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じぶんのために美味しいご飯を作ることができるじぶんが好き

今晩は久しぶりにスパイスカレーを作って食べた。
春はスパイスを欲する、気がする。

こめ油、生姜、にんにく麹、玉ねぎ、
ミニトマト、トマトピューレ、
クローブ、コリアンダー、クミン、ターメリック、チリパウダー、
鯖、塩麹、水、牛乳

ゆで卵と旬の菜の花を添えて、食べた。
とても美味しかった。
こんな時、いつも思う。
”じぶんが美味しいと思うものを、じぶんで作れるなんて幸せだなあ。”
と。

あのタイミングで塩を足した私、
レシピの食材を家にあるこっちの食材に変えてみた私、
あえて大き目にカットしてみた私、
天才なんかなと思う。
時々本当に心から思う。

生きるにあたり食は不可欠だし、
それを自分で自分好みに作り上げることができることを
とても誇りに感じている。
作り上げる、と言ったが、創り上げる、でもある。
日々自分のために創作を重ねることで、自分に自分で価値を与えている。



今年の初め、私は大好きな祖父を亡くした。
祖父は料理がとても上手だった。
長男として年の離れたきょうだいたちの面倒を見ていたことや、
戦争の時代を生きて食べ物の有難さをよくわかっていたこと、
病気がちな祖母との暮らしがあったことも、
その理由ではあると思う。

でも、老いていく中でも
キッチンに立って自分で包丁を握り、だしをとり、
つまみ食いする私に「それが一番美味いんだよな」と笑っていた。
祖父は料理も、料理する自分も好きだったのだと思う。

祖父に触れられなくなり、笑いかけてもらえなくなり、
覚悟していたつもりだけど、私は深く深く落ちてしまった。
祖父が寒いところにいないか、一人で寂しい思いをしていないか、
考えて涙が出て、胸が痛んでうまく眠ることもできなかった。

数日経ったころ、
作りすぎた七草粥の残りに、
お歳暮でもらったハムをきざんで
キノコとパクチーと中華風に炒めたものを乗せて食べた。
美味しかった。
ふいに立ち上がって、
市販の麻辣オイルをキッチンに取りに行き、
味変しながら食べた。
美味しかった。

おじいちゃん、私、美味しいもの作って食べてる。
こんな時も美味しいし、私だいじょうぶなのかもしれない。

そう思った。
笑えたし泣けた。

私はこれからも、
おじいちゃんのように美味しいものを作って食べて生きていくんだと思うと
とても元気が出た。


私がめそめそしていた2022年、
読んで救われた本の中の一節。

家に帰ってから、キッチンのイスにどっかり座ってごはんを食べた。
あんまり美味しくて、泣きながら食べた。
こんなに悲しいのに美味しいということは、私はたぶん、強いのだろう。

海をあげる/上間陽子

これって、この事実が”強い”に直結するというよりかは、
この過程を通して、自分で自分を”強い”と思えることが”強い”んだろうな。
私も強くありたい。
悲しんで泣いて疲れて美味しいもの作って食べて、強くありたい。


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