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二度と後戻りせずに鬱を乗り越えられたの?

昨日、友人とランチをしていて、
話の流れでわたしが以前(もう15−16年前)、
鬱を経験していたという話になった。


彼女とそういう話をする機会はこれまでなかったし、
わたしにとってもうそれは、
随分前にフェードアウトした出来事で
今となっては相当意識しないと思い出せない
色褪せた記憶になっている。


だから当時の経緯とか、
回復のプロセスとかを質問されても、
途中までは割と表面的で
さらっとした回答をしていたかもしれない。
(彼女がいま現在、鬱で苦しんでいて、
アドバイスを求めているというわけではないので。)


だけど、

そこからどうやって回復したの?

鬱を乗り越えたらもう二度と、
鬱っぽい状態に戻ることはなく
まっすぐ回復してこられたの?

と聞かれた時に

ああ、それは違うな。
そうではなかった、と記憶が蘇った。

どこで鬱が治ったのかの線引きを
一応、断薬した地点としたとする。
(実際にはもっとグラデーションなので、地点で示しにくいけども。)


もう抗鬱剤を飲んでいないし、
睡眠薬を使わなくても眠れるようになった状態。
(抗鬱剤よりも睡眠薬の方を止める方が、ずっとずっと時間がかかった。)


そこを鬱が治った状態と、ここでは定義したとする。


けれども、
わたしが鬱状態に入りやすい思考の癖から徐々に脱して
本当の意味で「楽になったな。」と感じるようになったのは
実はそんなに前ではない。


ほんの数年前だと思う。


鬱状態に入りやすい思考の癖とは、
簡単に言うと、
自己否定と罪悪感。

いつも自分を脳内で
大したことない、力がない、価値がない、魅力がない、才能がない、
まだまだ全然ダメだ、本物じゃない・・・と、
キリなく自分を否定し続ける。
(ひどすぎる。虐待だよねー。自己虐待(涙)。)


これが自分の脳内で(もう子ども時代から)、
意思とは関係なく自動再生で起こっているので、

人といても何か間違いを犯しているようで常に不安だし
(今の発言、ダメだったかなーと相手の顔色に怯え続ける)、


自分一人でいてもその自動再生音がうるさくて、
全然くつろげない。


もう心のキャパはそれだけで
限界一歩手前まで来ているのに
そこに何か予測不能なストレスが加われば
そりゃあ鬱になるのも無理はないよねと、今は思う。
(むしろ我慢強すぎる。。。)

鬱の治療というのは基本的に

外側のストレスを減らしましょう、

ストレスから離れましょう、

自力で眠れなくなっているので、
(*自分で眠りに落ちていくというのは、実は体力も含めた力がいるのです。
赤ちゃんが自分で上手く眠れなくて寝つかせが必要なのも、まだそこまでの力が付いていないからです。)

薬の力を使って、一旦眠りましょう。
(じゃないとどんどん体力もメンタルも落ちるので。)

・・・という方針になるけど

これは緊急事態における対処療法的な手段であって
それそのもので根本解決になるわけではないと思う。
(少なくともわたしの場合。)

一旦、危ない状態から脱出させてもらったということ。

体の病気もそうだけど
病気になるにはなるだけの
生活習慣があったりしますよね。

お酒の飲み過ぎとか
タバコの吸いすぎとか
添加物の取りすぎとか
甘いものの食べ過ぎとか
運動のしなさすぎとか
過労とか
睡眠不足とか・・・

あとストレス。
・・・ストレスは万病の元。


それ以外に遺伝性や原因不明の病もあるので、
その場合はこれらに当たりませんが、
ここでは
自分で自分の体を壊してしまった場合の話として
お読みください。

心の病も同じで
自分で自分を痛めつける思考の癖があるのですよね。


多くは親との関係で
(実際の親というよりは)自分の脳内の親が
自分にダメ出しし続けている状態だけど
その声がもはや色んな(自分や他人や社会の)声と同化して
常に世界に怯えながら生きている。


これを一言で言うと、極端なネガティブ。


物事にも世界にも
明るい面も 暗い面も 両面があるのに
常に暗い面ばかりにフォーカスしながら生きている。


だって怖いんだもん。
この世界は怖いところで、氣なんか緩めちゃいけないの。
いざと言う時に受け身が取れるように、
常に構えていなきゃでしょ!

・・・ってね。


その怯えと偏りを脱するために色々やって
わたしが一番有効だったのは、
「感謝ワーク」だったなーと思います。


これは本当にやってよかった。
しかもタダだし。


ちょっと長くなったので、
続きは次の記事で書きますね。

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