ハロー警報(ショートショート)

強い雨が降り始めた。僕はランドセルを傘がわりに、家を目指して走り出す。
『ハロー警報、ハロー警報、ただちに屋内に避難してください。繰り返します、ハロー警報、ハロー警報——』
けたたましくサイレンが鳴り、警報がアナウンスされた。思わず立ち止まり、最後まで聞いた。
僕は、『波浪警報』の聞き間違いかと思った。事実、ここから見える海は高波で荒れている。
——彼女は無事だろうか?
さっきまで一緒にいた彼女のことが気になり、僕は道を引き返そうとした。
と、そのとき。傘を片手に父さんが血相を変えて走ってきた。
「京助‼ こんなところで何をしている⁉ ハロー警報が出ているんだぞ⁉」
ハロー警報——聞き間違いじゃなかった。たしかに父さんはそう言った。
父さんは強引に僕の手を引くと、家に向かって走り出す。
『生きとし生ける全てのものに感謝し、ハロー』
海岸の方から、誰かの声が聞こえた気がした——。

家に着くと、父さんは僕を叱った。
「すぐ家に帰らなきゃダメじゃないか! ハロー警報が出ているんだぞ⁉」
「……ゴメンなさい父さん、気をつけるよ……」
少ししょげた態度を取ると、打って変わって父さんは優しくなった。
「ゴメンよ、京助。本当はこんなに叱るつもりはなかったんだ。でもな、母さんのこともあってつい……」
言葉につまり、父さんは涙を流した。
父さんは漁師をしている。元々は大きな漁協組合の漁船で働いていたんだけど、「都会の海は性に合わない」とのことで、去年この島に越してきた。
けど、母さんはこの島にきてすぐ、高波に飲み込まれて死んだ。実際は行方不明なんだけど、捜索しても見つからないから、死んだことにされた。
でも、父さんは母さんのことを、未だに捜している——。
「京助……お前だけは……お前だけは……」
泣きじゃくり、僕を強く抱きしめる父さんの身体は震えている。
——ハロー警報ってなんだろう?
泣きじゃくる父さんを見ていると、とてもじゃないけど聞けなかった。

朝起きると、昨日の大雨が嘘のように晴れていた。
漁師の朝は早いから、父さんはもう家を出ていた。
僕は作り置きの朝ご飯を食べ終えると、ランドセルを背負って家を出る。
海岸沿いを通ると、波は荒れていた。僕は恐る恐る砂浜を歩くと、いつものように彼女はいた。
「おはよう。キミは相変わらず学校に行かないんだね」
少し皮肉った言い方をしたもんだから、彼女頬を膨らませた。
「そうよ、学校なんてつまらないわ。それに、学校に行かないのは、あなたも同じでしょ」
僕はここ数日、学校に行っていない。別にいじめられているとかじゃなくて、馴染めなかった。
そんな中、彼女に出会った。彼女も僕と一緒で、学校に馴染めないらしい。だからこうして、お互い学校をサボって、一日中海で遊ぶのが日課になった。
彼女といると楽しいし、何より安心した。僕は一人じゃないんだって思えたから——。
「ねぇ、今日は何して遊ぶ?」
彼女が僕の顔を覗き込む。
「そうだなぁ、砂のお城を作るってのはどうかな? もちろん、キミがお姫様で、僕が王子様」
少し恥じらいながらそう言うと、彼女は満面の笑みを浮かべ、頷いた。

家に帰ると、父さんに叱られた。
「京助! 今日も学校から連絡がきたぞ!」
「ゴメンなさい、父さん」
「学校が嫌になったのか? もしかして、いじめられているのか?」
「そんなんじゃないよ。ただ、なんとなく気分が乗らなくて……でも明日からちゃんと行くよ」
「約束だぞ、京助」
僕と父さんは指切りをする。
でも、内心どうでもいい、学校なんて。僕は彼女と一緒にいたいんだ。
それに、父さんは嘘つきだ。僕は知っている。父さんは漁になんか行っていない。母さんを捜しに船を出しているんだ。
「明日は天候が荒れる。ハロー警報が出るかもしれないから、学校が終わったらすぐに帰りなさい」
テレビのニュースを観ながら、父さんはそう言った。
ふと、僕は前から気になっていることを聞いてみた。
「父さん、ハロー警報って何? 波浪警報は知っているけど、ハロー警報なんて聞いたことない」
父さんは黙ってテレビを見ている。
——なんで答えてくれないんだろう……。
嫌な沈黙が流れる。
すると突然、父さんはテレビを消すと、僕を強く抱きしめて泣いた。
「京助、母さんはなぁ、ハロー警報のせいで……いや、母さんは生きている」

久しぶりに登校すると、周りから白い目で見られた。みんな僕を見て、コソコソ話をしている。でも、不思議と気にならない。僕の頭の中は、彼女のことでいっぱいだったから。
——何も言わずに学校にきちゃったけど、彼女はずっと待っているんだろうか?
朝のホームルームが始まる。久しぶりに登校してきたのに、先生は僕のことに触れなかった。
「今日は午後から大雨が降ります。おそらく、ハロー警報も出るでしょう。なので今日の授業は半日で終わりになります。みなさん、学校が終わったら寄り道せず、まっすぐ家に帰ってください」
教室は歓喜に沸いた。僕も心の中でガッツポーズをした。
——学校が終わったら、彼女に会いに行こう。
だけど、気がかりだったのはハロー警報のこと。昨日父さんは教えてくれなかったけど、先生なら——いや、やめとこう。僕は先生のこと、そんなに好きじゃない。
この日の授業は頭に入らなかった。

下校時間になると、僕は一目散に彼女のいる海岸を目指した。
いつもの海岸に着くと、彼女は砂浜に座り、海を眺めていた。
「遅くなってゴメン」
僕に気づいた彼女は、振り向くと目に涙を浮かべていた。
「今日は遅かったのね。私のこと嫌いになったのかと思った」
「ゴメン、今日は学校に行っていたんだ。でも、キミを悲しませるくらいなら、もう学校には行かない、家にも帰らない。ずっとキミとここにいる」
この言葉に、恥ずかしさや後悔はない。むしろ、彼女を待たせて、悲しませたことに後悔していた。
「そう……ありがとう」
彼女は涙を拭くと、満面の笑みを浮かべる。
と、そのときだった。急に強い雨が降り、波が荒れた。
『ハロー警報、ハロー警報、ただちに屋内に避難してください。繰り返します、ハロー警報、ハロー警報——』
けたたましくサイレンが鳴り、警報がアナウンスされた。
僕は彼女の手を引くと、どこか安全なところに避難しようと辺りを見回す。
でも、彼女は逆に僕の手を引くと、海へ向かって走り出す。引き返そうにも彼女の力は強く、どんどん海に近づいていく。高波に怯える僕をよそに、彼女はとても嬉しそうだ。
高波が僕と彼女を包む。すると、高波の中から突然、何かが顔を出した。
『生きとし生ける全てのものに感謝し、ハロー』
ソレはたくさんいる。しかもソレは、どこか彼女に似ている。
彼女は僕の手を離すと、自ら高波に飛び込んだ。
僕は腰が抜けたみたいにその場に座り込む。
そして、高波に飲み込まれた。
薄れていく意識の中で、誰かが手を引いた。
「京助‼」
——父さんの声だ。

目が覚めると、そこは家だった。布団から起き上がると、父さんが横にいた。
そして、父さんは遠い目をしてこう言った。
「明日、海に出よう。そのとき、ハロー警報のこと、母さんのこと、全部話す」

朝になると、昨日の大雨が嘘のように晴れていた。
港に着くと、父さんの船に乗り込む。父さんは操縦席に入ると、慣れた手つきでハンドルを回す。
島の反対側へ着くと、そこは洞窟。エンジンを止めると、操縦席から父さんが出てきた。
「京助、あそこを見なさい」
父さんが指差した。そこには——
「もっ、もしかして……キミ⁉」
洞窟の中から、彼女が泳いできた。しかも、彼女の下半身には魚のような尾びれがついている。まるで、昨日見たソレみたいに——。
「驚いたか? ここは人魚の棲む洞窟だ。そして、この島は人魚の棲む島だ」
 父さんは彼女に手を振った。よく見ると、周囲の岩にたくさんの人魚が寝そべっている。
——人魚の棲む洞窟? つまり、彼女は……人魚?
困惑する僕をよそに、父さんは話し始めた。
「ハロー警報とは、腹を空かせた人魚が高波に乗って人間を攫いにくることを言う、この島にしかない警報だ。ちなみに、『ハロー』は人魚達の間で使われる挨拶、『いただきます』という意味だ」
父さんは真剣な顔でそう言ったけど、僕の頭が追いつかない。人魚がこの世にいること……ましてやハロー警報の正体が、空腹に飢えた人魚が攫いにくることだなんて、予想だにしなかったから——。
もう一つ、と、父さんは続けた。
「母さんは高波に飲まれて死んだことになっているが、あれは嘘だ。
まずは母さんとの出会いから話そう。
あれはハロー警報が流れた日だった。仲間の静止を無視して漁をしていた俺は、人魚に攫われてしまった。でも、一人の人魚が俺を沖に返してくれた。その人魚こそが母さんだ。俺はその人魚に恋をして、ほどなく結婚した。
そして、順風満帆な結婚生活を送っていたある日、人魚は急に『仲間の元へ帰りたい』と言い出した。俺は猛反対したさ。ずっと一緒にいたいと思っていたからな。でも、人魚は人間世界に馴染めず、苦しんでいたんだ。悩んだ末、俺は人魚の主張を尊重することにした。
でも、せめて人魚の近くで生活したいと思い、この島に越してきた。
覚えているか京助? 母さんがいなくなったあの日、ハロー警報が流れていた。母さんは高波に飲まれたんじゃない、仲間に迎えにきてもらったんだ」
突然の告白に、僕は言葉が出なかった。
そして、父さんは泳いでこちらにやってくる彼女を指差して、こう言った。
「この子は娘だ。つまり、お前の妹。お前には漁に行くと嘘をついて、母さんと娘に会いに行っていた。すまなかった」
そう言うと父さんは、深々と頭を下げた。
「一緒に遊びましょう」
彼女は満面の笑みを浮かべ、ゆらゆらと船の周りを一周した。
それを見た僕は、母さんが人魚であり、彼女が妹であることがどうでもよくなった。
——あぁ、なるほど。だから僕は学校に馴染めなくて、みんなが白い目で見るんだ。
僕は慣れない尾びれをなびかせ、彼女のもとへ泳いだ。

※この作品は第19回坊っちゃん文学賞に落選した作品です。
子どもの頃、天気予報で聞く「波浪警報」を「ハロー警報」と勘違いしていたのを思い出して、自分なりの「ハロー警報」をストーリーにしてみました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?