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傘屋敷

知り合いのアキコさんという40代の女性から、最近こんな話を聞きました。

アキコさんが20代のころ、関西の某会社に勤めていた時のことです。
同じ部署にサトミさんというアキコさんと同年代の女性がいました。
好みや話題も相通じるものがあって、昼休みにはよくいっしょにランチに行く、仲の良い同僚でした。

ある日の昼休み、「ちょっと聞いてくれる?」と、サトミさんはこんなことを話し始めたのです。
当時、彼女は郊外のマンションに住んでおり、最寄り駅までは歩いて15分ほどの距離でした。
しかし、その年のはじめ頃、偶然近道を見つけたのだと言うのです。
住宅の間の、車一台がやっと通れるほどの曲がりくねった細道を抜けると、駅までの時間を5分ほど短縮できるのだそうです。

道の両側はほとんどが住宅の裏手に面していて、殺風景な景色が続いているのですが、その中に一箇所、草花を植えてきれいに手入れしてある裏庭に面したところがありました。
そして、朝の出勤時や休日の行き帰りに、その庭の手入れをする50代くらいの女性をたびたび目にすることがあったそうです。

植物が好きで人見知りをしない性格のサトミさんは、その女性を見かけると、最初は軽く会釈をする程度でしたが、しだいに言葉を交わすようになり、時間がある時には庭のフェンスを挟んで、しばらく立ち話をするようになっていったのだと言います。

ところが最近、その裏庭にちょっとうす気味悪い変化があったのだとサトミさんは言うのです。
「ふた月ほど前からかなぁ、きれいに手入れしてある庭に、傘が…傘が置いてあるんよ。
…ううん、傘立てに立ててあるとかやなくて、横にこう…土の上にじかに寝かして置いてあんねん。

最初は1、2本やったんやけど、日増しにだんだん数が増えてって、この頃は傘専門のゴミ屋敷みたいになってきてるねん。
きれいなんもあるし、ひと目見て壊れてるてわかるもんもチラホラあって…そんな傘が庭中に寝かせて置いてあるんよ。

それを見ると、なんか痩せた人間の子供があっちこっちに寝かされてるみたいで、気味悪い言うかなんて言うか…
あれかなぁ、変な宗教か、頭すこし可怪しなってんのかなぁ?」
そう言ってサトミさんは、少しおびえた表情でアキコさんを見つめていたのだそうです。

それからしばらくして、昼休みにまたサトミさんとランチに行く機会がありました。
「この前の傘屋敷なんやけど…あれから、なるべくあの近道は通らんようにしててんけどな…」と、サトミさんは席につくなりこう切り出したのです。

数日前の夜、会社からの帰り道、電車が駅に着くころからポツポツと雨が降り始めました。
傘は持っていなかったので、コンビニに寄ってビニール傘を買って帰ろうかとも思ったのですが、コンビニは駅の反対側の出口にしかなく、よけいに遠回りなってしまうため、濡れるのを覚悟で近道を帰ることにしたのだそうです。

すっかり暗くなってはいましたが、近道には街灯もあり、家々の明かりも漏れていたので、さほど恐ろしくはなかったのだと彼女は言います。
しかし、足早にくだんの傘屋敷にさしかかったとき、サトミさんは庭のフェンスに両肘を乗せるかっこうで、あの50代くらいの女性が人待ち顔で佇っていることに気が付きました。

女性はサトミさんの姿を見るとすぐに身体を起こし、うれしそうな表情でこちらに手招きをしています。
その姿はしばらく見ないうちに、ずいぶんと見すぼらしく、痩せて、どこか狂気じみた感じさえ漂うようになっていました。

サトミさんは彼女の姿を見たとたんに、全身に鳥肌が立ったのですが、狭い道でのこと、素通りするわけにもいかず、やむなく震える声で挨拶をしました。
「こんばんは、お久しぶりです」
「ほんま、久しぶりやねぇ。仕事の帰りかいな。元気してた?…あれーよう濡れてるやないの。風邪ひいてしまうがな。傘持ってないんかいな。うん、わかった。ちょっと待っとき」

女性はまくし立てるようにそう言うと、庭から一本の傘を無造作に拾い上げました。
「ほれ、これ持っていき。返さんでええから」
そう言って彼女がフェンス越しに差し出したのは、ベージュ色の無地の長傘でした。
街灯の明かりの下で見たそれは、一瞬、人間の腕のように見えたのだとサトミさんは言います。

「あ、ありがとうございます」
断るわけにもいかずサトミさんは傘を受け取りました。
受け取った傘の持ち手は、いままで雨に打たれていたにもかかわらず、人肌のように妙に温かかったそうです。

開いた傘はどこにも異常はなく、真新しい感じのものでした。
傘をさし、数歩あるいて振り返ると、自身は傘もささず、強くなりはじめた雨に打たれながら、満面の笑顔でこちらを見つめている女性と目が合いました。
その重く絡みつくような視線を断ち切るように、サトミさんは大きく一礼して、逃げるように駆け出したのでした。

「それでその傘なんやけど、気味悪いから返したいねんけど、あれ以来彼女には会わへんし、裏庭に無断で放って帰るのもあれやし…どうしたらええ思う?」
そう聞かれて、アキコさんは、
「フェンスに引っ掛けておくか、返さんでええいわれたんやから、そのままもろといてもええんちゃうのん」と言ったのですが、サトミさんは今一つ納得していない表情でした。

このあとは社内で異動があり、サトミさんとは別の部署になってしまい、ランチにいくことはなくなったのですが、社内で時折見かけるその姿は、見るたびに生気がなくなっていくようだったそうです。

やがて、アキコさんは結婚のため会社を退職したのですが、最後にちらりと見えた、職場のサトミさんのロッカーの中には、7、8本もの長傘が、あふれんばかりに詰め込まれていたのだという、そんなお話です。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
怪異体験談受付け窓口 七十九日目
2023.6.3

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