中島らも
ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。
(中島らも - 浪人時代に自殺した友人に向けての一節)
普通の人は、まあそう考えますよねえ、でも坐禅をやっていると、決して悟りなど開かなくても「坐ってよかった」という感覚は日日に感じることが出来ると思います。トリップもするしね。
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