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温泉は大好きだがお風呂が嫌い

わたしはとにかく風呂が嫌いだ。幼少期からずっと嫌いだ。

服を脱ぐのも面倒だし全身が濡れるのも面倒だし、髪を洗うのもトリートメントするのも体を洗うのもお風呂あがりに身体を拭くのも全身に保湿クリームを塗るのも髪を乾かすのも、ぜーーーんぶ面倒だ。ついでに言えば、わたしは浴槽を洗うのも大っ嫌いだ。だから、一人暮らし9年目になるが家で一度も湯船をはったことがない。

その一方で、唯一好きなのが湯船に浸かっている時間だ。あつめのお湯で肌がピリピリしてジワジワ温まっていく感じは気持ちいいと思う。それと、水中で重力が減って、身体を自分で支えていなくていいから楽だ。じゃあ家でも湯船に浸かればいいじゃないかということになるが、前述の通りとにかくお風呂掃除が嫌いなので、それは無理な話。ちなみにビジネスホテルに泊まるときは、どんなに狭いユニットバスでもいつもお湯をためて入浴剤をぶちこんで湯船を満喫する。お風呂掃除をしなくていいなら、お風呂嫌いを湯船でギリ相殺できるのだ。

だから、上質な湯船に丸腰で浸かれる温泉は大好きだ。上質な湯船という目的があれば、その他の面倒なこと(服を脱いだり身体を洗ったり)も頑張れる、お風呂掃除もしなくていい。最高だ。


同様に、わたしは美味しい食べ物が大好きだが、お腹が空いたときに仕方なく食べるような食事はそんなに好きではない。好きでもない食べ物でお腹を満たすことほど無駄なことはない。率先して食べたいような美味しいものを差し置いて、目の前の空腹を満たすためだけに食うコンビニ飯、とてもつらい。(いや、コンビニ飯は好きだが、そういう問題ではないのだ)

寝るのは大好きだけど、やりたいことがあるのに眠いから仕方なく布団に入るのも嫌だ。思い通りにならない自分の身体に苛立ちすらする。とにかく、自分の身体というデバイスを世話してやるのが心底面倒だと感じる。

「好きな服」はあるが、仕事には好きな服は着ていけないので仕方なく好きでもない仕事用の服を買うのも嫌いだ。好きだからこそ、こだわりを捨てて機能面だけを取って享受しなきゃいけないとき、心が死んでいくのを感じる。


「客はドリルが欲しいのではない。本当に欲しいのは(ドリルによって作られた)穴である」なんて格言があるけど、いつもいつでもそれが当てはまるわけではないと思う。現にグレンラガンのシモンはドリルで穴を掘ること自体を楽しんでいるように見えるし。

都会で車を持つ人に「客は車が欲しいのではない。本当に欲しいのは移動手段である」なーんて言うのはお門違いだってわかるはずだ。移動手段だけで言ったら公共交通機関の方がずっと低コストで便利で、その中でわざわざ車を持つ人はかなりの車好き。車に乗ることが楽しいタイプの人だ。

世の中、本質っぽいことを言ったった奴が勝ち!みたいな風潮あるけど、本質っぽくないところにこそ楽しみがたくさんあると思いませんか。

衣食住は不自由なくあるからコロナで色んなものがなくなってもOK!なんてことは全くなくて、私は旅に出たいしライブに行きたいしマスク無しで遊びまわりたい。無駄なことたくさんして、辺鄙な土地で時間を浪費したい。

その辺の飲食店とか商業施設が普通に営業するようになって、ほら日常が戻ったでしょ?みたいな顔してるけど、秋の航空祭の中止が決まって向こう半年のライブのチケットが紙切れと化したのになーに言ってんだって感じ。ばーかばーか。


話は冒頭に戻りますが、まあ、普通に温泉行きたいですよね。温泉旅行。温泉地近くのスーパーで買い出しして、ボードゲーム持って行って、明け方まで騒いで、雑魚寝して、朝風呂入りたいという願望は絶対実現しなくて、朝食ビュッフェは気持ち悪くて何も食べられんってやつやりたい。そういう無駄なことをしたいんですよ。

無駄なことこそ、人生の意義ですよ。


おわり


そういえば!今日はわたしの誕生日です。そんな日にこんなクソ記事でいいのかって感じですけど、まあ特に抱負とかないですし。

最後にほしい物リストだけ上げておきます!!!よろしくお願いします!!!


今度こそおわり

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