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フェニックス近藤新監督就任 勝利の女神の加護を祈念して サッカー森保監督に学ぶ戦略の可能性

サッカー森保監督がどういう戦略を用いてあのグループリーグを勝ち抜いたのか麻雀の話を交えながら当noteなりの分析を書いてみたい。


対スペイン戦、日本代表 ボール支配率10%台。圧倒的な支配率の差。しかしなぜそんな日本が勝てたのか?


弱者の戦略と強者の戦略


弱者(日本)は敗者ならず。強者(スペイン)は勝者ならず。そこに兵法、戦略の妙がある。」弱者の日本が強者に勝つための最大のキーマンは、森保監督だっただろう。そしてその森保監督の戦略が機能するかどうかは、三苫の働きにかかっていたと言っても過言はない。

守備を固めてからの相手の裏を取ってからの速攻という 空間的なカウンター戦術は私のような超ド素人でも知っているが、どうやら森保監督は時間的な戦術として 切り札堂安・三苫を最大限生かすべく、前半戦を守備的に凌ぎなんとか1点差以内に持ち込み、後半 相手が息切れしてきたところでフレッシュな三苫や堂安らを投入して、相手のスキを伺い勝負にかけるという、弱者の戦略を採ったようだ。

最初から敢えて 切り札を投入しないという決断とこの切り札を敢えて温存して負けた時に強い批判がなされる覚悟が森保監督になければ、勝負はどうなっていたかわからない。

0.0001秒が勝負を分けた


なぜならばもしあの三苫のVAR1mmが勝敗を分けたとして、前半から三苫が入っていれば体力的にあの1mm外であった可能性は捨てきれないからだ。一流のサッカー選手なら1秒で8~9m移動できると言われる。0.1秒で90cm。0.01秒で9cm。0.001秒で9mm。00001秒で0.9mmだ。1mmとは0.0001秒の世界であることだけは間違いない。

もし三苫を前半から投入していたならば、00001秒反応が遅れていた可能性を捨てることはできない。


ただこの弱者の戦略を強者のドイツやスペインに適応するのは是だと思うが、しかし一転、日本が強者の立場になりボール支配率においても圧倒していた コスタリカ戦でもともすれば同じスタイルで行くのはやや疑問が残った。 戦略はやはり状況や対戦相手に応じて、柔軟に対応してゆくことが大事になるのではないだろうか。敵が強者と弱者では戦い方は自ずから異なることだけは、古今東西、戦争の歴史を見ても明らかだ。

強い相手ドイツやスペインと戦う際にはなるべくガチでぶつかり合うゲームの時間を圧縮した方が、弱者の日本が勝つ確率は高くなる。なぜなら麻雀でも期待値が真に有効になるには1000試合は必須であるように、逆に言えば麻雀でも素人がプロ相手であっても一試合限定であればワンチャンス勝つ可能性が出て来るのと一緒で、弱者は試合時間というよりも勝負する時間をどう圧縮し、自らの武器を最大限生かし切れるかが、大事なポイントになる

では、わずか一試合で一本もしくは二本しかシュートしか打たせなかったようなコスタリア相手に対しては、本当はどうすべきだったのだろうか?

ちょうどドイツやスペイン戦とは逆のことをやるのが定石になる。

弱い相手にも同じように前半から守備型で行くことは 時間のロスになるという戦略的視点が必要だった気がしてならない。しかし森保監督は3試合とも同じプランでいって、コスタリカ戦には負けた。前半戦の時間の使い方が勝負を分けたのではないだろうか。コスタリカは弱者の伝統的な戦術を用いて、空間的にひたすら自陣で引いて守って、一本のカウンター、ワンチャンスをものにして日本に勝った。

改めて指摘したい森保監督が示したパラドキシカルなロジック


通常、強者に対して弱者は切り札を悔いを残さないために前半から投入したいのが人情というものだろう。
多くの評論家が森保監督の切り札温存に対して異議を唱えてバッシングをしていた。しかし切り札三苫を敢えて温存するという戦略のパラドキシカルなロジックを森保監督は示した。これは誰にでもできることではなかった。そしてその批判は見事に結果でねじ伏せてみせたのだった。

いずれにせよ弱者であるが勝者になるために必要な知識と胆力が森保監督になければワールドカップのグループリーグを突破することは極めて難しかったに違いない。改めて素直に賛辞を贈りたい。そして三苫の1mmを分けたその背景には、森保監督の戦略と決断があったことも見過ごしてはならないだろう。

最後に。

日本が勝利できたのも、森保監督には勝利の女神が微笑んだというのが当noteの見解でもある。勝利するために監督自身の運が強いということはとても重要なことだ。

ちなみに、ギリシャ神話で勝利の女神のことをニケという。ラテン語でそれはビクトリアという(イギリスの女王にもいたようにポピュラーな名前)、このビクトリアこそ英語のビクトリー勝利の語源である

NIKKE。

ニケをローマ字で変換するとNIKEとなるが、これがナイキというスポーツメーカーの起源でもある。

これがニケの彫像


NIKEのマークは勝利の女神の、羽の一枚をデザイン化したものでもある。アスリートに勝利の女神が微笑むようにという印だろう。


近藤新監督に勝利の女神の加護があることを祈念して、このnoteを終えることとしたい。

これは余談になるが私は麻雀のnoteを書くようになって、運と何かというテーマに行きつくことになった。気が付くと毎日神社へ散歩がてらお参りするようになった。何か困った時だけの神頼みではダメだろうとも思っている。もし運が好転した際にはリポートしたい。(笑)

デジタルな統計分析や戦略は当然で大事であるが、アナログな風や運を味方につけることも同様に大事であるというのが当noteのポリシーでもある。どちらかに偏ることはしない。コバゴ、たろうによるエセデジタル論なるものが世間を賑わせたが当noteなりの見解もいずれ示していければと思っている。

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