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~絵は、現実の法則を大事にしなくて良い編~白也が理想の英雄を作り上げる【完全版】その4

【注意】本記事を読まずとも外部での、私の投稿を見ればおおざっぱな情報は、投稿が残っていれば見ることができます。

さてさて、今回は、私、矢城白也の絵についての考えを述べたい。


みんな聞いてくれ!絵は、現実のバランスで描く必要は、ないんだ!独自の世界観の法則で描けばいい!現実の法則にこだわるなら、そもそもカメラで写真撮ればいい。そのほうが効率的で一瞬で終わる。

だが!!

私達絵を描いたことあるものは、それだけじゃなくて、独自の物、個性を出せなきゃ、いささか息苦しい。

せっかく、現実以上に自由にできる場所なのに。

さて、それから聞いて欲しいことそれは、

絵にうまいも下手もないんだ!好きか、そうでないか、しかない。なんたって、見ている人の感性しだいで、うまい、下手だの適当にみんな決めている。本当にどちらか明確にできるなら、意見は、何千人に見せて言わせても変わらない。だが、現実、意見は、バラバラ。そう。上手いの絶対の指針はない。

つまり、上手い、下手は、その人、個人が決めたレッテルや思い込みにほかならない。

オレからすれば小さな子供が描いた純粋な絵だってすばらしい。どんなに、現実とかけはなれていても、独自の魅力があり好きだ。

もっと単純に、わかりやすく。感情全開で、ああ、この絵好きやわーでいいのだ!

上手いか下手かで論争してるうちは、まだまだ未熟なひよこさんだ。

そんなもの忘れてもっと自由に描こうぜ。そのほうがみんな楽しい

みんな下手だのなんだの言ってる。いつまで経っても自由に飛ばないひよこさん状態より。鷲(わし)とか、みたいにもっと自由に飛び交い楽しもう!

さてさて、日々絵を至るところに投稿している私は、何度も、何度も、下手だの、パーツがどうのと、言われてきた。

けれど、私は、そう言ってくるものの意見なんかに従わない。

自分が尊敬する人の意見なら取り入れるが、絵については、自分のセンスに誇りを持って描いている。

自分の経験や、才能からくるイラストをどこの誰ともわからない人に歪められたくない。


そもそも、誰かの好み、考え方に100%従ったとして、そのもの申した人にとっては、良い作品が出来上がるかもしれないが、他の人にとっては、ひどい作品かも知れないし、100%盲目的に従って動いていたら自分の経験、意思に基づいた作品では、なくなってしまう。

やっぱり、自分で考えず、他人の意見に盲目的に動くだけじゃ、楽だけど、自分の今までの生きざまを尊重できていないよね。

私達、1人、1人の生きてきた足跡は、決して、価値がないわけじゃない。その場、その場の自分が頑張ってきた大事な歴史だ。

自分の人生に手を抜く人間は、いないと考える。

例え寝ていたり、ゴロゴロしてても、それは、その時求めている休息を手にいれるべく頑張っているのだ。

ゆえに、生きてきた経験一つ一つから来る考え方がにじみ出る絵には、自分らしく、誇りを持って自由に描こうぜ!!!