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写真の話 人が見ているもの

こんにちは、GOEです。

写真とは主観の一般化。
そして写真の記録とは撮影者の意図も含んだその時の状況の記録だということを前回までに書きました。

今回は私達人間が見るということはどういうことかについて触れたいと思います。

見たままの写真という幻想

前回の写真の記録性についてにも重なるのですが、写真に対して過度に見たまんまという印象を持っている人が結構な割合でいると思います。

私も、写真を始めるまでは無意識のうちにそういう印象を持っていたし、だからこそ素晴らしい風景写真の現場に行って「あれ?なんかちょっと…」と思ったり、テレビで見た商品などを実際目の前で見て「あれ?思ったより小さいんだ…」などと思ったりしてきました。

実は写真を見た時の印象はネット時代、特にSNSを中心としてかなり変化してきているのではないかと思っており、
例えば明らかに目を大きく加工した顔写真を見て、人によっては逆算的に目の大きさを脳内変換して印象を自身で逆補正している人もいるのではないかとさえ思います。

風景写真でも、過度に誇張されている綺麗な景色の写真も、これは加工によるものだろうから…と画像に施された補正の逆方向へ脳内で印象に補正をかけている人もいるのではないでしょうか。

そういう意味では写真を見る目は社会全体として上がっていると言って良いと思うのですが、実は今回の話はそれよりも少し前の段階になりまして、こういう過度の補正が無くても、むしろ見たままになるように注意を払ったとしても、私達が目で見ている世界とカメラで撮った写真という媒体とでは決定的に違うのだということをこれから書いていこうと思います。


見えるということとカメラ

私達が物を見るというのはどういうことか。

細かい部分は置いておいて
まず、対象物から発せられた光が私達の目に入ります。
すると目の細胞が反応し、電気信号が視神経を通って脳へと伝わります。
そして脳で感覚となって今見ている物を認識します。

光が反射光だ、光源だとか、波長がとか、補色の関係がとかそういうことはひとまず置いておいて、とにかく、目に入った光に反応して脳に信号が送られて、私達は何かを見ているという感覚を覚えます。

一方で、カメラではどうか、今回はとりあえずデジタルカメラという前提で話しますが

まず対象物からの光がレンズに入ります。
レンズを通った光はカメラ本体へと進み、本体内部のセンサーにあたるとセンサーが電気信号を発して画像処理のプログラミングへと伝わります。
そして画像処理エンジンがセンサーからの電気信号に基づいて画像を作りだしてJPGやRAWといった形式で画像ファイルをメモリーに保存します。

物凄く大雑把に言えば、カメラも人間の目もほとんど原理は一緒。
光が入る部分があって、入ってきた光の情報を脳やチップに伝えて、その中のプログラミングが処理することで画像となります。
ロボットを作るのなら、間違いなく人間の目に相当するパーツはカメラになるはずです。

そんな同じ原理で対象を捉えている目とカメラなのに、では何故そうも肉眼と写真は違うというのか。
それをこれから説明していきます。


人間の目は二つ

片目を閉じて見てください。

はい、その状態が基本的なカメラと同じ状態です。

根本的な差として、私達は左右二つの目で普段物を見ています。
左右の目から送られてくる信号を脳内で組み合わせて見ているのが肉眼での印象です。

例えば、膝の上に本を広げて顔と本との中間に手を置いてみます。
まずは両眼で本の文字と手の両方を同時に見ようとしたり、どちらか一方に注目しようとしたりしてみます。

そして次に片目で同様にやってみます。

どうでしょうか?片目の時の方が手か本のどちらか一方、注目していない側がボヤけてほとんど見えなくなったりしないでしょうか?

両眼で見ている時はすぐに注目ポイントを切り替えられたり、何となくどちらも把握できるのに、片目になるとちょうど写真で言う背景をボカしたような状態になりませんか?

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こういう背景がボケボケの状態は両眼で見ている場合はまず起こらないと思いますが、片目で見ている時は手前の物と背後の距離など、条件次第で感じられることがあるかと思います。(あまり意識するとすぐピント移ったりしてなかなか難しいかもしれないけれど…)


つまり、二つの目で見ている普段の私達の状態と、カメラという一眼なんて言われるように一つのレンズからの光を捉えて作られる写真とでは、そもそも大きな違いがあるのです。

最近ではスマホに二つ、三つとレンズが付いていて、肉眼のように二つのレンズで撮影したものをスマホが自動で合成するなんてものもあるようですが、逆に言えばこれは写真の歴史や文化からすると合成写真のジャンル、端的に言ってしまえば写真的ではないというか、特殊な部類に入ると思います。
まぁ新しいカメラの形として、進化だと言えばそうなのかもしれないので難しい所ではありますが…。

とにかく、基本的なカメラと写真で言えばこの一つのレンズからの光を絵にしているという部分が肉眼との印象の差になるので、写真を撮る時に風景を片目で見て構図を考えるなど、人間側がカメラに近い印象で対象を捉えるテクニックなどもあったりするくらい、普段私達が見ている印象と写真になった時の印象は変わります。


脳内補正と個人差

人間は目に入った光を最終的に脳で処理することで物を見ているという感覚を得ます。

この脳での処理が想像以上にかなりの個人差があります。
以前、ネットを中心に話題になった、人によって違った色に見える服やスニーカーの画像を検索してもらえば分かるかと思いますが、同じ画像を見ても人によって見える色が違うことすらあります。

このように人の感覚にはそれぞれ個人差があります。
同じ赤を見ていると言っても、それぞれが赤をどう感じているかはハッキリ言えば分かりません。

もっと分かりやすい差で言えば、視力は人によって違います。
実はカメラには視力を補正するダイヤルがファインダーに付いていたりもしますが、そういう設定を度外視した時、普段メガネを使っている人が裸眼で、ぼやけて見える物をそのままぼやけた状態で写真に撮った時に、これが見たままと言われても、それは撮影したその人にとっての見たままでしかないのです。

身長も人によって違うので、身長190cmの人の目線と150cmの人の目線ではやはり違うでしょう。

つまり、写真にして「見たまんまの風景です」と言った時に、それは、”誰にとっての見たまんまのつもりなのか?”ということが必ず付いて回るのです。


写真という枠

最後に、写真という枠について書きたいと思います。

風景でも物でも、何かを写真という形にするとその物との距離感やサイズ感への印象が変化してしまいます。

例えばこの写真。

画像2

この記事を書きながらパッと撮ってみたネジですが、このネジ、どのくらいの大きさでしょうか?


実際に定規で測ってみるとこのネジは2.5cmでした。

数字だけだとまだイメージとして掴めないのではないかと思います。

そこで次の写真。

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キーボードの上に乗せてみるとこんな感じ

さらに1円玉と比べると

画像4

ちょっとボケてますがこんな感じになります。

これで大体大きさのイメージが伝わったのではないかと思います。

実際に身近なものと一緒に写っていることで初めて大きさをイメージできるようになります。

私達は普段、視野が180度近くあり、しかも眼球を動かしたり首を動かしたりと絶えず色々な地点を見ています。

一方で写真は、カメラをある特定の方向に向けて、基本的には固定して撮影することである特定の範囲を平面の画像として保存しています。

なので、実際のところ上の写真も1円玉とネジを一緒に撮ろうと、キーボードの上にネジを置こうと、本当の見たままの印象とはやはりどうしても違ってしまいます。

あくまで身近な1円玉の大きさを写真を見た人が想像できるから大きさのイメージを持つことができるというだけで、私が実際に1円玉とネジを並べて置いた状態を肉眼で見た印象が伝わったわけではありません。

それは、私の肉眼ではこの写真のフレームの外、写真に写っていない外の部分まで視野として捉えているからです。

この写真が伝える印象を正確に言うのなら『ネジと1円玉を置いてカメラのファインダーで覗いて見た印象』ということになります。
もっと厳密に言えば何ミリのレンズでどの距離で…どの角度で、どのカメラで…と事細かに言うことになります。

またさらに、写真という画像になると、写真を見た人の視界には『写真とそれ以外の部分』という境界が生まれます。

例えば写真を印刷して手に取って見ている時、写真の画面だけで視界を埋めているのではなく、写真を持っている手であったり、周囲のテーブルであったりとあくまで写真は視野の中の一部でしかありません。
この記事の写真でも、写真の部分と周囲の文章や、もっと言えばこれを見ているPCやスマホの画面の外側も視界には同時に存在しています。

それを考慮すれば、私が実際にカメラのファインダーを覗いて見たネジと1円玉の印象は100%は伝わっていないことになります。

つまり、写真とはあくまでそういう物、カメラを通して視界の一部分を平面の絵にした印象までしか伝えられないのです。



というわけで、どこまで頑張ったとしても本当の意味で見たまんまの写真という物は存在しません。
それは写真を加工したとかそういう話以前の話。

写真という形になった時点で見たまんまではなくなるし、カメラの構造や人間の個人差から見ても普段の自分の視界とは全く別物になるというお話でした。

次回は写真の芸術性について考えて見ようかなと思っているのですが、別に美術を学んできたわけじゃないしなかなかハードルが高く、いつ書けるか怪しいなあと感じています(笑)



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