絶望ちゃん

フィクションみたいなノンフィクションの人生に終わりを 過去の記憶に辿って

絶望ちゃん

フィクションみたいなノンフィクションの人生に終わりを 過去の記憶に辿って

最近の記事

こんな日々を終わらせて

1年でいちばんだいすきな、もどかしい、記憶の深い、8月が終わった。 今年も8月は残酷だった。たくさんの私が失い奪われ傷つけられた。 やっと前に進めたと思ってた。 けどそんなことはなくて。 私の抱く感情は周りと比べ物にならないくらい大きくて、とても受け止められないし、受け止めてもらえないものだなと実感していた。 けれど、どこか寂しくて心苦しくて分かって欲しくて、他人に押し付けてる自分がいる、いた。 自分の気持ちのせいで周りとうまくいかないこと、大切な人を守れないこと、多く

    • 誰かの神様になりたかった

      20。 他人から見たら短いであろう。 この時間に愛されたこと、必要とされたこと、認めてもらえたこと、誰かの何かになれたこと。 きっとなかっただろう。 今何か改めて失ったわけではない。 元から何も得てはいなかった。 母親の手術で久しぶりに実家に帰ってきた。 東京と違って。他人が自分に入り込んでくる。 知ったふりをして「最近どう?」なんて言って。 無責任な言葉。 他人がどうしてるか聞いたところで自分を安心させたいだけ。 上手く生きれてないのなんて知ってるだろう。 今まで

      • これっきり

        いつからだろうか。 音楽に人生を預けるようになったのは。 いつからだろうか。 音楽を心から楽しめなくなったのは。 いつからだろうか。 音楽を利用して自分の価値を測るようになったのは。 私は音楽を綴る、創る、届ける、そんな技術も才能も度胸もない。 けれど、いつからか他人が人生を捧げた音楽に縋り、自分の心を価値を放り投げるようになった。 私の脆い人生にはいつも言葉が音楽がそばにいた。 生きるための装備として音楽が力になってくれた。 けれど、今は生きるための命として音楽がある

        • 初夏、コトバ、夏至、

          私の人生は最初から始まっていなかったとさえ思う。 常に自分を自分で殺してきた。 思うこと、伝えること、届けること。 いつだって自分の人生なのに中心には誰かがいた。 それが親だった、想いを馳せる人だったり。 生きるとき、時間、によって違った。 どんなときでさえ、どんな人でさえ、その人にはその人の人生がある。 所詮、いくらどう頑張っても2番目だった。 1番になれない。 私は誰かじゃない、君の1番になりたかった。 私は私がいない。 ずっと親の顔色を伺い、言葉にしない、言葉にでき

        こんな日々を終わらせて

          音楽が詠んでいる

          ずっと音楽に助けられて救われて生かされてきた人生。 これが音楽の力だと信じていた。 音楽に救われるのは自分だけだなんてことを呑気に思っていた。 けど。今年、音楽の本当の力は人を殺めることだと痛めつけられた。 音楽をただただ聴いて、感じる立場じゃなくて 創る立場を支えさせてもらうようになって 本質を理解した。 人生を綴ってるんだなと。本当は音楽に救われたいのは綴ってる当の本人だと。 君のかく歌はいつだって人生を救ってくれて変えてくれて過去の君を殺した人が主人公だった。 私

          音楽が詠んでいる

          異なる記憶

          ずっとお父さんとの思い出を隠してる自分がいる。 誰にも話したくても話せない、自分を取り巻く深く呪いのように絡みついた過去。 少し前に、ある人と出会った。 光が差すようにお父さんとの記憶を、思い出を、伝えたいと思い出してみようと思えた。 きっと少し似てる面影と身を任せてもどこか安心できるように感じれるからだ。 ほんの、少しの。思い出ではない、記憶の断片だけを。 自分が生きた記録として残そう。 もう数えられるまでになった生きるという時間に。 中学1年生の7月。 クラスで学級

          異なる記憶