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ミニコミとZINE(2016年『PRISM』No.8)

「ミニコミ」という言葉を知ったのは音楽雑誌に掲載されていた「売ります・買います」コーナーだった。好きなミュージシャンについてファンがあれこれ書いた小冊子を売る人たちがたくさん載っていて、今考えればそれは正確には同好の士に向けて作られた「ファンジン」と呼ばれるものだろう。また、都内の漫画専門店で見かける、一般的な出版社から出た単行本とは明らかに違うムードの、オリジナルの作者ではない人によって描かれた「漫画同人誌」も、ほぼ同時期に知ったと思う。音楽や漫画などのサブカルチャーを通じて、一般書店には並ばない、独自の出版文化圏が存在することに気がついたのだった。

とくに印象深いのは1990年代のDTP(DeskTop Publishing)ブーム。パソコンで安価に雑誌が作れるようになってから、若者による無数の「インディーズ・マガジン」が登場した。それまでの歴史をリセットし、自分達が第一世代となる新たな文化が始まる。そんなフロンティアスピリットが若者を覆っていた。当時の熱気の様子は、カルチャー誌『i-D JAPAN』1992年8月号〈インディー・マガジンがチャンスだ。〉、デザイン誌『デザインの現場』1994年8月号〈なぜ、ぼくらはメディアをつくるのか〉、コンピュータ誌『デジタルボーイ』1995年10月号〈1995デジタルインディーズNOW〉、映画文化誌『DICE』1997年11月号〈インディーズ・マガジン白書'97〉などの特集を読むと少しは伝わるかもしれない。他にも、カルチャー誌『Quick Japan』や音楽誌『米国音楽』の自主制作雑誌の紹介コーナーをチェックしていた人は少なくないはずだ。

しかし1990年代後半、DTPブームはそのままインターネットブームと合流し、多くのミニコミがオフラインからオンラインへ舞台を移していく。「E-ZINE(ウェブマガジン)」のほうが印刷費もかからないし、ページ数の制限もないし、読者数も多い。1999年に出たミニコミ紹介書籍『ミニコミ魂』に紙とインターネットの端境期のムードが濃厚に漂っているように、インターネットはミニコミが求めていた理想の流通網だった。ここで一度、メディアとしてのミニコミは終焉を迎えたといっていい。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定です(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。テキストを発掘次第追…

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