浦島太郎.3

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数日後、待ち合わせ通りに大学の喫煙所に向かった。
既に幸は煙管を吹かしており、日に照らされた幸の姿は、あの夜に見たものとはまた違って見えた。
「田村さん、ごめんねちょっと遅れた。」
「どうも。別に気にしなくていいよ。どうせこうやって煙草吸ってるだけですから。」
「ハハハ、それもそうか。えっと、これ買ってきたんだけど、どうやって吸うんだい?」
「おっ、買ってきたんですね────」


そんなこんなで、幸から煙管での吸い方を学び、ついでに葉っぱを分けてもらった。火をつけて口に含んで、僕はあの夜に吸ったものを思い出した。
「これ、前分けてもらったやつだよね?キセルで吸うのとタバコで吸うのでまた違う感じがするね。こっちの方が、気持ち甘いというか…」
僕がそういうのに対し、幸はどこか誇らしげに口角を挙げた。
「やっぱり若宮さんは『分かる側』の人間ですね。」
「ハハハ、田村さんと僕は大して年齢に違いはないだろう?まあでも、『専門家』さんにそう言ってもらえると一安心だね。僕はタバコを楽しむ才能がありそうだ。」
「そうじゃなきゃ、健康害してまで嗜む理由になりませんからね。正直、誘った手前、楽しんでくれなかったらと思うと不安でしたよ。」
「君が色々教えてくれるからだよ。」

授業の合間で会ったため時間にして10分くらいだっただろうが、僕はその時の会話がなんだかとても居心地のいいものに感じた。それが、喫煙所にいるという、ちょっとした「ワルイこと」をしている自分に対して感じる斜に構えた優越感のせいなのか、それとも、相手が幸だったからかは今となっては何とも言えないが、もはやそれは些末なことでしかない。

「おっと、もうこんな時間だ。それじゃ、今日はこの辺で。」
「私もそろそろ授業移動しないと。若宮さんそれじゃ。」

僕たちは定期的に喫煙所でちょっとした雑談に花を咲かせていた。いつからかは忘れてしまったが、お互いに予定を確認することはほとんどなく、ふらっと立ち寄ったら大体2人揃った。そのことに関して結婚した後に、ひょっとして僕らは最初からどこか通じ合う何かがあったのではないだろうかと、我ながら調子に乗って発言したが、彼女は背中をむず痒くさせる笑みを浮かべながら、僕が吸ってる煙草の銘柄が独特なもので、臭いがするので僕が喫煙所にいるのがわかる、と言っていた。とはいっても僕が吸っていた銘柄は言うまでもなく幸から紹介されたものであって、無論幸もそれを知っていたはずである。どうやら最初から私の喫煙ライフは幸の掌で転がされていたようで、この頃から僕は幸に振り回されるのが決まっていたみたいである。あの夜に幸と会った時点で僕の人生は定まってしまったのかもしれない。

僕たちは在籍している学科が違っていたため、授業などで一緒になる機会はほとんどなかった。大学構内ですれ違うことこそあったが、まともに会話する機会は偶々食堂で一緒になった時か喫煙所で一緒に煙草を吸う時くらいであった。要するに僕は幸に対して「煙草を一緒に吸う仲間」といった本当に薄っぺらい情報しか持っていなかった。

ある時、僕は喫煙所で彼女が誰かと話しているのを見た。彼女の話し相手が喫煙所から去ってから、僕はさも、ちょうど入れ違いで来たかのように喫煙所に入場していった

「うーっす、若宮さん。あの人、私の学科の教授なんだから別に遠慮して遠巻きから見てなくてもよかったのに。」
「…気づいていたのか。なんだか恥ずかしいな。教授とすごく親しげに話してたね。」
「あの人の紹介で大学内でバイトさせてもらってて。それに私こう見えて成績いいので、案外あっちが優しくしてくれるんです。」
「もしかして、この前図書館で事務作業してたのってそういうこと?」
「そういうことです。」
「すごいね…僕は授業についていくので精一杯だよ。」
「ついていけない人も多いでしょうし、理解できてるだけいいんですよ。」

幸はポジティブシンキングがとてもうまい人だった。幸がそうならざるをえなくなった理由をもう少し後になって僕は知ったのだが、幸にそう言われると僕は何となく心が軽くなった。

「そういえばなんだけどさ、いつから僕に気づいてたの?」
「…煙草って若宮さんが思う以上に臭いつきますよ。」
幸の指摘した通り、煙草を吸った後に衣服につく臭いはかなりキツイ。職場でも喫煙所にいるときは分からないのだが、いざ喫煙所から自分の席に座りなおすと自分のパソコンのキーボードから、煙草の臭いがモワッとしてくるくらいにはキツイのである。
「消臭剤は部屋に置いてるけど、それでも臭っちゃうか…。申し訳ないね。」
「まあ、私はその臭い好きですけど、苦手な人は多いですからね。」
「ふーん、そういうものか。どうにかしないとなあ。最近、タバコもそうだし汗臭さも気になるからなあ。やっぱり、女の子ってそういうのわかるものなの?」
「私を当てにされても困りますが、まあそれなりには、気づきますよ。若宮さんも『コイツ、煙草吸ってきたな』って臭い気づくでしょ?そういうものですよ。汗臭さの方は…若宮さんはそんなに気にしすぎるほどでもないと思いますよ。」

幸は、自分自身をまともじゃないと見ていることもあるので、こういう返答をするときの彼女は却って信頼性が高く見える。僕は幸の発言を聞いて少しだけ安心したのを覚えている。

「逆になんですけど、男性って女性のそういうものってどう思うんですか」

不意を突く質問を彼女にされてしまい、僕は焦った。安心が少しだけになってしまったのはこのためだ。特には気にしないと言えば、自分のことしか気にしてないような振る舞いにしか見えないように思えたし、それなりに気を遣ってほしいとでも言って彼女に不要な気を遣わせたくなかったし、そういうものは好きだというのは論外が過ぎる。僕は悩みに悩んで、しかし、あくまでももとよりそう思っていたんだよ、といった態度を意識してこう答えるしかなかった。

「うーん、本人がよしとしてればいいんじゃないかな。本人が自分の臭いに満足できなければ、満足できる臭いの出し方を人に聞くなりして、手を加えるものだと思うけど。」
「…煮え切らないですね。若宮さんらしいっちゃらしいですが。」

どうやら僕は、つかみどころのないように思われているようだった。とは言いつつも彼女はそんな僕の返答に、いつものようににやりとしながら煙管を吹かしていた。今でこそ彼女がなぜそういう態度をとっていたのか分かるが、当時の僕からすると彼女の方こそつかみどころがないように感じられた。

その後、食堂の新メニューや、サークルの話などをして、僕らはいつも通り挨拶をし別れたのであった。
今になって振り返ると、どうってことないことではあるが、僕自身一番幸に探り探りの態度をとっていた時期だった。

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