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10月に読んだ(読んでいる)本

10月から大学院が始まった。
週4日勤務にしたのに仕事量は減っていないどころが増えているのではないかという愚痴を言いたくなるけれど、今のところなんとかこなしている。入る前は入試対策や業務調整やらで割と必死だったし、今は週末に文献を読んでギリギリ間に合わせている。頭の中が散らかりっぱなしで、考えごとをしながらよく家の壁や扉にぶつかっている。メモに残さないと忘れるけれど、メモを書いている途中で他のことを考えているので、よくダイイングメッセージのように途中で力尽きている。。

でも、このくらいこなさないといけないという持論もある。そもそも人の生活に係るケアワークやインフラ関連以外の仕事は本質的な仕事ではないと思っているから、それに苦しめられるのはなんとなく「ダサい」と思っている。デスクワークなんて恵まれた労働だ。

そうした見方に対して、仕事を甘くみている、みたいな説教をされたこともあるけれど、それはやらされる仕事しかしてこなかったおじさんたちが自分を肯定するために半ば自分に言い聞かせていると思っているから、気にしていない。ビジネスのことしか考えていない人の話は総じてつまらないし深みがない。自己啓発書には芯がない。

そう思えるようになったのも、アカデミアに半分身を置けている余裕から来ているのだろうと思う。会社員として優秀だということに足場を置くアイデンティティはあまりに弱いと思うから。

そんなことを、高校生の時よくお世話になった内田樹先生の話を聞きながら考えた。内田樹の人気は何かなと思ったら、その懐の深さだろうなと思う。彼だって恵まれた側の人間だから余裕があるではないか、といううがった見方をしたとしても余りあるくらいの、「人生どうにかなるさ」という安心感がある。

今はとにかく、大学院生活が楽しい。
週に4日しか会社に行かなくていいのも、1日勉強に使えるのも幸せだ。大学へ行く日は、最寄り駅にあるさびれたカラオケ屋の看板さえも美しく見える。

「カラオケ ミッキー」

でもこれが、社会人にならずに院生になっていたら違っただろうなと思う。きっと社会人で自立している同期を見て焦ったり、研究で何かしらの成果を出すことに必死になっていたかもしれない。
個人的には、バランス感覚が大事だし、両方を行き来することで初めて、社会の手触りを感じることができるのではないか、と思う。
会社は場当たり的で小手先の技術に終始することが多い。一方で、大学院単体は良くも悪くも世間知らずであることが多く、閉じた雰囲気もある。

知識と経験がすべてだと最近よく思う。
身の回りの人が、センシティブな悩みを相談してくれる機会が増えた。
発達障害気味のインターン生や、会社になじめない年上社員や、最近結婚した同期など。
僕は自分からは何も言わない、ように心がけている。相手が話すことに、ただうなずいて、時々関連した出来事の話や読んだ本の話をする。そうすることしかできないし、それだけしか求められていない。しばらくすると、また話をしてくれる。それで自分が、うまく聞けたんだなと思う。

ただ最近の悩みは、どこまでいっても「できない」人の状況が概念的には分かっても、経験的には理解できないことかもしれない。
「できない」と「やっていない」の区別に対して、やっていない、という烙印をすぐに押しそうになる能力主義者の自分を若干我慢している。

障害者家族を生きる 土屋葉

ALS患者など、障がい者の生活世界に迫る研究を行っている土屋葉先生の博士論文。
2002年ごろの発刊だが、障がい者の母親が子の面倒を自身のライフワーク=アイデンティティにしていくという語りの分析はその通りだと思った。
当時は、障がい者は庇護されるべき存在という認識が強く、障がい者自立運動の観点から、その家族がその愛情とは裏腹に障がい者の自立を阻んでいるという指摘に一定の新しさがあった。とはいえ、20年たった今でも、障がい者本人の自立や家族形成に対する研究はまだ充実していないという。
知的障害をもつ弟に対して、兄としてなにができるだろうかと考えることも多い。恋人を作りたい、家族を持ちたい、という憧れに対して、なにをすべきで、なにをすべきでないのだろうか。

よくわかる障害者福祉 小澤温編

本当によく分かる。ミネルヴァ書房とこのシリーズは大好き。

上村先生のこの動画もおすすめ。

『どうせ社会は変えられないなんてだれが言った?』井手英策 

「ベーシックサービス」という概念の提唱本。

ベーシックサービスは、すべて人びとの生活を保障する仕組みである。端的にいえば、病院、介護、大学、障がい者福祉といったサービスがすべての階層に、無償で提供されるということである。これは、何人子どもを持とうが、何歳まで生きようが、いつ失業をしようが、生活の基礎的な部分に不安を持たずに生きていけることを意味している。

なぜベーシックサービスなのか

https://www.yu-cho-f.jp/wp-content/uploads/2021summer_articles08.pdf

社会構想としては賛成だ。ベーシックインカムは全員に現金給付するのは現実的ではないし、なにより使い道を制限しないとパチンコやレジャーなどのエッセンシャルでないサービスに流れる。
ただ、財源については、消費税率16%というのが現実的でないと感じる。仮に実現できたとしても、普及までにはタイムラグがあるし、ただでさえ公務員がOECD諸国に比べ少ない日本で、サービス給付を担う人的リソースが確保できるとも思えない。なによりも、消費増税が消費の冷え込みに与える影響と、それに対する反発は大変なものだろう、と思ってしまう。

グローバル定常型社会ー地球社会の理論のために 広井良典

社会思想として、「定常型社会」というのはキャッチ―だし、実際広く引用される概念と思う。しかし、内実は、斎藤幸平のような脱経済成長一点張りのユートピア的な思想と、将来世代への再分配を前提にしたポスト福祉国家的な現実的な思想とが、あまり区別されにくいように感じる。

個人的には、日本において、高齢者への社会保障費への配分が大きすぎる一方で、介護職・教育職への待遇が悪すぎるのが問題なのであって、ブルシットジョブに回っている人材やリソースをケア労働に配分するインセンティブさえ作れれば、福祉と経済の両立は可能なように見えている。
要は、斎藤幸平のような考え方は、それなりに経済的に余裕がある、なにか社会運動してみたい大学生やインテリのなんちゃって社会批判であると思う。Friday for Futureもそう。気持ちはわかるし大事だけれど。

「私利の追求&パイの拡大による全体利益の増大」(=成長による解決)という発想から、「時間の再配分&再分配システムの強化」(=定常型モデル)という方向へと転換することが、結果的に人々を幸せにする。

自助社会を終わらせる

オムニバスの本は、前菜盛り合わせみたいな感じだからそれぞれの引用文献や査読論文をちゃんと読まなきゃなーと思わされます。いい特集。

コミュニティの幸福論 桜井政成

分かりやすく語り口が優しかった。社会関係資本やコミュニティに興味がある人は入門書としていいと思う。
「エピソディック・ボランティア」という概念がある。期間限定で地域のボランティア活動などに参加し、ちょっとしたきっかけで顔を出さなくなったり、そうかと思えば久々に来たり、いうなれば気まぐれボランティアだ。
彼らは、地域社会とのつながりが薄れた今だからこそ目立つようになり、社会とどのように関わっていけばよいのか、自己シミュレーションをしているという。自分自身もその気持ちはよく分かる。拘束されると荷が重いが、何か社会の役に立ちたいとは思っている。
真面目な運営者としては少し嫌かもしれないが、そうした人々をいかに社会・福祉サービスの役に立てていくべきかを議論する方が建設的だと思う。

OECD(経済協力開発機構) /日本ミニ・パブリックス研究フォーラム (翻訳)

日本の第一人者である三上直之先生のゼミを取っている。
欧州を中心に、憲法改正や気候変動対策について議論がなされ、その結果を政策提言に活かすという市民会議(Citizen Assembly)が増加している。
日本でも、気候市民会議を中心に、各自治体で実証的に開催され始めている。
ただ、参加者のまとまった時間をいかに確保するか、話し合いの結果が広範な市民の意見を果たして代弁しているか、その意見がきちんと政策に反映されるか、などといった点でまだ課題も多い。
一番の効用としては、市民の政治参加意識の醸成(=公共圏の形成)かもしれない。とはいえ、それが一般の人に感じられるくらいになるには、かなりの規模が必要だけれど。広がってほしい取り組みだと思う。


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