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10 songs composing me (1/2)

10という数字に特に根拠はない。指の数が10本に生まれ、十進法を採用するに至った人間に寄り添う。

ちなみにこの文章は普段使っていない自分用のパソコンで書いているため、ミスタイプが多くストレスがかかっている。使い慣れない言葉で喋っているときのようだ。

ソファに横になってリラックスしていると、頭の中にメロディが湧く。それはなにかしらの曲に似ていたり、その曲そのものだったりするだが、大体はメロディだけであり、歌いたいこともない。なにか歌うには世の中は広大で、難解を極める。僕はひとつのことにフォーカスして取り上げるのは苦手だ。ちゃんと全部を語っていないようで、そうすることはある種の嘘に思うから。それは作るときも聴くときも同じだ。大抵、メロディや音色、アレンジしか気にしておらず、追ったとしても単語が想起させるモチーフくらいだ。例えば、トム・ヨークが歌う「green plastic wateringcan」がどんな見た目をしているか、といった感覚だ。

頭に流れるメロディに、よく出てくる曲、いわゆる原材料となる曲は案外同じようなものだったりする。気がつけば同じような食べ物ばかり食べてしまうように。そういう意味でいうと僕はかなり偏食家で、それはほとんどの人がそうであるように思う。

#1 American Football「Never Meant」

高校の時に聴いて以来、ずっと聴き続けている。最初のドラム回しと話し声からは、バンドで曲を演奏するという行為に宿るなにかを感じる。きっとアルバムのジャケットになっている家の一室に転がっていたギターでこの曲は作られ、屋根裏かなにかでアンサンブルとしての命を吹き込まれた、そんな想像をさせる。歌詞は哀しい。曲調からは、根本にある哀しみを、時間で咀嚼し音色で美化し、せめて美しく仕上げようという儚い意欲を感じる。凝ったギターを弾こうとすると真っ先にこの曲が浮かぶ。この曲より情緒豊かなリフを生み出そうと、マスロック好きは躍起になっているように思う。

#2 Homecomings 「Hurts」

Homecomingsは、「アメリカン・スリープオーバー」や「セックス・エデュケーション」のような、アメリカのハイスクールドラマを観る日本人が持つ憧れをうまく背負ったバンドだと思う。真夜中のプールやホームパーティという非日常の場は、「人生を彩ってくれるような瞬間が突然自分に訪れるかもしれない」という可能性に満ちている。Homecomingsの初期の曲は、そうした瞬間を無垢に夢見るティーンエイジャーの退屈な日常と少しのきらめきを、うまくギターポップに昇華させている。

#3 Death Cab For Cutie 「What Sarah Said」

ピアノアルベジオの美しさを思い知ったのは高校生の時に聞いたこの曲だった。教えてくれた友達の家にあったピアノでこの曲のイントロを弾いてみた。だけど、その友達の家にどうしようもないくらい太った猫がいて、その時に自分が猫アレルギーだったと知った僕は、練習どころではなくなった。ところで、この曲は最後に重要なことを言っている。
「Love is watching someone die」看取るまで付き添いたい人は、大切な友達であり、大切な恋人なのだ。

#4 New Order 「Ceremony」

シンプルなリフにこそ、普遍性が宿る。浮かぶ光景は、数十年前の色褪せた記憶かもしれないし、数十年後に色のなくなった未来の光景かもしれない。すべてが完璧な曲だ。たしか漱石の夢十夜に、木を彫っているのではなく、完成物そのものを彫り出そうとしている職人の話があった気がするが、それに近い。二度とCメジャーキーでこれを超えるリフは出てこないんじゃないかと思う。たまに、作曲とは特定のテーマにおける普遍的正解の音の組み合わせを見つける作業であり、生み出される幾多もの曲は、その過程で出る少し形の整った副産物にすぎないのですらないかと思う時がある。

#5 Radiohead 「Sulk」

レディオヘッドはこのアルバムでギターロックのすべてをやり切ってしまった。静寂と轟音を行き来し、アコースティックとエフェクトをブレンドさせ、調性をここぞというときに無視し、愛も絶望も歌に乗せ、ギターロックという鉱山はほとんど出涸らしになってしまった。(その2年後に「OK Computer」が出る)そんな記念碑的なアルバムのクライマックスを飾るラブソングがこの曲だ。ストリングのアレンジなどなくても、ジョニー=グリーンウッドのオクターブ奏法さえあれば、激情とともに愛を歌い上げるファンファーレになる。


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