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雑記:『○○○○○○』読書中

『○○○○○○』という音楽本を見つけて読んでるのだが、これが今ちょうど面白い。東京新聞の音楽記者だった著者が1989年に出した本で、書名の通り1960年代から1980年代の日本の音楽シーンをメモ書きで振り返ってるんだけども、はっぴいえんど的なものの記述がめちゃ希薄で、それ以外の、リアルタイムにヒットしたものとか、話題になったものばかりが出てくる。「再評価」がない。「当時の価値観」で「評価」されたものばかり。最高!

2018年に田沼正史『日本ロック史』という本が話題になって、1985年に書かれたという日本のロックの歴史本なんだけども、はっぴいえんどが全然出てこないのに、それ以外の重要なもの(スペイスメン、サラ&メロディー、一匹狼……)はマニアックなものまでやたらめったら出てくるという「はっぴいえんど中心史観」に暗に抵抗を示す重要な本でしたが、それを天然でやっているのがこの本、という風に読める。こっちはポップスだけども。

「時代は間違えてAを選んだが、本当はBを選ぶべきだった」という価値観こそが「再評価」運動のキモといいますか、本当ははっぴいえんどがすごいんだ、というのは一つの真実ですが、再評価に成功してBが広まった後、Aは本当に価値が無いのか?という検証はされるべきである、と思います。一度AからBに移ったことで、Aの本当の価値が相対化されることはあるはず。

さすが新聞記者と唸らされるのは扱ってる固有名詞の多さ。とにかくめちゃくちゃ解説されてるんだけども、どメジャーな人達がどうどメジャーになったのかの話が次々と登場して、もはや知らない話ばかりで面白い。

考えてみてほしい、今出てる日本の音楽本でグラシェラ・スサーナの日本受容を書いてる本を見つけるのはめちゃくちゃ難しいのだ。「メジャーな価値観を知ってるからこそサブカルチャーな知識は価値を持つ」時代が過ぎて、「メジャーな価値観を持たずにサブカルチャーな知識ばっかり持つ」人々が増えすぎた現在、かつてのメジャーを知ることはカウンターとして成り立つ。そしてメジャーを知る方法は、いまやほとんど残されていない。

いちばん最高!と思ったのは、冨田勲、イエロー・マジック・オーケストラ、という並びが来て、次に出てくる項目が「ニューエイジ・ミュージックとハード・ロック」なんですよ! サブカル音楽本だったらそこは「テクノポップ」に移るとこですが、それはYMOの解説の中に収めてて、喜多郎・喜多嶋修・宮下富実夫といったシンセサイザー制作のニューエイジ音楽のほうに話が移るのです。すごくないですか? そして実際、彼らの音楽はワールドワイドに売れてたのですから……。あとハードロックが一緒に書いてあるのはラウドネスやバウワウなどやはり海外で人気だったものが出てくるから。さっきの並びはテクノポップ史じゃなくて「海外で受けた音楽」の話だったのでした。

古本で300円だったのに、めちゃくちゃ堪能した。多分でた当時はめちゃくちゃメジャーなことばかりが書いてある本だったと思うけど、今読むと「かつてメジャーだったがその後は再評価されず今となっては名前だけ知っててよくわかってないもの」ばかりが載っている本になっていて、時の流れとはすごいものだ。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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