魔術なんかない

勿論そんなことは
分かっています

ハリーポッターに
異世界転生もの

どれもこれも虚構ですから
ウソの世界

だから魔術なんか
本当はありません

トリックなんて
ドラマが昔ありましたが

マジックはあっても
魔術はありません
絶対にありません

それにマジックには種があります
それをトリックというのですが

でも魔術は本当にないのでしょうか?

結論ですが魔術は存在しますが
ただアニメで描かれているような
ものではないため知ったところで
それは何だと言われるだけかも
しれませんが

現実というものはある意味
とてもリアルなのですから

魔術の現実について考えてみたいと思います


そもそも魔術とは何か

魔術というものは近代の合理精神が
生み出される前によく言われていたことで
別の現象としては奇跡とか
そういうものもあります

確かに人が奇跡的に何かの
力で病から回復する
そういうことはあるかもしれませんが
それは別として

いわゆる孫悟空のように
空を飛んだりすることは
とてもできそうにありません

重力という重みはかなりあるため
それは不可能に近いのです

それではファイヤーボールは
どうでしょうか

人は確かに発熱していますが
いくら頑張ったところ
気合ぐらいしか飛ばせません

いわゆるオーラみたいなものは
あるといっていいかもしれませんが
それは人の心に作用して
威圧したり慰労したりするものであって
物質的な何かではないようです

だとすると魔術の源泉であり
元となっている近代合理精神以前のものとは
一体何なのでしょうか

それは諸説あるかもしれませんし
もうよくドラマやアニメでも
使われているネタでもありますが

それは科学です

また科学ではないにしても
未知のものが解明されたそんな時に
それも奇跡として言われることも
あるでしょう

現代にある魔術それは………

もう察しがいい人はわかっている
とは思いますが錬金術というのは
魔術の一種でありそれは科学の源泉の
一つにもなったものです

ファイヤーボールは火炎放射器
空中飛行は飛行機

ジャンボジェットを中世の人が
みたらそれはドラゴンにしか
見えないことでしょう

トリックは明かされると
つまらないものではありますが
実際のところ無知蒙昧に
何か都市伝説的なものを
信じているよりそれはいいと思います

しかしながら魔術という形で
この物質世界に起こることは
ないにしても

人はある意味精神的な作用として
魔術と似たようなものは
体験したります

ドラマなど感動したりすると
心があったかくなったりします

これは心にファイヤーボールを
受けたのと同じとも言えます

また人は何か素晴らしいことがあると
心が軽くなり雲の上にいるような
そんな気持ちになったりもします

これは空中飛行かもしれません

つまり魔術は物理的に現象化は
しないにしても心の中での作用としては
アニメにでてくるのと近いものは
起こりえるということは
言えるのです

まあ半分はロマンですが…

魔術の源泉を誤解したわけ

それではなぜ魔術をアニメのように
表現してしまったのでしょうか

現代の異世界ものはある種
古くからあるファンタジー
ひいては伝説や神話の焼き直しと
言えるので

もともと神話がどうして
魔術をああいう風に扱ったのか
そこに問題の確認はあるのでしょう

そもそも神話の成立に欠かせないのは
ある種啓示や神託というような
精神的な超経験的作用があると言えます

また神話というのはある種一番古い
そういう刺激の結果の創造物と
言えるとするなら

最初の一撃は衝撃が大きすぎて
それで大げさな表現になったのだと
そう捉えるといいように思います

何も最初の体験はびっくりするものです
そののち人類は神話だけでなくて
神という超越存在が宇宙の法とかか
言葉としての表現の違いはあるのですが
象徴的な言語でしか扱えないものを
まとめてその意味を探索してもきています

なので神話は古臭くなってしまいましたが
現代ではそののちにさまざまな神話的な
また場合によっては啓示的と言わないと
それを信じている人が気を悪くすることが
あるのですが

そういうものも積み重ねてきているため
象徴としてある意味捉えられない何かを
表現するときに使ってしまった
ドラゴンやら魔術などというものを
実際より具体的な意味として
認知できるような基盤は進展してきては
いるのです

誤解は象徴言語を受け取る側が不十分だったから

確かにspecのようなものはありません
しかしながらそのようなものが
あることの意味はないわけではないのです

それは象徴が何を意味するのかということへの
探索になるのですが

近代合理主義はそれを否定したりすることも
あったのですが現代にいたって人の主観が
全てをとらえきれるというのも
どうなのかという量子論的な見方も
支持されてきています

象徴の意味を神話的にしかとらえられなかったから
神話だけが全てのようになってしまったのですが
象徴の意味のその背後をたずねる努力を
人類はしてきました

偶発的にぶつかることで
進化が促進されて
偶然ななりゆきで人類が
誕生したという風に考えていた
時代もありましたが

しかしそれも科学的な観点が
ある種神話的な解釈をしている
また幼い科学だからわからない
そういうことだとも言えなくも
ありません

問題は人が象徴言語の意味を
科学的にせよ神話的であれ
どうとらえるのか

その捉え方の内容の深さにある
のであって科学がすばらしい
精神的な観点がすばらしい
というわけではないのです

この捉え方のことは認識と
呼ばれており世界は日々
人の認識をあらたにして
成長していっているのです

争いも様々な問題点も
認識の成長のためにある
場合もあります

勿論過去の経験を生かして
無為な争いは問題の発生は
さけれる方が賢いのは
言うまでもありませんが

だから認識というものに
ついてもっと考える必要が
あるのです


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