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【試読】死にたがりの修羅 第三話より

9月に通販を開始した新作小説『死にたがりの修羅』の一部を抜粋します。
※当記事はテキレボEX2内企画「試読巡り」参加用の記事です。

 強い日差しに晒された街。砂埃の舞う景色。
 それは動画だと言うのに、乾燥した空気がリアルに伝わってきた。
 遠い国の戦争の記録映像だった。破壊された街を兵士たちが制圧のために歩いている。負傷した現地の子供たちが映し出されている。移動中のジャーナリストの言葉は途切れ途切れで聞き取りにくい。それが却って臨場感を増していた。
「また見てるの?」
 柔らかい声が耳元に掛かった。肩に感じていた夕里の背が離れて、手のひらに変わった。
「やっぱり男子だから、戦争が好きなの?」
「違います。これ、戦ってるところじゃないし」
「それならどうして何度も見るの?」
「……それは、うまく言えないんですけど」
 僕が生まれて間もない頃に大きな戦争が中東で起きた。何故かそのことが頭に残っていて、たまに動画サイトで当時の様子を調べてしまう。そんな癖が僕にはあった。
「時々思うんです。戦争の巻き添えで死ぬのはどんな気持ちだろうって。政府が勝手に喧嘩してるのに、そのせいで爆弾が降ってくる。もうそれって、どうしようもないじゃないですか。そんな理不尽な死が世界中にあるのに、何で僕らは普通に生きているんだろうって、思いません?」
「世界かあ、大きすぎるよ。それは」
 言われても仕方ないと思う。第一僕自身が、それほど熱意を持っていたわけじゃない。まとまらない思考を言葉に乗せて、混沌としているものをそのまま続けていた。
 夕里の手が背後から僕の首筋を撫ぜて胸元に降りた。風に揺れる木漏れ日とともに、背中に温みを感じた。
 僕らは今、教会の庭にいた。街の外れにあったカトリック系の教会だ。それほど広い場所でもないのに、ほかの建物が樹々で見えないせいか、世間から離れているような気がする。
 屋根の上に鐘がある。そのさらに上に白い十字架がある。鐘の回数は時間を示すけれど、何時に何回だったかはもう覚えていなかった。
「キリスト教とイスラム教の神様が同じって、知ってる?」
 夕里は唐突に言った。
「そうなんですか」
「うん。呼び方が違うだけで、唯一神は同じ。その御使、天使たちも似通っている。違うところもあるけれど」
 夕里の手が僕の前を漂って、指を折って二を示した。
「キリスト教の二大天使は、天使の軍を指揮するミカエルと、神様の言葉を人間に届けるガブリエル。宗派によって、癒しの天使ラファエルを加えて三大天使と呼んだりもする」
 それから、と今度は指が四に変わる。
「イスラム教だと呼び方が変わる。ミカエルはミーカーイール。ガブリエルはジブリール。ラファエルはイスラーフィール」
 そこまで言うと、一旦夕里は言葉を切った。ちょうどつむじ風が僕らを取り巻いていった。三月。季節の変わり目の、少し強い風だった。それが止んでから夕里は続けた。
「そしてイスラム教では、アズライールという天使も数えて信仰の対象とする。人々に死を与える天使なんだ」
「死神ですか?」
「近いかもね。でも、人の祖先であるアーダムを作ったのも彼だとされている。神様が天使たちに人間を作れと言われたとき、材料となる土を求めて天使たちは大地を訪ねた。大地は反対したのに、アズライールだけはその諫言(かんげん)を聞き入れなかった。彼が人の命を奪うのは、人間を生み出してしまった責任を取っているからなのかもしれない」
 夕里の言葉を僕は半分聞き流していた。
 戦場の空の上では死神が舞うのだろうか。
 僕はそのとき、その天使の姿はまるで知らなかった。ただ陳腐なイメージで、黒いフードを被った骸骨を思い浮かべていた。死神という第一印象が脳裏に残ってしまっていた。
「夕里さんはどっちの信者なんですか?」
「え? 全然。全てネットで得た知識だよ。君が動画を見るのと同じように、私も私で、自分とは無関係な世界を傍観者として眺めているの。その信仰や物語の下で起きていることに目を向けている分、君の方がずっと偉いよ」
 その戦争の映像はすでにシークバーが最後に至っていた。灰色になった映像に再生のマークが映し出されている。十数年前のその凄惨な映像はこの世界のどこかの過去でしかない。
 一陣の風がまた吹いて庭の草木が波打った。
「私と同じ高校には入れなかったわけだけど」
 夕里は僕の肩に手を戻した。
「これからも、私に会いたい?」
「いいんですか?」
 声が上ずって、その調子のまま振り返った。勢いに気圧された夕里がきょとんとして、それから口元を緩めた。
「前から言ってるじゃない。もっと素直になりなよ。私は君を止めないよ」
 夕里は僕の手の甲を握った。音もなく、唐突だったのに、嫌な気は微塵もしなかった。
「また何かあったら、私を頼ってほしいから」
 微笑む夕里の顔から僕は一旦視線を逸らした。唇を軽く噛んで、顔を上げた。
「もしも卒業したら」
 出会ってから、長い間、僕は君の優しさを一身に受けていた。受け身の姿勢のままでいることをいつからか恥じるようになっていた。
「夕里さんのこと、夕里って呼んでもいいですか」
 夕里は何度か目を瞬かせていた。風の音も鐘の残響もない、暖かな空白だった。
「いいよ」
 僕の視線は夕里の瞳に向いていた。僕が真正面から安心して見つめていられる人はこの世に夕里だけだった。そのことが無性に嬉しかった。
(死にたがりの修羅 第三話 死告天使 より)

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