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16 土日があったら勝ったも同然

新任の頃の学年団が未だに僕の理想です。採用後、何もわからず配属された学年の先生たち。個性あふれる、適材適所のチームでした。今となれば、そのチームから校長先生がお二人。力量のある先生方の仕事ぶりに翻弄されながらの毎日でした。

当時中堅のY先生は卓球部の先生。土日もみっちり部活です。それでいて学年でいう「回す」仕事をされていて、どこに時間があるのかなと思うほど、月曜日になればきっちり企画書が置かれているようなお仕事ぶりでした。

「杉本さん、若いうちはわからんかってもいいから何でもやらせてもらいや。やり方なんかどうでもなるねん。土日あったら勝ったも同然やろ。いっぺんやってみ。」

僕もこういうノリが好きなのでほいほい手をあげて、それから「これどうやってするんですか?」と聴くような若者でした。自分で言うのもなんですが、割と馬力があるほうなので「かかってこい」と思って仕事に向き合いました。そういう感じでY先生にはかわいがってもらいました。僕は野球部の顧問。午前は野球をして昼から学校に残るか、家に帰ってするかでたくさん仕事をやりました。

初任とその次の年は担任をしていませんでしたが、担任以外の業務はほとんどやりました。先生の仕事がどういうものかわかっていなかったのでそれが当たり前だと思っていました。しばらく経って、自分がやらせてもらっていた(あえてこう言います 笑)仕事はえげつない量だったと気づきました。土日があったので乗り切って来たのです。

授業もヘタクソで、何年か経って授業ノートを見返すと「これでどうやって授業やってたんやろ?」と自分でも思うほどお粗末なシロモノ。ただ、毎日目の前のことに必死に向き合っていたように思います。それと、学年の行事の企画、裏方は一通りやりました。あの詰めた時期があったので、ある程度「なんかこういう感じかな」とわかることが増えていきました。

先輩から健全に仕事を教えてもらえる。ひょっとすると僕らの世代がその最後の世代だったのかもしれません。年を追うごとに働きにくさと教師という仕事の難しさと、そういうものに追い立てられて今になったような気がします。生徒を叱る場面に一緒にいさせてもらえたし、僕の失敗にはしっかり頭を一緒に下げてくださりました。横にいてるのとするのとでは全然違います。でも、僕の周りの先生方は本気で僕に「教えよう」と思って仕事をさせてくれたように思います。その「土日があれば精神」が今にも活きており、しんどいけどちょっと詰めて頑張って週明けに持っていけばある程度軌道に乗っかるということを学びました。0から1の作業。これをOJTで学ぶことができたのです。

「土日があれば精神」はもはや時代錯誤です。もっと効率的に、スマートに済ませられる時代になりました。僕も自分より若い先生に自分と同じようなことは求めません。ただ、自分の熱意は確実に形にして「とりあえず0から1を」の気持ちで企画や仕事を持ってきてほしいなと思うことがあります。家で仕事はしなくていいし、部活もしなくてかまいません。その上で、みんながある程度納得する仕事をしてほしいなと思うだけです。家でずっとオンラインゲームをしようが、SNSに時間を膨大に割いてもかまいません。その上で、しっかりと仕事をしてくる。これこそプロの仕事だと思うのです。そのうち授業がおもしろくなったり、部活で頑張ろうと思ったり。先生が成長していくきっかけは様々です。土日も精神は過去の遺物となりましたが、今日的な熱意の発現さえあれば何も問題ないと思っています。

今年は僕も初任者です。授業で新しい単元をするとなると、あの時代のテンヤワンヤの再来です。ただ、このテンヤワンヤもやがて自分の血肉となっていったことを経験的にわかっているので、今は少々寝不足になったり、うまくいかないことがあったりしても、自分の納得しうる仕込みをして臨もうと心がけています。

「10000時間の法則」があります。僕は中学校の教師として約30000時間(勤務すべき時間×17年)勤めたようです。とりあえずは一人前と見なされる経験はしたということなので、次は高校で頑張るのみ。それに尽きます。

自分が打ち込む時間は生徒といるための時間。そう思うと頑張れる気がします。それが好きでこの仕事をやっているからです。明日も朝からソフト部の子たちを練習です。授業の準備もあります。今週は土日に加えて月曜日もあるので、たぶん大丈夫です。

猫の手はいりません。今の自分の力でやろうと思います。

スギモト