作品を飲む/消化する、ということ
只今、山海塾ヨーロッパ&南米中南米ツアー真っ只中です。
今回はUTSUSHIに変わるコラージュ作品「KOSA(交差)」
ありがたいことに二つのシーンのソロを頂いてます。
編成としては、TOBARIとKAGEMIとMEGURIのシーンから成り立ち、僕はTOBARIのソロをもらってます。
山海塾正式メンバーになったのが2010年。
デビュー作品はTOBARI。
デビューした作品のソロを今では僕が担ってるというのも、物凄く感慨深いです。
ここからは僕の勝手な解釈なので、悪しからず。
山海塾の作品はずっと死や宇宙など、不変的な物事への作品というか、大きい物事の作品が多いと思っていました。
でも、過去の作品でも師匠(天児牛大)の叙情的なものはあるんだけれども、TOBARIはそうだとは思ったことがなかった。
誤解がないように先に言っておくと、僕はTOBARIのクリエイションは携わってません。
だからこそ知らないことが多すぎるという部分もあるんだけれども、今になって気づくことが本当に多い。
TOBARIは夜の帷が降りるの【帷】
それは夜になった瞬間であり、その先には星空と宇宙が広がっている。
僕はそういう作品なんだと思っていました。
いままでは。
知っている方は知っていると思いますが、TOBARIのあの床面の楕円の星空は、山口小夜子さんが亡くなった日の星空です。
山口小夜子さんが亡くなったのが2007年
TOBARIが作られたのが2008年
今回僕がやっているソロは様々な型を使っていようと【有るものが無かった/無くなってしまう】という状況/情景が多い。
掴んだものが消えてしまう
掴んだと思ったらハラハラ消えてしまった
振付を入念に体に入れているときにふと頭に降りてきた。
指先をヒラヒラさせて蝶々のように飛んでいってしまう振りをやってるときに、まるでゴーストのように自分を透かし通り過ぎるイメージが湧いて、これは小夜子さんなんだと。
小夜子への想い/オマージュなんだと。
だから【有るものが無かった/無くなってしまう】ことが幾つも入っているソロなんだと。
振付の中で時たま出てくる、叫びや懼れ、嘆きや無力感。
あれは、小夜子さんを亡くした時の感情なんだと。
それで僕は考えた。
僕からしたら大事な人は誰かと。
あ〜オカンに捧げようって。
3年前に亡くなった母へ踊ろうって。
音取りや振付一つ一つを消化することにまだ時間はかかっているけれども、このツアー中のソロはもっと生きたかった母親の為に踊りたい思います。
※全て勝手な解釈です。悪しからず
石井則仁