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異なる記憶

ずっとお父さんとの思い出を隠してる自分がいる。
誰にも話したくても話せない、自分を取り巻く深く呪いのように絡みついた過去。

少し前に、ある人と出会った。
光が差すようにお父さんとの記憶を、思い出を、伝えたいと思い出してみようと思えた。
きっと少し似てる面影と身を任せてもどこか安心できるように感じれるからだ。

ほんの、少しの。思い出ではない、記憶の断片だけを。
自分が生きた記録として残そう。
もう数えられるまでになった生きるという時間に。


中学1年生の7月。
クラスで学級委員長を任されながらも虐待を原因として鬱病、自律神経の病気を発病した。
検査過程で難病の腎臓の病気も見つかった。
当時まだ12歳の私にとっては少しどころか、だいぶ、心が重たかった。
病気を抱えてしまった自分の存在が。
予想もしない方向に狂っていく感覚がした。


そのうちクラスに、学校に、社会に、劣等感を覚えた。
友達と言える人が一人ひとりと消えていった。
家という社会が当たらない狭い空間に外れるようになった。
けれど、家は優しくない。
家には両親がいる。暴力暴言を振るう両親がいる。完壁を求める両親がいる。
小さい頃から邪魔だった、悪だった。
でも、今は学校では社会では私が邪魔だった。悪だった。そんなことさえ分かりきっていた。

いつまで頑張るか、いつ死のうか、そんな期限を決めながら、生きながらえる生活だった。


しかし、そんな生活に、手を差し伸べてくれたのが高校進学だった。

私は偏差値を下げて、田舎の高校に進学した。
誰も知らないところでやり直したかった。
本当の自分を出してあげたかった。
学校という社会の中だけでも。

待ちに待った高校生活がスタートする2日前。
お父さんが運ばれた。救急車で。


私をあんなに殴って蹴飛ばしてた人がなぜ救急車に?
お父さんの自慢は体が強いことだった。
何一つ病気をしてるところなんて見たことない。
だからこそ、よく分からなかった。


間も無くして、お母さんが家に戻ってきた。

「お父さん入院するから。」

その一言だけが取り残された。私の存在もそこで置いていかれた。

どうして?なんで?という疑問でいっぱいだった。意味がわからなかった。
高校に私は通えるの?大学は進める?学費はどうなる?自分のことで頭がいっぱいだった。
その日の記憶はこれしかない。


翌日、目を覚ますと1階から父方の祖父母の声が聞こえた。
朝から乗り込まれてるらしい。

「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」

「あなたたち毎日生活してるんでしょ?」

「もっと私たちに早く言ってくれれば無理矢理にでも病院に連れていったのに」


そんなどうしようもない言葉が聞こえてきた。
状況が分からず、後々怒られるのが嫌で顔を出した。
「おはよう。」と明るさを口にして。

すると、祖母から

「なんであなたもっと早く教えてくれなかったの?」

と泣きそうな荒げた声で言葉を突き刺してきた。

分からなかった。なにも。
ずっと、受験で、頭の中がいっぱいで、家のことなんて見てなかった。

ああ、そういえば、夜、起きて吐いてたな。
鎮痛剤を、飲む回数、増えてたな。
あ、左の首元よく手で、抑えてたな。

そんな通りすがりの記憶を思い出しつつ、何があったのかなんてさっぱり理解できなかった。

少し落ち着いた頃、お母さんがようやく口を開いた。

「お父さん、リンパ節が腫れ上がって、気道を塞いで呼吸困難で緊急入院したの。」

と言葉を投げてきた。

私は咄嗟に「生きてるの?」
と言葉を走らせた。

その瞬間、感じたことのないような視線が針のように鋭く刺さった。ものすごく痛かった。


「今は安定してる」とこぼした。


ほっと安心した。
けど、同時に、大丈夫なのか、という心配と
これからどうしていくのだろう、という不安で
押し潰されそうになった。

私は私に向けて「私なら大丈夫、1人でも」と念じることで、なんとか私を保った。

涙は決して流さなかった。流せなかった。
悔しかった。信じられなかった。信じたくなかった。嫌だった。嘘って言ってほしかった。

お父さん、お母さんからこれまで痛い思いを
たくさん受けてきた。
感情だけじゃなくて、自分という存在を失ってきた。
お父さん、お母さんだけじゃなくて、独りで押し殺してきたから。
どこにもぶつけられない感情を自分の心にしまい込み続けてきた。

けど、ただ。ただ。

ずっとただ愛されたかった。
私を認めてほしかった。

その感情を1番奥にしまい込んである。

心のどこかで高校に入学したら変わるかな。
やりたいことやり通したらすごいと思ってもらえたら対応が変わるのかな。
切なくて脆い期待を握っていた。

ずっと行動は裏返しになってるだけだと思い込んでいた。子どもながらに分かっていた。
自分の愛してる子どもだからこそ素直に接しれてないだけなんだ。

本当は好きなのも分かってた。

毎日欠かさずに作ってくれるお弁当。
習い事は全てやらせてもらえること。
必ずお迎えに来てくれること。
確信となるのは、何よりも2人の寝室の奥にあるアルバムだった。
お父さん、お母さんが彼氏彼女の頃、妻、夫になった頃、お父さん、お母さんになった日々や旅行の記録、生まれてから今に至るまでの成長過程。

1枚残らず、写真に、記憶に、思い出にまとめてあった。
そして1つひとつメッセージまで書いて。


なんでお父さん。お父さんなの。
なんで私は自分の言葉や行動だけじゃなくて、お父さんを苦しませなきゃいけないのかわからなかった。

そんなことをひたすら考えた、入学式前日だった。

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