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写真の話  ”写真の記録性”

こんにちは、GOEです。

写真とは何かと言う話をすると必ず出てくるのが”記録”というキーワードではないでしょうか。

写真=記録というのは、間違いではないのだけど誤解されている部分があると私は思っています。

今回はそのあたりについて書いていきたいと思います。


写真の記録性

写真は原理的にはカメラの中に入った光がフィルムやセンサーに当たった時の反応を保存したもの、光による感光部の変化、反応の記録です。

なので、この写真とはの話を調べると『記録』という言葉を見かける割合がかなり高い。
光の記録、事実の記録、思い出の記録などなど、写真=記録と言えるくらいその記録性について考える人は多いようです。

たった今自分でも書いたように”原理的”には記録で間違いないのですが、しかし個人的にはこれは”写真とは何か”の答えになっていない気がして、分かるんだけどなんか違う感じがしてしまいます。

例えば『絵とは何か?』と言われて、顔料を塗って作った図柄と答えるような、決して間違いではないけど肝心な部分が抜け落ちている答えのような印象を、写真=記録という答えに感じてしまうのです。

実際によく勘違いされている問題としても、写真は本当に読んで字のごとく真実を写しているのか?ということがあり、実は写真は上で書いたカメラの原理としての記録性と、思い出や事実の記録ということは決して直結していません。

この写真を語る上で避けては通れない記録性に対する誤解について説明したいと思います。


多くの写真は真実を写していない

『真を写すと書いて写真』
たまに見かけるこんな文言。

ネットを中心に調べてみると、最近は割と否定派も増えてきたような気配があり、例えば「写真 真実を写す」などで検索してみると結構な数の否定的な、「真実なんてそんな簡単に言えないよ」といったような文章が出てきます。

私も、写真に真実が写るとは思っていません。
事実の記録としての写真や見たまんまの写真ということを気軽に言われるとどうしても違和感を感じてしまいます。

ですが、あらためて見てみるとネットでこの件について否定的な考えを書いている人はそのほとんどが私のように写真をやる側の人達で、実は写真をやらない、見るだけの人は真実が写っていると思っている人が予想以上に多いように感じます。

写真をやらない人にとっては、過度に加工されたような写真以外は基本的に写真は真実が記録されていると無意識のうちに思ってしまっているようなのです。


”記録”と言う言葉

”記録”という言葉自体を少し考えてみたいと思います。


記録、英語にするとRecord

ウィキペディアによれば『安定した形で定着・保存された情報』とのこと。

また、ネットで出てきたデジタル大辞泉では

1 将来のために物事を書きしるしておくこと。また、その書いたもの。現在では、文字に限らず、映像や音声、それらのデジタルデータも含んでいう。「記録に残す」「実験の記録」「議事を記録する」
2 競技などで、数値として表された成績や結果。また、その最高数値。レコード。「記録を更新する」
3 歴史学・古文書学で、史料としての日記や書類。

と書かれている。

あらためて見ると、自分自身、意外と普段忘れがちだなと思うのが、記録と言う言葉はその情報の正誤に関しては触れられていないというところ。

スポーツのタイムや科学実験のデータのように、公表された時点でそれが真実、正確な数値だという前提で扱われるものと、歴史の史料のようにその資料単体では信憑性が分からない、複数の資料を照らし合わせて初めて正誤の判断と成り得るものとが、どちらも同じ”記録”として扱われるのでつい○○の記録などと言われると、どんな種類の情報であれ、そこに記してある情報はとりあえず信じるに足ると無意識のうちに考えてしまうのではないでしょうか。

実はスポーツのタイムや科学実験のデータも、それが正しいのかちゃんと検討されていると思います。
複数台の計測器をつかったり、計器の異常は無かったか調べたりした上で正しい記録として扱われているのだと思いますが、そこを気にするのは専門家くらいで、一般人は100m走のタイムがゴールの直後に表示されれば100%信じている。

それはなぜかと言えば、100m走のタイムを計測しているのが機械だから。
科学実験も同じで、計測機器は機械やアナログでも温度計などのように精密に調整された人間の曖昧さからは遠い印象にある器具だという信頼感があるからです。

逆に、スポーツでも野球やテニスのアウト判定には審議が付きますよね。
人間がちゃんと見えたかどうか疑わしいから、今は機械頼りのビデオ判定が入り込みました。
このビデオ判定の結果にまで異を唱える人は見たことがありません。

人間なら誤審をするかもしれないけど、機械で撮った映像なら間違いない。

この機械=正確=正しいという機械への信頼の高さが写真にも影響していて、カメラも機械だから正確=正しい=真実が記録されているという印象を無意識のうちに持つことになっているのだと思います。


カメラが記録しているもの

ではカメラが記録しているのは何なのか。

カメラを構え、シャッター速度や絞りなどの設定をして、ピントを合わせてシャッターボタンを押せばレンズを通して入ってきた光の情報を写真として記録します。

カメラは機械なので壊れていない限り同じ設定をすれば同じように動きます。

例えばシャッター速度1/250、絞りF8、ISO100で50mmのレンズでピントを合わせて撮影したとして、翌日、またこれと全く同じ設定をすれば同じように動きます。

条件を100%、全く同じにすれば、全く同じ写真が撮れるのがカメラです。

もし、翌日同じ時間、同じ場所で同じ設定で撮影したのに違う写真になったとすれば、カメラの消耗、劣化を無視するならばそれはカメラの動作以外で条件が100%合致しなかったのです。
カメラの向きが数ミリ違う、天気が違う、気温湿度が違う、太陽の位置が違う、風の強さが違う…言い出したらキリがない程色々な要因があります。

そもそも、翌日なんて言わなくても1秒後でも違いますよね。
歩いている人はもう一歩先に行くし、風に揺れている葉っぱは全然別の動きをしています。

つまり、カメラが写真として記録しているのは、シャッターを押した瞬間のカメラの設定や被写体や周囲の状況などの全てを合わせたトータルとして、カメラのセンサーに当たった光の情報の記録となります。

写真における記録とは、上記のこういう状況の下でシャッターを切りましたということの記録だけなのです。

そこに見たまんまとか、思い出の記録とか、真実の記録とかはカメラという機械には関係ないことなのです。


人が写真を見て思う真実とは何か

写真は本当にシビアにシャッターを切った時の状況しか記録していません。

一方で、写真を見た人が感じる真実や事実はどうか。

例えばこの写真は真実を写しているのでしょうか

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曇りの日の海と防波堤です。
水平が取れていない失敗写真なのですが、まぁ逆に一切加工や調整はしていないということで。
この写真は真実を写していると言えるのでしょうか?

次の写真と見比べてみて下さい。


画像2

どうでしょうか、一枚目の写真と比べると防波堤の長さが違って見えないでしょうか?


この二枚の写真のどちらが実際の防波堤に近いのでしょうか?どちらの写真の方が真実に近いと思いますか?

カメラという機械からすればどちらも真実なのです。
こういう風に写るように撮影者である私がカメラを設定し構えた結果の記録としてこの写真があるので、私が水平線が傾くようにカメラを構えて、私が、防波堤の長さがそれぞれの長さで写るようにカメラの位置を決めて撮影した記録という事実としての写真なのです。

しかし、人が写真を見る時に、このどちらか一枚の写真だけ見せられたらどうでしょうか?

例えばこんなまた少し違った写真だったら?

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3枚とも同じ日に続けてパパッと撮った写真ですが、3枚目だけ見たら上の2枚とはまた別の印象があると思います。

人が写真を見ると、正確な動きをする機械で撮ったのだから、その一枚に真実が写っていると思い込んでしまい、そのため、写真で見えることが本当の、現実のとおりに見えていると誤解をしてしまうことがあるのだと思います。

しかし実際には、カメラが機械として正確に、シャッターが押された時の情報を写真として記録したその中には、撮影者のカメラの扱いまでも含まれるため、現実のその場の何をどう写真にするかは撮影者に委ねられていて、それはその場の現実がそのまま写るようにという意図かもしれないし、逆に、現実の雰囲気とは異なって見えるようにと意図されているかもしれない。

むしろ意図なんかなく、私の写真の水平線が傾いているように本当に偶然そうなっただけかもしれないのですが、その撮影者の意図、撮影時の心情については機械はくみ取ってくれないので、写真という記録の中に情報として撮影者の心情は含まれてはいません。

あくまでこの写真が撮られたときにカメラと現実の水平線との関係はこういう傾いた写真になる状態だったというだけしか写真は情報として持っていないのです。

撮影者の選択や行動の結果は写真に記録されるけれど、その行動をした意図や心情の有無は記録されていないため不明です。
そんな写真は嘘偽りのない真実だと言えるのでしょうか。

誰かが私の写真を見て、「あー水平取れてない、失敗したんだな」と思ったとしても、今回、この記事を書くにあたって私が”あえて”そう傾いた写真を意図して撮ったかもしれないのであって、本当のところは私以外には誰にもわからないはずなのです。(いや、まぁ上の写真は普通に失敗したんですが…)

写真の記録性とはそこまでの、そういうものだという認識でいるべきで、過度に写真へ真実性を見出すのは少し違うと私は考えています。


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