たかばやし

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大江健三郎『性的人間』における〈J〉の欲望について

 大江健三郎の『性的人間』は三人称視点で書かれる二部構成の短編小説である。前半部では、主人公である〈J〉たちが映画を撮るために訪れた別荘での事件が扱われる。後半部では、国会議事堂前駅で痴漢をした〈少年〉が、《舗道上の友人》という痴漢行為の互助組織について扱われる。本稿中の引用の明記方法については、丸括弧内の全角数字が引用・参考文献の数字と対応する。  『性的人間』では主人公である〈J〉の性癖を中心として人間関係が構築される。それは、前半部では「自分を核とした自分流の性の世界

    • 代理表象としての「地球」―試論2

       前回、私はRADWIMPS『有神論』において「地球」という表現が、「創造主の優しさ」の比喩として用いられていたが、そもそも「地球」の生成過程を考えれば、それは「孤独」の比喩として用いた方が妥当なのではないか、ということを述べた。  たしかに、「地球」を何の喩えに用いようが野田洋次郎の勝手ではあるが、私が思うに、彼はわざとねじ曲がった比喩を用いたのだ。なぜなら、言葉の本性は虚だからである。 具体的には村上春樹『風の歌を聴け』の冒頭文が分かりやすい。ここから始めよう。 「完

      • RADWIMPS『有心論』と衒学的態度についての試論

         RADWIMPSの『有心論』という曲にこのような歌詞がある。 誰も端っこで泣かないようにと君は地球を丸くしたんだろう?だから君に会えないと僕は隅っこを探して泣く  先日、5年ぶりくらいにこの曲を聴いて2つ目のサビにこの歌詞が出てきたとき、衝撃だった。野田洋次郎が致命的な間違いを犯していると思ったからである。全体の歌詞の流れを見てみよう。しかし、歌詞の解釈という行為自体が不安定であることを比喩の仕組みからして逃れ得ないのであるが。  『有心論』は、自信の無い「僕」が「君

        • 村上春樹『ノルウェイの森』の不完全性について

           『ノルウェイの森』は1987年に講談社から出版された上下二巻の長編小説です。ご存じの方は多いと思います。  どんな内容かはウィキを読めばわかるので割愛します。簡単に言えば、大学生の恋愛小説なんですが、フェミニストからはかなり叩かれてました。もちろん今でも。主人公が消極的なのに、周囲の女性が「ヤラせてくれよ」って寄ってくるのがおかしいらしいです。アマゾンのレビューでも「作者キモイ」的な感想がみられます。あとは「内容が薄い」「人間味がない」といった意見もよく聞きます。言わずも

        大江健三郎『性的人間』における〈J〉の欲望について