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1989-1992岡崎京子の中期(岡崎京子の研究)

岡崎京子の中期

一九八九年一月、昭和が終わり、平成が始まった。末期『平凡パンチ』の核だったヌードとカルチャー情報をまるまる捨ててリニューアルし、マンガ誌『NEWパンチザウルス』が創刊したのは八九年二月。岡崎はここで代表作となる「pink」を連載した。他の執筆陣は蛭子能収、根本敬、渡辺和博、みうらじゅん、天久聖一、日野日出志、湯村タラ、山上たつひこ、原律子、桜沢エリカなど。『ガロ』や『宝島』で活躍する作家を集めた人選は悪くないものの、あまりの変貌に旧『平凡パンチ』の読者がついてこなかったせいか、四ヶ月ほどで休刊という短命に終わってしまう。ここでは「pink」が連載された雑誌として言及するに留めるが、岡崎なりに思い入れはあったようだ。

〈私は一番、個人的にココロ痛みフクザツな心境になったのは『平凡パンチ』及び『パンチザウルス』休刊のときです。/あのときはさみしかったなぁ。/いろいろな意味でお世話になったし、ある歴史をもったものが終焉をむかえるに至る「痛み」みたいなもんを感じた。私たちっていつか「終わっちゃう」のだなぁという甘い痛み。それはとても「昭和」っぽいものだとも言える(ような気がする)〉(『朝日ジャーナル』九一年一〇月一八日号、朝日新聞社)

さて、「pink」はそれまであまり描いてこなかった「暴力」が意識的に選ばれた。バットでぶん殴るような直接的表現の他、マスコミがインタビュイーに下衆な質問を投げかける悪意や、感情が浅い主人公が他人に投げかける視線の暴力性も含めて、九〇年代の岡崎に特徴的な暴力表現は「pink」から始まったものだ。本作は大きな評判を呼び、「リバーズ・エッジ」を描くまで岡崎の代表作欄には常に「pink」があった。

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2001年以降に雑誌等に書いた記事を全部ここで読めるようにする予定の定額マガジン(インタビューは相手の許可が必要なので後回し)。あとnoteの有料記事はここに登録すれば単体で買わなくても全部読めます(※登録月以降のことです!登録前のは読めない)。『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』も全部ある。

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