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2021年に見つけた印刷物 part 2

part 1の続き。2ヶ月に一回くらい?と思ってたけど、3ヶ月ぶりだ。ここんとこそんなに大発見みたいなのはないんですけど、たぶん1位は誰も見たことがないものです。

第5位・LA VIE 第4号

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第5位はDEVO表紙の『LA VIE』4号! 前に売野雅勇さんの本について触れたのを覚えてますか? その売野さんが昔やってたファッション雑誌です。本の中で長戸大幸さんや大滝詠一さんに会った際のエピソードが出てくるんですが、ワタシは創刊2号しか持ってなくてですね、長戸さんとかが出てくる号をようやく入手。↓目次ページを載せておきます。

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あのビーイングの長戸大幸がDEVOについて文章を書いている、というだけでちょっと面白い。

第4位・安倍寧『音楽界実力派』

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第4位は1966年の単行本、『音楽界実力派』(音楽之友社)! 音楽之友社が1970年まで出してた『ポップス』という音楽雑誌がありまして、そこで連載されていた音楽関係者インタビューを中心にまとめた本です。国会図書館では読んでたんですけど、安く見つけたから買っちゃった。

1966年刊行、つまりグループサウンズ流行以前の人が中心になります。登場人物を並べておくと、渡辺弘、ペギー葉山、越路吹雪、江利チエミ、フランキー堺、吉田正、佐伯孝夫、渡辺美佐、坂本九、中村八大、ハナ肇、和田弘、永六輔、いずみ・たく、朝丘雪路、ロミ・山田、岩谷時子、芥川也寸志、小澤征爾。

この本のことは佐藤剛『上を向いて歩こう』という本で知りました。著者の安倍寧さんが「上を向いて歩こう」を調べるのに役立ててほしいと佐藤さんに本書を渡したエピソードが出てきます。そして『音楽界実力派』の坂本九のエピソードにこんな話が出てきた、と紹介される引用文が興味深くて、自分でも原文を読んでおこうと思ったのがきっかけ。

『音楽界実力派』の何が気になったかと言うと、戦後の日本のミュージシャンの登竜門だった「日劇ウエスタン・カーニバル」というイベントを企画した人物の話です。これは戦後の芸能界で渡辺プロダクションが台頭していくきっかけとなったイベントですが、副社長の渡辺美佐が主導した話はよく出てくるのですけど、そもそもこの企画を思いついたのは、渡辺美佐の妹・曲直瀬信子だったという話が出てくるのです。

渡辺美佐さんの実妹、曲直瀬信子さんは、九ちゃんのほかにも、何人ものスターを育てている。山下敬二郎や水原弘をスカウトして売り出したのも彼女だし、ジェリー藤尾、森山加代子も信子さんがいなかったら、人気スターたり得なかったろう。美佐さんほど社会的名士にならなかったし、いまはマネジャー業から身を引いたかたちの彼女でもあるが、現役時代は、独特のカンを働かせ、続々とスターを育てたものであった。信子さんのカンのよさについては、九自身も、
「常に二歩も三歩も先を読んでいる。そして、こんどはこういう傾向の歌がいいわよと、われわれにアドバイスしてくれた」
と全面に認めているほどだ。
早い話が、日劇にロカビリー歌手を集め、「ウエスタン・カーニバル」という名の”ロカビリー大会”をやろうと考えついたのも、信子さんその人であった。彼女は、都内のジャズ喫茶でマスコミの知らぬ新人歌手たちが、若い女の子に騒がれているのをリサーチしてきて、この企画を立てたわけである。日劇で「ウエスタン・カーニバル」が実現されるには姉・美佐さんの政治的手腕が必要だったが、そもそものいい出しっぺは、信子さんだといわれている。
『音楽界実力派』「坂本九」p146-147

この曲直瀬信子さんの名前、坂本九のマネージャーとしてはたまに出てくるんですけど、日劇ウエスタン・カーニバルの発案者として出てくるのって見たことがなくて、へーと思ったのでした。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

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