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12月に考えたこと

ーーー27歳3ヶ月の自分の記録としてこれを残す

12月は「師走」という言葉通り、あっという間に過ぎ去った。
結果、noteを更新することもなかった。
では何が忙しかったかについて、聞かれると答えに窮する。

強いていうなら、考えることに忙しかった。いや、答えのない問いかけに答えようとしていたから、厳密に言えばただ悩んでいた。そして悩むこと自体は何も生まないと分かりつつも、まるで高いところから低いところへ水が流れるように、前向きに行動に移すよりもネガティブな思考の堂々巡りの方へエネルギーが流れていってしまった。それによって、自己効力感は渦のように吸い込まれていく、負のループに陥っていた。

正直、精神的にかなり参っていた。元々参りやすい性分ではあるのだけど、それにしても参っていた。

そのとき自分を捕えたのは、「自分が何か間違った選択をしているのではないか」という疑念。そして、「自分の行動選択について、自分自身すら納得のいく説明ができないかもしれない」という不安だ。

1年前、山口県の長門をひとりで車で旅行した。夜、街外れにある銭湯に行くため、暗い山道を車で登った。走っても走っても、対向車とは一台もすれ違わない。自分はこのまま、どこに行くのだろうと思った。すぐ近くに、波の音が聞こえた。自分が何か大きな間違いを起こしているような気になった。クジラの胎児の死体を見た日の夜だった。その時の感覚は、ずっと地続きなのだと思った。

・なぜわざわざ1社目を辞めたのか。
・なぜわざわざ大学院にいくのか。
・それは本当に自分の意思なのか。
・それは誰かを幸せにするのか。

僕の認知はこうだった。
・前の仕事を辞めるべきではなかった。やりがいという目に見えないものに飛びつくのではなく、その場にとどまり、まずは経済的な安全性を確保すべきだった。自分の能力を過信せず、踏ん張るべきだった。
・翻って、自分が今いる会社では、あまり高くないレベルの人材や評価に甘んじていて、そこに居続けるとどんどんなまくらのようになっていってしまう。
・そして、大学院進学によって、さらに自分は会社勤めから退避した。経済的な安全性はさらに下がり、「週40時間すら働かない」人間になった。2足の草鞋が足枷となり、いざとなったら他に移れる、という冗長性を自ら手放した。
・最後に、環境学や社会学を学んだとしても、そこから生まれる結論は実世界においては何も効果を生まない机上の空論であり、そこに時間をかけても頭でっかちで使えない人間が生まれてしまう。

自分の現状を否定し続けた結果、全てを否定しきってしまって、どこにも行き場がなくなってしまう。ここではない、気がする。でもここでもないならば、どこがいいのか。自分は永遠に満足しないまま、自分の手にしたものにケチをつけ続け、死ぬまでそれを繰り返すのだろうか。

「スタンプラリー」

思い通りにならない状況、ストレスフルな状況、先行きが見えない状況、やることが山積みになった状況。
それは自ら選択して招いた状況だ。自分で対処しなくてはならない。

毎度その状況に没頭し、動悸が早くなり、頭がオーバーヒートしている感覚がする。そして、ハッと気づき自分を落ち着かせる。
いつから自分は自分の操縦がこんなに下手になったのだろうと思った。
それとも、操縦の難易度が次第に上がっているということなのか。

自分の選択が間違っていたとは思わない。
それは今のマジョリティからして整合していない、というだけのはずだった。
ただ、その認知の背中を押してくれるものを、自分は揃えるのが下手だった。

例えば、社内の直属の上司を思い出す。過去の栄光に囚われる中年男性の歌声は、とても似通っている。ねっとりとしていて、聞き手を無視したような歌い方をする。
THE YELLOW MONKEYの「JAM」。僕はその曲がとても好きだ。いつか練習して歌いたいと思う。けれど、歌われても特に感動しない。
僕は20年後、同じようなことをするのだろうか?
2020年に流行った歌を、AR技術で臨場感たっぷりになったカラオケボックスに行って、若い人たちの前で慇懃に歌い上げたりするのだろうか?

企業戦士の孤独。単身赴任。「ケアレスマン」という言葉がある。
自身の存在意義を企業や稼得能力に依存するはあまりに脆い。
僕は彼を否定しない。けれど、僕はそうはならない。
たとえそれがどんなに多くの人に支持された認知として事実のように見えても、みんながAが正しいと思っていたとしても、他人に自分の認知を押し付けてはいけない。
その瞬間にどんな地位も功績も陥落してしまう、と僕は思う。

ただ自分はこう思う。という信念や判断の根拠を揃え、ほかの人にじっくり考えてもらう。世界で行われているコミュニケーションは、これに集約されるのではないか。

「(きみは若いからまだ分からないかもしれないけれど)会社とは、社会人とは、Aである」
「(自分の条件下ではこうだったから)自分はこのような価値観をもってここに在る。」

過去に社長から言われた、「大学院に行っても成長しない」「将来お金が必要になった時に辛い思いをすることになるよ」「なぜなら、自分は会社を辞めて起業した時にそうだったから」という言葉が、ふつふつと湧き上がり、それに苦しめられた。

自分は世間知らずの若者世代であるのかもしれない。
本当に自分はあとあと「困った事態」に陥り、言わんこっちゃない、と後ろ指を刺されてしまうかもしれない。

その可能性を否定することが原理的に不可能で、辛かった。
でもそう言われたことを恨んでも仕方がない。当人にとっては、本気の忠告だったのだ。いくら気持ちを挫くような呪いの言葉であろうと、言った本人は本気でそう信じているのだ。彼自身の価値観もまた、日本社会で社会的に構築されたものであるのだ。

僕はそれを、あんまりだと思った。
お金がなければ、自分の身近な人にさえも認めてもらえない。
そんな人と結婚してしまうこと。
そんな家庭環境がたくさんあること。

すべてが社会的構築であると開き直ること。自分自身の認知の癖や歪みに対して、気づき、適切に距離をとること。
そのやり方が自分を救うことは知っていた。

しかし、最後に待ち受けてた苦しみは、自分自身のことをあまり信じられないことだった。
「常にベストを尽くせていないのではないか」
「きれいごとを語っているだけではないか」
「宣言したからには、早く成果を出さなければならない」
「なのに自分の頑張りがまだ足りないのではないか」
この自己への厳しい眼差しや達成欲求もまた、自身を苦しめた。
自分自身に対して疑いの目が向けられていった。
極端な例で言うと、「お金のために仕事をしたくはない」という思いは、単なる希望的観測だと思った。本当に世のため人のために尽くしたいのであれば、例えば社会福祉士の資格を取り、ケアワーカーになることもできる。
でもそうしない。それで生計がたつ見通しがない、というのも理由のひとつだし、それよりも楽な仕事がいくらでもあるからだ。
「結局はお金のために仕事をしている」
この仕事よりあっちの仕事の方がより意義深い、と無限後退し、世の中の人の方が、自分より当たり前に苦労をしていると思った。自分には、自分が温室育ちの偽善者であるという疑いに対して、自分の信念を正当化するだけの経験や胆力が備わっていなかった。備わっていないと、自己認知していた

けれど、自分自身を救ったのは、人には人の在り方があるという考えだった。

振り返れば、自分は、広義の差別主義者で能力主義者だった。自分は、職業に貴賎があると思い込んでいた(ただしそれは一般とは逆で、政治家や投資家を憎み、ささやかに暮らす人々を尊ぶ考えだ)。加えて、職業として求められている能力が偏っていることに疑問を持っていた。
投資銀行マンやコンサルタントといったいわゆる「虚業」、なんなら社会をより混乱させるような方向に働く仕事の方が、金銭的報酬が高い。一方で、障害者雇用の中では、最低賃金以下でゴミの仕分けや清掃作業を余儀なくされる人もいる。それは「ブルシット・ジョブ」であり、搾取ではないかと憤っていた。そこに加担することに、潔癖症のような拒否反応を持っていた。その潔癖癖で、自分自身をも漂白しようとしていた。

けれど、搾取的な構造を批判することと、ウォール・ストリートで働く人々の行動を否定することとは、分けなければならない。「人を憎まず仕組みを憎め」その人にはその人の仕事をする理由付けがあり、その人が生きる世界に対してケチをつけることは傲慢なことなのだ。一方、きつい仕事の中に楽しみを見出して取り組む人はいるし、そのことを「かわいそう」「ひどい」とラベル付することもまた、傲慢なことなのだ。

繰り返しになるが、対話が重要だ。理論を振りかざすわけでも、あるべきを押し付けるわけでもなく、ただ、「自分はこう思う」「あなたはこう思う」の1対1の環境において、対等に渡り合うこと。

自分は自分がやりやすいやり方、ペースでやっていく。誰にも押し付けないし、誰からも押し付けられない。
=ただ自分は目の前の現象を味わい愉しむ。その愉しみ方は、自分自身で決める。

幸い、今はさまざまな本やコンテンツに触れることができる。眉唾ものも多いが、中には考え方がアップデートされるようなものもある。色々な本やコンテンツを読む中で、徐々に自分に近い考えに背中を押され、立ち直っていったと思う。
必要なのは、インプットし考える時間だった。
毎日をより丁寧にやり遂げるための方法論を知り、それを着実に実行することで、自信を得ていった。少しのことでも、ちゃんと目ざとく評価した。同じことを、周りの人たちに対しても行った。

毎日、何かしらの日記をつけた。

以下に、備忘録を残しておく。それ以外についても、別の記事で残したいと思う。

▪️組織について
例えば、少し長いけれど、以下の動画はすごく役立った。若い世代が組織に感じるモヤモヤを綺麗に言葉にしてくれていると思う。何より、平日は企業のコンサルをやり、土日は理論の勉強をしているという点が信頼できる。言葉が重い。これをきっかけに、組織科学の論文を自分も齧った。ジョブ・クラフティングの考え方を特に参考にしている。

▪️認知の歪みについて
認知行動療法の存在も大きかった。社会の同僚の紹介で、一度モラハラ専門の臨床心理士の人と話したことがあったが、その時から、自分の中にある「男らしさ」の呪縛に、より意識的になった。
いつかは臨床心理士の勉強をしたい。下で紹介する「とくさん」という人は、IBMやAdobeを歴任していて起業している。
そういう例を見ると、自分もしばらくは企業社会に揉まれてもいいかなと思っている。

結局自分の悩みは、世の中の誰もが通るようなありふれた悩みだった。

年末年始は、自分の心との付き合い方をかなり見直せた。
ただ毎日の実践を積み上げることでしか、自分のせっかちで神経質な性分を癒すことはできない。

自分が徹底的に弱ることで、また世間的に弱い部類の人々と関わる機会が増すことで、自分の世界が広がった。コンサルティング企業にいた時、会社の前提として欠けていると思った領域に、かなり踏み込めたような気がする。

今はこの期間をポジティブに捉えている。
1ヶ月前の自分とは違うし、1年前の自分とはもっと違う。

僕は自分の優しさに自信がある。そしてこの先、もっと優しくしなやかな人間になれると思う。

ーーー27歳3ヶ月の自分より

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