モスクの見える家
2024年4月、2020年8月からおよそ3年半以上住んだ代々木上原の家から引っ越すことになった。自分自身、結婚して初めて実家を出て住んでいた家ということもあり、それなりに愛着もある。記憶が薄れぬうちに、引っ越しに忙殺されないうちに思い出を書いておきたい。
代々木上原駅から徒歩3分で、幡ヶ谷駅にも10分程度で行くことのできるこの家は、地理的にも非常に利便性が高く、どこに行くにも便利であった。生活上、ODAKYU OXという少々お高めのスーパーマーケットが最寄りであることや、普段使いの難しいお洒落なレストランと、松屋とバーガーキングという大衆店の間に、健康的かつお高くないお店が少ないことを除いては、あまりにも暮らしやすい立地である。近隣には代々木公園もあり、駅にはスターバックスや薬局もあって、土日に公園を歩くこと、本を読むことなど、難なくできるところも私のお気に入りだった。
なかでも、一番のお気に入りは朝、南側のカーテンの開けた時に見える東京ジャーミィのモスクとミナレットである。平日の労働の日々を取り返すかの如く、土日の朝は目が覚めてしまう私にとって、静寂に包まれた朝もやの中に、聳え立つ東京ジャーミィのモスクの荘厳さには毎度息をのんでしまう。そんな1人きりの贅沢な時間を、珈琲を淹れながら満喫することの愉悦は正直なところ何にも代えがたい。もちろん二日酔いでげっそりとしている朝もあるが、そんな朝にその週にあったことや自分で感じたことを手帳に書くことは転職以来のルーティンとなった。
この3年半は自分自身にとっても大きな変化をもたらした期間であった。新卒入社した保険会社を3年間で退職し、現職の保険代理・仲介業の会社に転職したこと。現職が外資系企業であり、業務内で使う英語にキャッチアップするために、最初の2か月間はほぼ毎日オンライン英会話を行ったこと。先ほど書いたモーニングルーティンならぬサタデールーティンなるものを確立させたこと等、自分自身の今の姿の基礎となった20代の中頃の期間と言える。引っ越した際には一つしかなかった本棚も、今では三つとなり、その中でも本は所狭しと並んでいる。自分自身の思想的な礎となる本もあれば、お守りのような本もある。いずれも土曜日の朝や、平日の半身浴、もしくは駅前のスターバックスで読んだ日の記憶と共に佇んでいる。
友人や親族も多く呼んだ家であった。妻の職場の友人や、私の高校や大学の部活の同期、親友等、初めて「家族ぐるみの付き合い」というものを経験したのもこの場所だった。ある日にはしんみりと話し込んだり、また別の日には友人がそのまま寝てしまい、ソファで朝まで寝かせていたこともあった。ちなみに、お世辞にも広いとも言い難いこの家で、泊まっていったのはこの友人だけである。友人と言えば、大学と新卒の会社の同期であり、不屈のランナーである友人が50mほど先の家(社員寮)に引っ越してきたことも奇跡的な出来事であった。実直で走ることに一切の妥協がないが故に、諸々の不満や不安を抱えることもあった彼だが、家に呼んで一緒に鍋を食べたり、彼の覚えたての整体マッサージをやってもらうことなど、学生時代に下宿生活をしたことがない自分と妻にとっては近所の同輩が遊びに来るというある意味での青春を味わう機会をくれた楽しい日常だった。そんな日常は長くは続かず、彼が所属していた実業団の解散と同時に社員寮も閉鎖となったことで、あえなく彼も引っ越してしまった。彼との思い出深い私の手作りジンジャーエールを餞別の品として渡したときの寂しさと言えば、どうも言い表せないものがある。無論、今生の別れなどではなく、今でも交流のある友人であるが、この家で体験した牧歌的な日常と言う意味ではここに記しておかなければならない内容であった。
はじめて料理というものをしたのも、この家であった。妻に手取り足取り教えてもらいながら、豚キムチや簡単な炒め物を学び、今では我が家の土日の定番となっている目玉焼きやオムレツ等が作れるようになった時の感動もひとしおである。少々大げさな言い方になるが、実家で何不自由なく育ってきた私にとって、「生活」に必要なことを覚えたのはまさにこの時代である。今でも私には解像度が荒すぎで見過ごしてしまう家事もあり、未だに家事分担等と言うには烏滸がましい道楽の範疇であるが、洗濯機を回し、洗濯物をたたむこと、少々サボりがちではあるがお皿を洗うこと、土日の朝ご飯を作ることは私の数少ない家事の担当領域となった。何かを消費するのではなく、生産すること(正確には料理も生産ではなく加工の範疇を超えないのであるが)、家事に没頭し、仕事や生活、人間関係のあれやこれやに思いを巡らすことの何とも言えない愉しさというものは、この家で得た貴重な実感である。
他者と暮らすこと、何もかになろうと努力すること、友人や親族を歓待すること、「生活」の実感を持つこと、今でも未熟な自分には変わりないが、一定の人間的な成熟をさせてくれたこの家に感謝したい。そして、憂鬱な朝も、清々しい朝も変わらず荘厳な雰囲気と共に、自分を見守ってくれていた東京ジャーミィのモスクとミナレットに特別な感慨を抱かざるを得ない。
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