孝恩寺 難陀竜王と跋難陀竜王

 大阪府の南部、貝塚市にある浄土宗のお寺です。
 6月にお電話した時には、収蔵庫の拝観が出来ない時期だったので、4ヶ月ほど待ってからお伺いしました。大変広い収蔵庫に、19体もの重要文化財の仏様がいらっしゃいました。

 孝恩寺は、大阪では平安時代前期の仏様が最も多いことで有名なお寺です。案内して頂いた奥様のお話では、戦国時代、周辺にあった10以上のお寺が、豊臣秀吉によって焼かれたが、その際、難を逃れた仏様が、この周辺では、唯一焼け残ったこのお寺の観音堂に集められたそうです。
( 観音堂は、釘を使わないその独特の建築方法から、釘無堂と呼ばれていて、大阪で最も古い、鎌倉時代の国宝建造物です。拝観に伺った時は、地震と台風による傷みが激しく、翌月からの修理を待っている状態でした。)

 どの仏様も、平安時代初期から、中期にかけての仏様なので、京都や奈良の仏様の様に整った仏様ではなく、いわゆる、アクの強い、一体一体独特の雰囲気を持った仏様でした。
 広い収蔵庫の中で、すっかり興奮してしまった私は、個性的なたくさんの仏様の、どこをどう見ればいいのか集中できず、ドキドキしながらただうろうろしているだけでした。
 時間が経ち、初めの興奮が収まり、少し落ち着いて拝観出来るようになると、ほとんどの仏様は等身大であること、昔は白く塗られていたと思われる仏様が多いことに、気が付きました。また、瞳をしっかりと描かれている仏様が多いことも分かりました。
 中には微笑んでおられる仏様もいらっしゃいましたが、いくつかの仏様は笑うなどとんでもないと言わんばかりの、怖い程のエネルギーを発しておられました。
 御住職の御配慮で、仏様の後ろにも回れるようになっていることを教えて頂き、後ろからもじっくりと、拝見させて頂きました。
 
 孝恩寺の仏様の中では、弥勒菩薩様や薬師如来様が、いろいろな本などに取り上げられることが多いようですが、私は、難陀(なんだ)竜王様と跋難陀(ばつなんだ、或いは、ばなんだ)竜王様に、次第に引き寄せられていきました。

 どこのお寺でもお聞きしたことの無い御尊名の仏様です。
 二体の仏様は、兄弟で、どちらも八大竜王なのだそうです。雨乞いの龍神として、神社で祀られていることが多いようで、お寺でお見かけすることは少いようです。

 兄の難陀竜王様は、作りかけの様に、衣の後ろ側の裾や宝冠に、荒々しいノミ跡が残っています。さらに、宝冠の正面には、これから彫る下書きのような、竜の線画もありました。その線画を見ていると、この線画は彫るつもりで描かれたのか、それとも彫るつもりは無かったのか。もしも線画の通り彫ったとしたら、どの様な像になったのか。それにしても、それ以外のところは、きれいに彫られているのにどうして、そこだけ彫らずに残したのか。など、さまざまな思いが次々に浮かんできました。

 弟の跋難陀竜王様は、難陀竜王様と、貴人の様な装いは同じですが、作りかけに見えるところはありません。さらに、お顔は大分違っていて、一切の人間的な温かみを取り去って、神としての超人的な部分をむき出しにしたような、近寄り難い印象でした。この仏様の前にいると、像全体から発せられる強い気のようなものに圧倒され、近付くことも、後ずさりすることもできずに、その場から動けなくなってしまうような気がしました。

最後に、釘無堂の本尊様にお参りしました。贅沢にも、国宝のお堂に一人で坐らせて頂きました。一度に沢山の仏様にお会いしたせいで、しばらくは混乱がおさまりませんでした。 
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 6月から10月までは、収蔵庫の拝観ができません。拝観の際は、2週間前までに予約したほうが良いと思います。 
 いくつものお寺を、いっぺんに拝観したくらい、とても密度の濃い収蔵庫です。幸い、一人にして頂けますので、お時間に余裕を持ってお出かけになることをお勧めします。