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M5-2 村上隆とは何だったのか(2010年12月『モダニズムのナード・コア』)

東京発、無意味着

八〇年代後半、日本のアートの話題は常に関西発だった。由緒正しい国際芸術祭のヴェネチア・ビエンナーレには、一九八八年に森村泰昌や石原友明、一九九〇年にコンプレッソ・プラスティコや松井智恵らが選出されたが、多くが関西出身だったし、美術誌で早くから脚光を浴びていたダムタイプ、椿昇、ヤノベケンジらもしかりである。そんな状況下で東京に現われた得体の知れない新人が村上隆であった。

 一九六二年生まれの村上は東京藝術大学で日本画を専攻、一九八八年から大学院美術研究科後期課程で博士課程に勤しんでいた。本人の発言によれば、天才アニメーター金田伊功が関わった「銀河鉄道999」などを見て、自身もアニメーターに憧れていたという。たしかに、村上の博士論文「美術における『意味の無意味の意味』をめぐって」(一九九三年)には金田と葛飾北斎とホルスト・ヤンセンが並列で紹介されており、入れこみ様は生半可ではない。だが村上はアニメではなくアートを選んだ。そして代わりに、アートの中にポップ・カルチャーを取りこみ始めたのである。

 これは一九九〇年前後に全盛だった、他人の作品を自分の作品に取りこんでしまうシミュレーション・アートの影響が大きいだろう。村上もこの流行にのって、タミヤ模型のアメリカ歩兵を貼り付けた「ポリリズム」や、天才バカボンのドローイング「B.P.」(共に一九九一年)などを発表し、「日本画専攻の変なヤツがいる」と密かな注目を集めていた(この頃フジテレビ「NONFIX」に出演)。また、同時期にアニメ・漫画的なアイコンを作品に取り入れていたアーティスト達、少女漫画の世界観を使った西山美なコ、歩行するゴジラの下半身を発表していたヤノベケンジ、村上より早く美少女フィギュアをアートにした中原浩大などと一緒にまとめて「ネオ・ポップ」と呼ばれ、椹木野衣キュレーションで彼らを中心に行われたグループ展「アノーマリー」(一九九二年、レントゲン藝術研究所。村上、中原、ヤノベ、伊藤ガビンの四名)は伝説となり、美術界に新風を巻き起こした。

 ただ、村上のこの時期の仕事は、今からすれば安易すぎるほどメディア受けを狙っていた。鯨やアザラシなど輸入禁止動物の本物の皮を使って学習院(無論、天皇家の通う学校)のランドセルのレプリカを作ったり(一九九一年「ランドセル・プロジェクト」)、黒人差別問題で槍玉にあげられたダッコちゃん人形やちびくろサンボの青目+白肌バージョンを展示したり(一九九二年「WILD WILD」。タカラから抗議がきたそう)、芸名問題でゴタゴタしていた加瀬大衆に便乗した「加瀬大周宇プロジェクト」を仕掛けたり(一九九三年。事務所に怒られたそう)、批評性を建前に目立ちたい一心が先走っているのは否めない。中村政人との二人展「中村と村上」は二人の苗字が中国方面で嫌われやすいと知ってこの名前をつけわざわざソウルから巡回する念の入れようで、小沢剛、村上、中村の三人の頭文字をとって関西で活動したパフォーマンス・グループ、スモール・ビレッジ・センターの一連の作品も、日本美術史パロディという美術業界から嫌がられそうなことを率先して行うものだった。当時の東京藝大の教授には「村上君の最近の仕事は知らないが、僕の思っているものとは違うところへ行ってしまったと思う」(『朝日新聞』夕刊、一九九三年三月六日)と言われてしまう始末である。

 村上のこうした作品の根拠はおそらく論文に書かれた「無意味」であり、徹底したくだらなさ、何もなさを軸に、意味がないとはどういうことかを提出し世に問うことで、逆説的に自身のアートをやる意味を見出そうとしていたと推測できる。その視点から作品を精査すれば、アノーマリー展に飾られた「シーブリーズ」が唯一、かつ断トツで無意味であり、他の作品にある社会批判や皮肉的な傾向がなく、千ワットの電球十六灯を搭載した巨大な物体がひたすら眩しいだけという、突き抜けた装いを見せている。ここで村上の第一章は終った。

オタクとアート

怒られすぎた村上は、一九九四年にロックフェラー財団から奨学金を受け、逃げるようにニューヨークへ拠点を移すのだが、その前後に次のプロジェクトとして二つ展開を用意した。一つはミッキーマウス、ドラえもん、セガのソニックなどを下敷きにしたキャラクター「DOB君」シリーズ。もう一つは岡田斗司夫にダメ出しされた「HIROPON」や「ko2」などの等身大フィギュア・シリーズである。一九九二年に佐谷画廊で見た中原浩大のアニメフィギュア作品に影響を受け、一九九三年夏にコミケを初体験した村上が、オタクをテーマに活動をスタートする。村上の第二章はここから始まる。

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