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『ホール・アース・カタログ』概論(2013年『Spectator』29号)

History of the Whole Earth Catalog

一九六八年に創刊し、一九六〇年代を代表する出版物となった『Whole Earth Catalog(以下WEC)』をかんたんに説明すれば、本当に役立つ書物や道具やサービスが、入手手段と一緒に掲載されたカタログです。創刊したのはスチュアート・ブランドとその仲間たち。『WEC』の歴史はブランドの経歴を語ることと密接に関係しており、彼の行動が連鎖的に反応して『WEC』につながっていきます。話は前史から始めたほうがいいでしょう。

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●カメラマンを志していた学生時代
一九三八年一二月一四日生まれのブランドは、私立高校の名門フィリップス・エクセター・アカデミーを一九五六年に卒業後、スタンフォード大学に入学しました。兵役では国防総省でカメラマンなどの任務に就き、腕試しに開戦したばかりのベトナム戦争へ志願しましたが、早くても三年後になると上司から聞かされ、一九六二年には除隊しています。再び勉強をしようと、サンフランシスコ・アート・インスティチュートでデザインを、サンフランシスコ州立大学で写真を学んでいました。

●大学時代のヒーロー、エド・リケッツ
この頃に読んでいた本はジョン・スタインベックの『キャナリー・ロウ』とその続編の『楽しい木曜日』。両方に登場するドック(Doc)という人物は、スタインベックの友人エドワード・E・リケッツをモデルにしています。リケッツは沿岸域の生態学研究に重要な足跡を残した海洋生物学者で、最初期のエコロジストでもありました。ブランドの学生時代のヒーローはリケッツだったと語っています。彼の影響でブランドはカリフォルニアに旅立ちました。

●LSDを体験し未知の世界へトリップ
復学期にブランドは、LSD研究者のマイロン・ストラロフが設立した国際高度研究財団と、LSD実験に参加する契約書を結んでいます。当時はLSDは合法でした。幻覚剤メスカリンの伝道者として知られるオルダス・ハクスリーの『知覚の扉』を学生時代に読んでおり、友人とペヨーテ(幻覚キノコ)を試すなど、未知の世界への憧れが強かったことが背景にあるでしょう。

●アメリカ・ニーズ・インディアンズ運動
ブランドはLSDを体験した直後、友人ディック・レイモンドから、オレゴン州のウォーム・スプリング・インディアン保留地で写真を撮ることを頼まれました。この経験から、アメリカ先住民の文化に深く興味を持つようになり、「アメリカ・ニーズ・インディアンズ」という運動も行っています。これは写真、デザイン、研究、パフォーマンスなどが一体となったマルチメディア・イベントの先駆けだったとされています。

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●もう一つの世界の窓=コンピュータ
この前後にあったもう一つ重要な体験として、スタンフォード大学の計算センターを覗きにいった際、そこにいた人々らがコンピュータ・ゲーム「スペースウォー!」で遊んでいたのを目撃しています。一九六二年にマサチューセッツ工科大学のスティーブ・ラッセルらが開発した世界初のシューティング・ゲームで、ブランドは「もう一つの世界の窓を見た」と、コンピュータの重要性を認識しました。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

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