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【連作ドタバタ短編】幽霊課長(こちら第一営業部①)第4話

ー第3話はこちらー

それからも課長は会社へ出現した。代行の黄林主任が課長席に座ると必ず課長が現れて黄林さんを突き飛ばしてどかし、そこに座るのだ。回を重ねるごとに小柄な黄林さんは遠くに飛ぶようになってしまい、さすがに命の危険がと、彼はもう座らなくなった。

実務上で困ったことは会社の捺印手続きである。うちの会社は電子化が遅れていて、各種承認手続きはいまだに書類へ物理的な印鑑を押さなくてはいけない。

そして課長が幽霊になって以来、課長承認欄があるすべての書類にはいつの間にか灰田課長印が押されていた。当然、書類の内容なんか精査していないので、いわゆる何とか判というやつである。生前からその傾向はあったが、今や完全にフリーパスとなってしまった。会社の業務は混乱を極めた。

ひどいのは誰も課長に書類を渡さずとも、いつの間にか課長席に書類が置かれていて、それにすべて課長印が押されていることだ。

「あの人、生きてる時から印鑑押すの大好きだったからな」

課長席で幽霊が印鑑を押しまくる姿を見ながら、柿谷先輩が小声で囁いた。

「休みの日に出勤して、押している姿を見ましたよ」

ぼくが以前見た光景を話すと、柿谷先輩はため息をついた。

「何なんだよ、あいつ」

「また出たのか」

銀星部長がオフィスに入ってきた。課長は部長を見ると、何か言いたげな顔をしながら消えた。

「部長、もうオフィスから離れないでくださいよ」

黄林主任がうんざりした声で言った。可哀想に幽霊からさんざん突き飛ばされて、あっちこっち傷だらけである。

「馬鹿言え。そうはいかんだろ」

「もう勘弁して欲しいですわ」

嘆く黄林主任。

課長席のまわりには皆が持ち寄った塩、怨霊退散のお札、教会の聖水等が所狭しと置かれていたが、あのお化けには全く無力だった。

「白井、明日少し早く来れるか?」

柿谷先輩が真面目な顔でぼくに言った。

「はい。大丈夫ですけど」


「何これ?」

翌朝。出社してきた銀星部長が呆然となった。

柿谷先輩とぼくで始業前にオフィスのドア、窓など外部との境界線に銀星部長の顔が写ったプリクラシールを貼りまくったのだ。当然、他の営業部の連中にも見られているけど、彼らはもう何も言わなかった。第一営業部は集団で狂ったと思われているからだ。

「葬儀の時の坊さんに紹介してもらった霊能者がアイデア出してくれたんですよ。すみませんが、みんなのためです。我慢してください」

柿谷先輩が頭を下げた。

「いいけど、効果あるのか?これ」

「あるみたいですよ」

ぼくがドアを指さすと、そちらを見た女子社員が悲鳴を上げた。

ドアのガラスに外から恨めしそうな顔をした灰田課長の顔が張りついていたのだ。明らかにオフィスへ入れない様子。作戦大成功である。

「はい、みんなこれを持ち歩いてください」

柿谷先輩は営業第一部の面々に銀星部長の写真を配った。

「これで寄りつかないはずです」

喜んで受け取る部員たち。

「人を魔除けにしやがって」

銀星部長はぼやいていたが、その言葉は皆の歓声にかき消され、皆の耳に届かなかった。

それからも課長はしつこく現れた。ただ、それはドアや窓越しにオフィスをのぞき込んでいるだけで、もはやぼくたちの業務へ干渉することはできなかった。

最初は課長を見つけて驚いていた部員たちも次第に慣れ、そのうち「また来たぞ」と鼻で笑って課長にあかんべーをするようになった。

「最近出ないですね」

「やつか?」

「やつです」

今や柿谷先輩とぼくの間で課長はやつ呼ばわりとなっていた。そしてプリクラシールを貼ってからしばらくたった後、課長は現れなくなった。

「ついに成仏しましたかね?」

「それはない」

柿谷先輩は即座にぼくの言葉を却下した。

こうして我が第一営業部につかの間の平和が訪れた。そう、つかの間である。

ある晩。自宅で眠りについたぼくは夢を見た。会議室でぼくたち営業一課のミーティングが行われていた。部屋の時計は午後四時。灰田課長がおまえらもっと売れと檄を飛ばしている。課のメンバーに一人ずつ商談の状況を報告させては、なぜもっと押さない?と理不尽に詰めまくる。まさに課長の生前そのままだった。

ついにぼくの番。説明を始めるとめちゃくちゃ怒鳴られた。だからおまえは甘いのだと。そんなことを言うなら商談についてきて自分がいいところを見せればいいと思うのだが、それはしようとしなかった。難しい商談や謝罪訪問には四の五の言って顔を出そうとせず、受注した時だけ涼しい顔で現れる最悪の上司。

夢にしてはリアルに自分の全案件を説明し、罵倒されたところでようやく次の課員にうつった。今度はネチネチと後知恵の説教。こうすればよかった、なぜあの時こうしなかった?と。わかっていればやったわいと言われている彼の顔に書いてあったが、課長はおかまいなし。勝ち誇ったように責めまくる。

腕時計を見ると、ようやく五時。ミーティングが終わる時間だった。ノックの音。ドアがかすかに開いて、隣の課、二課の紺野さんが頭を下げる。部屋を空けてくれの合図だ。この時間から二課のミーティングなのだ。ようやく解放された。

と、思ったところで目が覚めた。ふざけるな。

ろくに寝た気がしないまま身支度して出社。その日はボロボロだった。

仕事を早々に切り上げて独身一人暮らしの自宅に帰る。あり合わせの物を夕飯に食べ、入浴後に寝た。くたびれ果てていて、テレビすら見る元気がなかった。

眠りに落ちた瞬間、また課のミーティングで灰田課長に詰められていた。案件の進捗を教えろと。えっ。一日じゃ何も変わるはずないじゃんと思ったが、課長はお構いなしだった。アホ馬鹿間抜けと生前からさらにパワーアップした罵詈雑言が飛んできた。死んだ人間にはパワハラなぞ無縁だ。

順番に課員が説明し、課長が怒り狂って怒鳴りつけているところにまたノックの音。ドアが開いて二課の紺野さんが頭を下げる。

えっ。昨夜と同じ。

目が覚めてからぞっとした。まさか、これが毎晩続くのか?

「おまえもか?」

柿谷先輩がげっそりとした顔で言った。ぼくが会社で夢の話をしたところ、先輩も同じ目に遭っていることがわかった。

夢の中で柿谷先輩は灰田課長と外出していた。課長はそのへんのビルへ適当に入ると、知らない会社のオフィスを指さす。

「ここに行け」

すると柿谷先輩は何の抵抗もできず、見ず知らずの会社へ飛び込みセールスを行うのだ。相手の業種も知らず、当社が取り扱う工作機械の需要があるかもわからない。いや普通はない。あるのはごく限られた企業だ。

当然ながら門前払いである。夢の中だから何でもありで、社名を名乗る途中で物を投げられたこともあったそうだ。現実にはまあそんなことはない。

追い出されると、また課長が別のオフィスを指さす。

「次はここだ」

また飛び込んで罵声を浴び、追い出される。それを何度も繰り返したそうだ。夢の中で延々と。

「昨夜はついに警察を呼ばれたよ」

泣きそうな顔で柿谷先輩は言った。

「どこに飛び込んだのですか?」

「ショッピングモールのクレープ屋」

課長に命じられるがままにクレープ屋に飛び込み、社名を名乗ってとうとうと大型工作機械の特徴を説明しだしたそうだ。当然、クレープとは何の関係もない。すると店の女の子に電話で警察を呼ばれた。夢だから話が早い。あっと言う間にやって来た警官に手錠をかけられ、署に連行されるところで目が覚めたとのこと。

灰田課長は仕事ができて社内で人気がある柿谷先輩に嫉妬していた節があり、何かあるごとに難癖をつけては辛く当たろうとしていた。ところが先輩があまりに仕事ができてつけ込む隙がなかったため十分に攻撃できなかったのだ。あの世に行った今、夢の中で存分に思いを果たしているのだろう。本当に嫌なやつだ。

「それはたまらないですね」

「寝るのが怖いよ。今夜は猟銃で撃たれるかもな」

さすがの柿谷先輩も元気がない。

と、こんな話をしていると、事務の水川陽子が寄ってきた。

「ねえ聞いて。私も夢で灰田課長に」

えっ、と思った。陽子はルックスがよく、営業部のマドンナ的存在である。
灰田課長が彼女に好意を持っているのは明らかで、いつもデレデレしていた。

「二晩連続、暗い店に連れて行かれて」

「何っ?」

「えーっ」

ぼくと柿谷先輩は同時に声を出した。あのスケベオヤジ。まさか陽子ちゃんに。

「朝までカラオケでデュエットさせられたの」

ぼくたちはこけた。何なんだよ。

「それで肩組まれたり、お尻触られたりしなかったの?」

柿谷先輩の質問はぼくも頭に浮かんだことだった。

「それはないけど」

「へーっ。そのへんはわりとちゃんとしているんだな」

思わずぼくは感心してしまった。

「ばか。そういう問題じゃないでしょ」

陽子に怒られた。柿谷先輩のケースと同じく、彼女に拒否権はなかった。夢の中で指定される曲をひたすら課長と共に歌い続けたのである。時には軽くダンスも加えながら。中年オヤジの選曲なので当然ながら知らない曲だらけだったが、なぜか歌えたそうだ。

「柿谷、俺たち関係ないだろう。勘弁してくれよ」

二課の紺野さんも来た。昨日も一昨日も夢で会ったな。

「おまえんとこにも出るのか?うちの課長が」

紺野さんは柿谷先輩と同期だ。灰田課長は一課の課長なので、確かに二課は関係ない。

「それがひどいんだよ」

紺野さんもぼくと同様に夢の中で会社に来たそうだ。

「気がつくとオフィスにいるんだよ。二課のメンバーが全員まわりにいる。でも、フロアに二課以外誰もいないんだ。一課や営業二部とか三部のやつらがいない。時計を見ると午後四時」

一課のミーティングが始まる時間だ。

「パソコンを立ち上げようとしたが、電源が入らない。スマホも駄目。オフィスから出ようとしたら廊下に出るドアが開かない。閉じ込められた状態だ。困っていたら会議室に人がいるのがわかった。外から除くと一課がミーティングをやっていた」

「それ、俺たちだ」

柿谷先輩がつぶやく。紺野さんはわかっているというふうにうなずいた。

「会社の様子がおかしいので一課のメンバーと話をしようと、会議中だけどドアをノックした。何の反応もない。ドアを開けようとしても開かない。外から大声で呼びかけてもおまえらは反応しない」

「白井、おまえノックの音に気がついたか?」

「いいえ」

柿谷先輩に訊かれてぼくは首を横に振った。そんな気配は全くなかった。

「そのまま為すすべもなく時間だけが過ぎていった。そうしたら、時間が午後五時になった瞬間、俺は会議室のドアを開けていた」

「昨日も一昨日も五時に紺野さんを見ました。会議室を替わってくださいみたいな感じで」

ぼくが言うと、紺野さんはやっぱりという顔をした。柿谷先輩が尋ねる。

「そこから二課のミーティングを始めたのか?」

「いや、そこで目が覚めた」

「なんだ、それ」

「聞いてみると、二課のメンバー全員が同じ夢を見ていたんだよ。約一時間オフィスにいてやることないの。おまえら一課を五時に会議室から追い出すまでは」

「課長のやつ、二課の扱いが雑だな」

「ひどいですね」

「今日も明日もその後もあの夢を見ると思うとぞっとする。何とかしてくれよ。おまえらの課長だろうが」

そんなことを言われましても。

ー第5話に続くー









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