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ファンだと言うことの恥ずかしさ(仮)

(登場人物)
A……Bの後輩。永井均のファンだけど、ファンを公言するのが恥ずかしい。
B……Aの先輩。

好きな本も売ってしまうことがある

A「好きな本ってありますか」
B「好きな本ねえ。なんだろうなあ。きみはある?」
A「いやー読んでもすぐ忘れちゃうんですよね。売っちゃうし」
B「好きでも売っちゃうわけ?」
A「売ることもありますね。たとえば『もう、この本に書いてある主要なことは自分にインストールされた』と思ったら売る。あとは、お金に困って渋々売る。で、売り飛ばしたことで、本の中身を忘れちゃうこともあるんですよね。で、あとから『売らなきゃよかったなあ』って思ったり」
B「へえ。それで買い直した本とかある?」
A「ありますね。永井均の新書とか。一回売って書い直してとかしたはず」 

好きな本、影響を与えた本、と記憶

B「で、きみが好きな本ってなんなの? やっぱり永井均?」
A「そうですね。でも、これって記憶に残ってるから言えますよね。記憶に残ってないやつは言えないっていうか。記憶に残ってないのに好きなやつ、自分に重大な影響を及ぼした本ってあるかな。あってもおかしくはない……のか?」

『現代思想としてのギリシア哲学』を一助に永井均を読む

A「いま自分の本棚の前にいるわけじゃないから、好きな本をすぐに思い出せないっていうのもあるんですよ」
B「この前、『ぼくの本棚には一軍席がある。一軍席は一番手に取りやすいところなんです』とか言ってなかったか? 今の一軍本は何よ?」
A「いま一冊挙げるなら、古東哲明の『現代思想としてのギリシア哲学』。この本を経由することで、永井均がいろんなところで言っていたことの一部が理解できたと思うので」
B「へえ。古東さんの本は、永井均の言ったことを理解する助けになった、と」
A「そうですね。古東さんは哲学することを『エイリアンになること』って言っていたのにも膝を打ちました。哲学しようと思っている身としてはなるほど! って思いました」

永井均の本との出会いと付き合い

A「永井均の本はたぶん20年以上前の受験のときに出会ったと思うんですよ。もうきっかけとか忘れちゃったけど。で、20年以上経ってやっと理解できるようになってきた。付き合いの長い本が多いです。『<子ども>のための哲学』『これがニーチェだ』『倫理とは何か』とか......『私・今・そして神』は、最近ようやく意味がわかるようになってきました。この『私・今・そして神』は買い直したやつですね。20年くらい前の本をまだ読んでるってすごくないっすか? 20年も付き合ってる友達がいるみたいな気持ち?……おれ、友達がいないんで」

永井均のファンだと言いづらい気持ち

B「おまえは永井均ファンなんだな」
A「そうですね……でも、ファンとして見られると、他にも熱心なファンがいて、そのなかには永井均の哲学を理解しようとする熱心な人たちも多い。だから、『おれはたいしたファンじゃないです』と言いたくなりますね。ぼくは、永井均の本にあんまりひたりつけていない(注)から」
B「なんでそんなこと言うの? 『ぼくもファンです』で良くない? 他ファンへの遠慮?」
A「単純に、永井均のことを理解していないから。永井均は哲学者なんですよ。哲学っていうのは自分が大事だと思った問いを自分で考えていく、自分自身の足で立とうとする営みなんですよね。で、永井均は哲学をすることが大事だって言ってるわけです、たぶん。
だけど、ぼく自身が哲学できてるかっていうと、あんまりそうでもない。哲学ができるようになりたいとは思ってるんですが。だから、『永井均のたいしたファンじゃないですが』っていう遠慮のフレーズは、『ぼくはあんまり哲学的ではないうえに、永井さんの言っていることをそんなに理解できてるわけではないですが』の言い換えでもあるというか」
B「ふーん、なんか言い訳っぽい感じで、すっきりしないな。好きなものを好きだっていうのに、そんなに遠慮が必要かねえ?」
A「うーん……たしかにそうですねえ、そんな遠慮する必要があるのかどうか……。自分がその対象を好きになる好きになり方っていうのは、他の人のそれと違うかもしれないじゃないですか。もちろん、他人のことなんかわからないけど……。あと、好きになるときに、対象への誤解が含まれていることも、よくありますよね。こっちの思い込みを投影して、対象を見ているから好きだっていうだけで、その対象をまったく正確に捉えてないことってあると思うんですよ。ぼくの永井均の好きになり方はそういう感じ、たぶん。彼が言っていることを正確には捉えきれていないという感触はあるというか」

() ひたりつく……論脈に忠実に沿うこと。

ファンである理由を公言しづらいのはなぜか

B「その永井均の捉え方っていうのは、他の人と同じじゃないといけないって思ってるわけ? そんなことなくない?」
A「うーん、どうなんだろうなあ。好きな理由とかは、他の人と同じじゃなくても良いような気がする一方で、なんかあんまり的はずれなことを対象に投影することで対象を好きになっているんだとしたら、『別に、これこれの思いを投影したいのであれば、その対象は永井均じゃなくてもよいのではあるまいか?』ってなりますよね」
B「まあ、そうだね。そういうことを指摘されるのが恥ずかしい?」
A「そうですね、たぶんそんな感じ。人からバカだって指摘されるのに似てる感じがする。でも、バカだって言われるのはとても恥ずかしくて、できれば避けたいんです。だから『そんなに彼のファンじゃないです。ファンと言いつつ、本が読めてないというか。だから、好きだと言いつつ、あんまりわかってないんですよ、ははは』と言って、いろいろごまかす」
B「その考えそのものがバカっぽいね」
A「言わないで」
B「しかし、なんでバカにされることは恥ずかしくて避けたいことなのかな? 不思議だな。これはちょっと考えてみたくなった。だって、おれたち、バカだろ」
(続くかもしれない)


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