発想の天才と呼ばれる私ができるまで
この記事は「伝え上手になるために必要な13のこと」シリーズ番外編。
模倣が悪ではないと気づいてからが始まり。
結論から言うと、必ずしもオリジナルで居る・在る必要はないということを、素直に受け入れられるかどうかって話。
分かり易いから仕方ないのだけど
良いか悪いか、正しいか間違ってるか
人はそんな「白黒」で楽に簡単に判断する癖がつきがち。
アイデアを出したり、物を作ったりするときもそうで
オリジナルが正義で、模倣はダサい。
そんなイメージが、少なくとも私の中には幼少期から既にあった。
これに関しては、育った環境の影響が100%だと認識してる。
文章のコピペなんかも同じ。
発言も、受け売りだけどね、なんて言ったりして。
カテゴライズ主義・義務教育下で、上下・優劣をつけることが当然の昭和世代バリバリの両親の元で育った私は
劣等感の塊だった。
オリジナルを創造する能力がない、いつも誰かの真似。自分はなんて才能がないんだろう。何をしてもつまらない。比較されるのが恐ろしい。
この劣等感は20代後半まで続いた。
誰も教えてくれなかったんだよね。
気づく機会はあったかもしれないけど。
「徹底的に真似をしろ、模倣は才能開花につながる」
成功者と呼ばれるほとんどの人が口にするこういった発言は、知ってはいた、くらいの感じ。
知る⇢分かる⇢腑に落ちる、までの過程やスピードは、それこそ千差万別。
そして、腑に落ちる⇢できる、まで持っていくパワーはどこから湧いてくるのか?
私は、生まれ変わったとしか言いようがないほど、思考が代わり、言動が変わり、雰囲気が変わることで交友関係が変わり、生活が一変した。
前回の記事で紹介したマザー・テレサの言葉の如く。
腑に落ちるまでは、禍々しい嫉妬心や執着心といったものがいつも足を引っ張り、ネガティブが定着し、心を蝕み、無駄に心身の体力漏電して疲れ切っていたものだけど
月並みだけど、それを経験してこその今があると言える。
惜しげもなく、恥ずかしげもなく受け売りも模倣もできて、それがオリジナルだと錯覚してしまうほどのクオリティで発信できる状態とは、こんなにも清々しいものか。今はそんな風に肩の力を抜くことができてる。
具体的に、何が私を変えたのか?
ズバリ、人に教える過程で身についた「自己肯定感」が引き金となったと確信してる。
今でこそ「自己肯定感」なんていう言葉はよく聞くようになったけど
少し前まで、そこまでスタンダードではなかったように思う。
このままでは社会が腐る!と懸念し、過去の私のような劣等感に苛まれる多くの人間を救済するべく故意に、あるいは偶発必然的に広められた概念のようにも感じる。
当時27歳。
私は、劣等感に苛まれ、自己肯定感も低く、自分を卑下しながらでも「教える立場」に否が応でも立たざるを得ない状況にあった。
本来なら、自己肯定感が低いまま教育者的立場に就くなど、人並みに責任感があれば「私に教えるなんてできないよ」と言うところだけど
それをしないと、前に進めない。そういう状況にいたから、無理矢理、教育者の立場を受け入れた。
そして、そんな状態の自分でも良しとして、教育者として受け入れてくれる人と場所があった。
機が熟したというのもあったのだろうけど。
この「機」というのは、やっぱり試行錯誤や葛藤があったからこそ巡ってきたと思う。そうじゃなく奇跡的に初めからその機会に恵まれる人ってのは、圧倒的に少数だよね。
教える作業によって、知識や手段は定着する。
これすら既出のアイデアだけど、まさにこれが、私の「発想の瞬発力」を爆発的に伸ばし、他者から見たときに「なんて羨ましい才能なんだ」と羨まれ、生まれ持った奇跡と見まごうほどに開花した。
要は、言うなれば誰しも何かしらの才能を持っていて、それを活かせるか、花開かせることができるかどうかの問題なだけ。
それを助けてくれたのが「教える」ことだった。
自分のことはイマイチわからないけど、人のことはよく観察できる。そんな人は多い。
自分が持っている知識や技術というものを誰かに教えるとき、観察力が磨かれる。
観察するうち、情が生まれるような信頼関係が築けると、より親身に寄り添って教えたり、より深く自分も学ぶ努力をしたりする。
自他の共通点を見つけては自己を振り返り、再度学ぶ。
この繰り返しで、以前の記事で書いた森羅万象を、私は感得した。
今、ubugeというチームで、大人も子どもも楽しめる、自己肯定感を育める居場所づくりをさせてもらってる。
大人の多くは、自分でこの自己肯定感を育てる工夫をしないと身につかないけど、子どもの場合は、自然と備わっているそれを萎縮させないために、失わないように楽しみながら体験したり学んだりすることで才能を伸ばすことが容易にできる。
バイバイマスクデーやubugeといった新しいコミュニティづくりのためのアイデア出しや、人材活性のために私が働きかけるすべての言動は、この自己肯定感を高めるために経た「人に教える」過程あってこそ身についたもの、あるいは元あった得意分野を花開かせることに貢献したと感じてる。
もちろん、人によって才能の開花の引き金になるきっかけは違うだろうけど、人に教えるという経験は膨大な経験値を得る手段としてイチオシ。
これについて噛み砕いてさらに掘り下げようと思う。
「伝え上手になるために必要な13のこと」で改めて書くのでお楽しみに^^
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