M1-1 なぜモダニズムからはじまるか(2010年12月『モダニズムのナード・コア』)
本誌は『モダニズムのハードコア』から名前を採っている。一九九五年に出た『批評空間』の臨時増刊号で、浅田彰、岡崎乾二郎、松浦寿夫の共同編集による美術批評集である。ポストモダニズムの視点からモダニズムを再検討することが主目的だったようだが、各自の論文は総じて退屈であり、クレメント・グリーンバーグやマイケル・フリードをはじめとする海外主要批評家らのテキストの翻訳と、関連するディスカッションが掲載されていたことが、当該書の価値のほとんどすべてと言っていい。いずれも美術批評では最低限読んでおくべき基礎文献でありながら、それらをまとまって読む機会というのは、発行時点での日本にはなかったようなものだからである(個別に原文にあたる人は当然いたにせよ)。そういう内容の本が美術専門誌でないところで編まれたことで、日本の美術業界にとっては静かな衝撃だったようである。
別にこうした話は本誌の主題とは関係ない。名前を採ったから最低限補足しただけである。なお「ナードコア」は従来、特定の音楽スタイルについて言われている言葉であるけども、本書では字句どおりの意味、ナード(日本の「おたく」に近い概念)のコア(核)として用いる。
『モダニズムのナードコア』は、アートに興味がないわけではないが、とくに積極的に調べたことはないサブカルチャー好きの読者を対象に、アートとナードを並列で取り上げるミニコミであり、両者の相違点を指摘することを目的とする。なぜ今更その二つを声高に並べる必要があるのか。それは、昨今あまりにもその間にある問題が目立つからである。これを回りくどくなるが説明していく。
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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…
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