乗っているようで、ノゾミさんは女と目が合ったまま、凍りついてしまったのです。

どれほどの時間がたったでしょうか。
女の顔がフッと窓枠の下に消えて、ようやく金縛りは解け、ノゾミさんは無我夢中でマンションに逃げ帰ったのだそうです。
その夜は目をつむると女の顔が浮かんでくるので、一睡もできずに震えながら翌朝を迎えました。

明るくなって少し恐怖は薄らぎましたが、大学に行くためには、またあのT字路を通らなければなりません。
迂回路はあるにはありましたが、かなり遠回りで、自転車を持っていなかった彼女としては、あの道を通るほかに選択肢はありませんでした。

意を決して、恐る恐るT字路に向かいましたが、幸いなことに女はおらず、いつもどおり開け放たれた窓が暗く口をあけているばかりでした。
それからも明るいうちは女の姿はなく、しだいに落ち着きを取り戻していったノゾミさんでした。

しかし、日が落ちてから、油断してT字路を通ると、時折、あの窓枠に顎を乗せる姿勢で、女が見下ろしていることがあって、そのたびに肝を冷やしてマンションに逃げ帰ったのだと言います。

「でもね、これだけだと、ああ、ちょっと頭のおかしな人がいたんだなっていうだけじゃないですか。
でも違うんです。ほんとうに怖かったのはそのあとのことなんです」
そうノゾミさんは言って、続けてこんなことを話しはじめました。

「あれは大学3回生の終わり頃のことです。
その日は飲み会ですっかり遅くなってしまって、最終バスで帰ってきたんです。
タクシーで帰って来ればよかったんですが、お金ももったいないし、道が狭いので運転手さんにも嫌がられるので、バス停からは歩いて帰りました。

古い住宅街ですから、夜11時近くになると人通りはありません。
あのT字路で、またあの女が窓から見ていたら嫌だなと思いましたが、別になにかしてくるわけじゃないし、少し慣れてきていたのと、酔っていたこともあって、気が大きくなっていたんでしょうね。

でも、T字路の街灯の明かりが見えてくると、見ちゃいけないと思いながらも、どうしても目はあの二階の窓を見てしまうんです。
遠目には窓に女の顔はありませんでした。
ホッとして近づいて行ったら…
わたし見ちゃったんです。

街灯の明かりでぼんやりと見えたあの窓の奥…
部屋の天井に白っぽい服をきた女が、蜘蛛みたいに張りついていたんです。
信じてもらえないかも知れないけど、天井に張りついたまま顔だけはぐるっと180度回転して、まともにこちらを向いているんです。
それで、あのなんとも言えない気味の悪い笑顔で私を見下ろしていたんですよ。

ああいう時って、悲鳴なんて出ないもんですね。
どこをどう逃げ帰ったのか記憶にありませんけど、気がついたらマンションの部屋に帰ってました。
それから、すぐに実家に電話をかけて、父親に迎えに来てもらったんです。
マンションはすぐに引き払って、4回生の1年間は実家から大学に通いました。

…それにしてもあの家には、いったい何が棲んでいたんでしょうね?
あれ以来わたし、お多福のお面をみると、あの女の顔を思い出して怖くてしかたないんですよ」
そう話してくれたノゾミさんでした。

私はといえば、彼女が背後の店の奥の壁に飾られている、お多福のお面に気づいてくれないことを願いながら、すっかり伸びてしまった蕎麦最後の一口を音をたてて啜ったのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
恐怖体験受付け窓口 百十五日目
2024.6.1

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