破って捨てよう 思考を窮屈にする○○すべき論 通読目安:5分
窮屈なだけの○○すべきを捨てて、自由に、楽になろう、というお話です。
○○すべきって、持ってませんか?
口に出さないまでも、心の中で思ってしまったり、自分の信念のように思ってしまっているもの。
たとえば・・・
・友達はたくさん作るべき
・親には感謝すべき
・朝食は必ず食べるべき
など。
思い込みのようなものですね。
自分の価値観を元に、自分はこう思う、というのはいいのですが、それは、こう思うであって、こうすべきではないし、ステレオタイプを正しいと思い込み、自分を窮屈にしてしまったり、人に押し付けるのは違いますよね。
だからもし、こうすべき、というものが出てきたら、その○○すべきは、本当にそうなんだろうか、違う考え方はないのか、自分も本当にそう思うのかと、自分に問いかけてみる。
そうすると、違う考え方もでてきます。
それを踏まえて、先程の○○すべきを見てみましょう。
■○○すべきを検証してみると・・・
先程の例で言えば、まず、友達が少ないと何か問題でしょうか。
僕みたいな内向的な人間は、一人でいるのがけっこう好きだったりします。
友達がたくさんいて、しょっちゅう誰かに会ったり、話したり、飲みに行ったりとかは疲れてしまう。
一人の時間を好み、大切にする。
それは人の価値観の違いであって、問題はないですよね。
友達がたくさんほしいと、自主的に思っているなら、友達を作るための努力をすればいいと思います。
でも、一人でいるのが好きで、友達は少しでいいと、本当は思っているのに、周囲から見たら、友達がたくさんいたほうがいいからという理由で、友達が少ない、そもそも作ろうと思えない自分はダメとか思うことはないんです。
一人でいて、一人でご飯食べてて、それを見た人が、あいつは寂しいやつだと思ったとして、クスクス笑われたとして、どうでもいいわけです。寂しいとかじゃなく、一人でご飯食べたい人もいるので。
クスクスしてしまうその人は、想像力が足りてないわけで、はいはいそうだねよかったねってぐらいのもんです。どうでもいい人です、そういう人は。
だから、自分が友達がたくさんほしいのかどうか、そこを確認して、自分が心地良いようにしていけばいいんです。
親に感謝すべきというものついてはどうでしょう。
感謝できるならそれに越したことはないし、育ててくれたことに対する感謝はあるでしょう。
でもね、感謝すべきって考える必要はないです。
義務ではないので、感謝は。
それに、それも人それぞれです。
たとえば、虐待してきた親に感謝しろって言われても、そのことがあったから、いま自分が幸せになったというなら、自然に感謝が湧いてくるでしょう。ちょっと皮肉っぽい気もしますが。
でもそうじゃないなら、虐待してきた親に感謝するのは難しいと思います。
自然な感情として。
それならそれで、別にしなくていいんです。
人がなんと言おうと、こういう理由で感謝できないというものがあるなら、無理にすることはない。
自分が幸せになれば、自然と何かしらの形で感謝の気持ちが出てくることもあるし、無理やり感謝しようと思わないほうが、考え方が自由だから、心が健やかでいられます。
朝食は必ず食べるべき、というのはどうでしょう。
僕の考え方は、食べたければ食べればいいし、食べたくないなら食べなければいい、です。
お腹が空いてれば食べればいいし、空いていないなら食べないでもいいし、どっちでもいいと思います。
食べたほうが頭が回るという話も聞きますが、僕の経験では、食べたほうが頭は回りません(笑
だから、人それぞれ、食べたほうが調子がいいなら食べればいいし、眠くなってしまうとかなら、食べなければいい。
ただ、子供は食べたほうがいいと思います。
お腹も空くでしょうし、成長のために必要だと思うので。
でもそれも、僕はそう思うだけで、食べるべき、とは思いません。
ね?
そうやって見ていくと、あたりまえのように思ってきた、○○すべきって、根拠もないし、なるほどと思う理由もなくて、ただ自分を苦しめるだけの、いらない思い込みだったってことに気づきます。
だから、自分を前に推し進めてくれる、困難を乗り越えるのを助けてくれるような、そういう思い込みだけを残して、自分を苦しめる○○すべきは、紙に書いて、ビリビリ破ってゴミ箱にポイしちゃってください。
思考を、自分の思い込みで不自由にしてしまうのはもったいないです。
自由にしてあげてください。
それができるのは、自分だけですからね。